倉林育四郎

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倉林 育四郎(くらばやし いくしろう、1912年8月14日- 没年不明 )は、日本の経営者武田薬品工業社長を務めた。

来歴・人物[編集]

埼玉県児玉郡児玉町出身[1]1937年に東京帝国大学医学部薬学科を卒業し、同年に武田薬品工業に入社[1]1966年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1981年6月には社長に昇格した[1]。武田一族以外では初の社長で、米国への工場進出などの国際化の推進とバイオテクノロジーの研究開発に力を入れた[2]1986年6月から相談役を務めた[1]

日本化学工業協会常務理事、関西化学工業協会常任理事、経済団体連合会評議員、関西経済連合会常任理事なども歴任した[1]

1986年4月には勲二等瑞宝章を受章した[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 興信データ株式會社 991, く78頁.
  2. ^ 1986年 4月25日 日経産業新聞 p31

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第36版 下』興信データ、2009年。