偰遜 ウィキペディアから無料の百科事典 偰遜各種表記ハングル: 설 손漢字: 偰 遜日本語読み: せつ そんテンプレートを表示 偰 遜(せつ そん、설손、? - 1360年)は、ウイグル族出身の高麗の文官。偰文質の孫。慶州偰氏の始祖であり、恭愍王の時代に高麗に帰化した。長男は恭愍王11年に文科に及第、判三司事を務めた偰長寿[1]。四男の偰慶寿も、恭愍王の時代に文科に及第した。五男の偰眉寿は、恭愍王の時代に文科に及第、李氏朝鮮時代に礼曹判書を務めた。孫の偰循は、李氏朝鮮の太宗の時代に文科に及第し、世宗の時代に集賢殿副提学を務めた[1]。 家族[編集] 祖父:偰文質 父:偰哲篤 長男:偰長寿 次男:偰延寿 三男:偰福寿 四男:偰慶寿 五男:偰眉寿 孫:偰循 脚注[編集] ^ a b 岸本美緒・宮嶋博史『明清と李朝の時代』中央公論社〈世界の歴史 (12)〉、1998年4月1日、16頁。ISBN 4124034121。