1917年の相撲
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1917年の相撲(1917ねんのすもう)は、1917年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]- 東京専門学校(早大の前身)相撲部創部。
- 立命館大学相撲部創部。
台覧相撲
[編集]本場所など
[編集]- 1月場所(東京相撲)[3]
- 1月場所(大阪相撲)[2]
- 興行場所:千日前東
- 1月7日より晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[4]
- 6月場所(大阪相撲)[5]
- 興行場所:新世界
- 6月1日より晴天10日間興行
誕生
[編集]- 1月5日 - 清美川梅之(最高位:前頭筆頭、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 1980年【昭和55年】)[6]
- 3月25日 - 高田山惠助(最高位:十両8枚目、所属:白玉部屋→芝田山部屋→高田川部屋→高砂部屋、+ 没年不明)
- 5月5日 - 八方山主計(最高位:前頭筆頭、所属:出羽海部屋、+ 1977年【昭和52年】)[7]
- 7月12日 - 斜里錦菊三(最高位:前頭18枚目、所属:二所ノ関部屋、+ 1950年【昭和25年】)[8]
- 7月13日 - 相模川佶延(最高位:関脇、所属:春日野部屋、+ 1987年【昭和62年】)[9]
- 9月29日 - 八幡野平八郎(最高位:十両5枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 1994年【平成6年】)
- 12月5日 - 佐賀ノ花勝巳(最高位:大関、所属:粂川部屋→二所ノ関部屋、+ 1975年【昭和50年】)[9]
死去
[編集]- 1月20日 - 大ノ川甚太郎(最高位:小結(現役没)、所属:君ヶ濱部屋→出羽ノ海部屋、年寄:君ヶ濱(二枚鑑札)* 1880年【明治13年】)[10]
- 5月17日 - 小松山与三松(最高位:前頭2枚目、所属:八角部屋、年寄:浦風、* 1868年【旧暦1867年(慶応3年)】)
- 9月26日 - 司天龍政吉(最高位:小結、所属:玉垣部屋→雷部屋→八角部屋、年寄:中立、* 1860年【万延元年】)
- 12月25日 - 立田野竹松(最高位:前頭8枚目、所属:湊川部屋、* 生年不明)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。