加藤神社

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加藤神社
所在地 熊本県熊本市中央区本丸2-1
位置 北緯32度48分25.6秒 東経130度42分19.6秒 / 北緯32.807111度 東経130.705444度 / 32.807111; 130.705444座標: 北緯32度48分25.6秒 東経130度42分19.6秒 / 北緯32.807111度 東経130.705444度 / 32.807111; 130.705444
主祭神 加藤清正公
社格 旧県社
創建 明治4年(1871年)
本殿の様式 流造
別名 錦山神社
例祭 7月第4日曜日(清正公(せいしょこ)祭り)
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加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市熊本城内にある神社である。

正月三が日の参拝者数は年々増加しており、藤崎八旛宮に匹敵する人数となっている。

祭神[編集]

加藤清正公を主祭神とし、祭神に殉じた大木兼能公、韓人(朝鮮人)金官(きんかん)を配祀する。

歴史[編集]

本殿

元は慶長16年(1611年)の清正の歿後に清正を祀った浄池廟であった。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移された。

神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社(にしきやまじんじゃ)とした。場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸である。同年、大木兼能と金官を合祀した。同7年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体健軍神社に避難していた)、明治17年に再建した。明治42年(1909年)に、錦山神社から加藤神社に改称された。乃木希典も加藤清正を信仰していたこともあり、各地に分霊を祀る加藤神社ができた。同44年にはハワイに、大正3年(1914年)には日本統治下の朝鮮・京城府(現 大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る加藤神社が創建された(京城府の加藤神社は戦後に廃社。跡地は聖山教会になっている)。加藤清正を祭る神社は一時90社を数えるが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布し、その約半分は熊本県にある。昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となった。同37年、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座した。

関連図書[編集]

  • 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、97-98頁
  • 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980年、24-25頁
  • 日本歴史地名大系44『熊本県の地名』平凡社、1985年、409-410頁
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典43 熊本県』角川書店、1987年、301-302頁

交通アクセス[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]