偰眉寿 ウィキペディアから無料の百科事典 偰眉寿各種表記ハングル: 설 미수漢字: 偰 眉壽日本語読み: せつ びじゅテンプレートを表示 偰 眉寿(せつ びじゅ、1359年 - 1415年)は、ウイグル族出身の高麗の文官。慶州偰氏の始祖偰文質の孫である偰遜の五男。高麗の恭愍王時代に文科に及第、李氏朝鮮時代に礼曹判書まで登りつめた[1]。長兄は恭愍王11年に文科に及第、判三司事を務めた偰長寿[1]。兄の偰慶寿も、恭愍王の時代に文科に及第した[1]。甥(偰慶寿の子)の偰循は、李氏朝鮮の太宗の時代に文科に及第し、世宗の時代に集賢殿副提学を務めた[1]。 家族[編集] 曾祖父:偰文質 祖父:偰哲篤 父:偰遜 兄:偰長寿 兄:偰延寿 兄:偰福寿 兄:偰慶寿 甥:偰循 脚注[編集] ^ a b c d 岸本美緒・宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、16頁。ISBN 4124034121。