台湾の宗教
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台湾の宗教(たいわんのしゅうきょう)では、現在の台湾での宗教の概況を説明する。
台湾の宗教は中華民国憲法により宗教の自由が認められ、各宗教は平等であると規定されている。布教活動も自由であり政府と宗教の間には関係は存在していない(政教分離)。2009年の台湾政府内政部の統計報告[2]によれば、仏教・道教・キリスト教が主流を占めており、それ以外に一貫道やイスラム教、バハイ教、日本を発祥とする宗教団体(天理教、真光教)などの信者も存在している。
2003年の米国国務省が発表した『世界の宗教の自由に関する報告』の中で、台湾の二大宗教として仏教と道教を掲示し、仏教徒が約548万人、道教徒が454万人と推計している。しかしこの報告書では民間信仰を道教に区分したり、また仏教と道教双方に算入される場合も有り、その信徒数は重複しているものと考えられる。
中央研究院社会学研究所が2009年に実施した社会変遷基本調査によれば、42.8%の人が現在の宗教信仰の対象を「民間信仰」であると回答している[3]。人類学者の五十嵐真子によると、「ごく一般の人々の宗教認識の中心にあるのは決して道教や仏教といった体系だった宗教などではなく、現世利益的な発想を強くもった信仰パターン」が台湾の人々の宗教に対する感覚であるという[3]。
信仰分布
[編集]宗教名 | 信徒数 | 宗教施設数 | 聖職者数 |
---|---|---|---|
道教 | 792,664 | 9,249 | - |
基督新教(プロテスタント) | 384,576 | 2,539 | 4,362 |
天主教(カトリック) | 177,641 | 746 | 1,785 |
仏教 | 168,331 | 2,308 | - |
一貫道 | 17,634 | 201 | - |
イスラム教 | 5,952 | 5 | 21 |
バハイ教 | 2,265 | 2 | 12 |
天理教 | 1,659 | 22 | 80 |
サイエントロジー | 1,000 | 1 | 30 |
儒教 | 790 | 14 | - |
軒轅教 | 314 | 8 | - |
弥勒大道 | 267 | 2 | - |
天徳教 | 242 | 5 | - |
理教 | 212 | 6 | - |
真光教 | 100 | 1 | 1 |
黄中 | 39 | 1 | - |
天帝教 | 33 | 1 | - |
その他 | 957 | ≧ 6 | ≧ 15 |
道教
[編集]道教は漢民族の伝統宗教であり、西晋末から明代にかけて中国大陸全土に広まり南方の正一教(天師教)と北方の全真教の二大流派が形成された。台湾の道教は南方系の正一教であり、護符や呪文の宗教儀式を重視した内容となっている。
沿革
[編集]台湾の道教は清朝統治時代、日本統治時代をへて現代に至る間に大きな発展を遂げている。正一道正一派、符籙派が仏教と融合し世俗化した福建道教の閭山派が台湾における主要な道教信仰となっている。
1980年代以前、漢伝仏教が慈済、印順、聖厳などの仏師により発展を遂げる以前は、正一派・閭山派が台湾の主要な宗教であった。1980年代の仏教の隆盛と、相対的な道教の衰退が見られたが、多くの宗教儀式を行いタブーを決定するなど生活の中に影響を与え、行天宮に代表される廟も台湾内に数多く建立されている。
他の文化と同様に、中華人民共和国では廃れてしまった道教系の祭礼儀式が今なお数多く残存している。旧暦の3月23日に行なわれる媽祖の誕生祭(媽祖誕辰)や、1週間に渡って街を練り歩き、数千万円相当の木造船を焼却する5月10日の王船祭(焼王船、王爺を鎮める祭り)、旧暦7月15日の中元節や旧暦10月22日の青山王の誕生祭(青山王誕辰)などが毎年華やかに催される。特に、大甲鎮の鎮瀾宮と新港郷の奉天宮とを往復する「大甲媽祖の巡行」は、台湾で最大規模の宗教活動である。また、占いや祈祷を行う「尪姨」(アンイー、巫女)や「童乩」(タンキー、シャーマンの一種)も健在であり、媽祖の誕生祭を始めとする各種宗教儀礼に参加している。
葬儀や婚礼も大掛かりであり、特に葬儀では楽隊による行進が行われる場合もある。
仏教や儒教と習合しており、観音菩薩が観音廟に祀られたり、儒家の創始者である孔子像が、文昌帝君と並んで文昌廟で祀られることも少なくない。
キリスト教
[編集]カトリックは天主教、プロテスタントは基督教と漢語表記される。台湾にキリスト教が伝わったのは、17世紀初頭にスペインとオランダが原住民に宣教したのが最初であり、以降は欧米の宣教師によって本省人や原住民の間で改宗が進み、なかでも長老派教会が最も多く信徒を獲得した。現在の最大の教派は台湾基督長老教会である。プロテスタントでは他に、台湾聖公会などがある。
17世紀のオランダ統治時代、1624年オランダ東インド会社が上陸するのに併せて、キリスト教の宣教が開始された。やがてイギリスの熱心な宣教活動によって、本省人や原住民の間ではプロテスタントへの改宗が多くなった。また、台湾の長老派教会は反中であるとともに台湾独立運動に熱心であり、台湾語の白話字(教会羅馬字、教会ローマ字)表記を成立させたり、1971年に発表した国是声明では、台湾の将来は台湾人が決めるとしている。
1626年スペインが台湾北部に上陸するとカトリックの宣教が開始されたものの、当時台湾南部を統治していたオランダがスペインを排除したため、カトリック布教は停止された。天津条約締結後、1859年ドミニコ会のスペイン人宣教師がフィリピンから高雄に上陸したのが、台湾でのカトリック教会の始まりとされる。台湾ではプロテスタント、なかでも長老派教会の宣教活動が多くの信徒を獲得する中、カトリックは極めて少数派だったが、20世紀後半に入ると中華人民共和国での宗教弾圧を逃れた外省人のカトリック信徒が多く台湾に移住した。現在は台北に大司教区があり、高雄・台中・嘉義・花蓮・新竹・台南に司教区が置かれている。2014年現在の台湾における最高指導者は台北教区大司教洪山川である。
また、台湾に特異な教派として、ペンテコステ運動の影響で、1917年北京で張霊生によって創設された真耶蘇教会がある。
台湾では極めて少数派であるが、正教会の宣教も行われている[4]。
仏教
[編集]起源
[編集]18世紀以降、観音を主神とする廟が漳泉及び漳泉移民が入植した巌仔が台湾に多く建立された。観音信仰に基づく巖仔は漳州ではgiam ah、泉州ではgum ahと発音され、本来は山洞を意味したが、後に山間部に近い廟を巌仔と称するようになった。1835年の『彰化県志』には「閩省漳泉南人謂寺曰巌」と記録され、当時より寺院を意味する言葉として使用されていたことがうかがい知れる。18世紀に台湾で隆盛した観音信仰により、多くの仏教教義が台湾に移入することになる。1752年に建立された芝山巌や1791年宝蔵巌などがその時代を代表する寺院である。
清朝統治時代になると巌仔以外に観音廟に寺、宮、閣、堂、壇、庵などの名称も使用されるようになった。一般に地主により建立された大廟を寺、村廟を堂と区分していた。その他18世紀後半に台湾道教或いは斎教などの民間信仰による廟の建立に際しては観音像を道教廟に祀るなどされ、仏教・道教・儒教の融合が進行した。
発展
[編集]1895年に日本による台湾統治が始まると国家神道が導入され、また台湾既存の仏教も日本の仏教の影響を受けることとなった。伝統的な寺院は日本人になじみのある地蔵菩薩(地蔵王菩薩)などの仏像を加え、また日本より各仏教派の寺院及び教導所が設けられた。1941年の調査で台湾の総人口は500万強、そのうち日本仏教として浄土真宗、曹洞宗、浄土宗などを信仰する台湾人は8万人に達したとある。
一方、台湾人によって月眉山派、観音山派、法雲寺派、大崗山派と呼ばれる4つの派が創設された。これらを特に四大法脈(道場)と言う。また、その四派の本山寺院を四大名山という。
漢伝仏教
[編集]1945年太平洋戦争の終結により台湾は国民政府により接収された。1950年代になると国共内戦と中国共産党が宗教を弾圧したことより大陸より多くの仏教関係者が台湾に逃れてきた。それまでの観音信仰から大乗仏教へと台湾の仏教の主流が変革した時代である。禅・浄土教が大勢を占めた。
現代の台湾仏教は、道教との混淆性を排した正信仏教として、禅宗を基軸として戒・定・慧の三学を重視し、戒律と瞑想(禅定)によって真実を悟ることを求め、出家した僧侶は妻帯しない。
経済の発展に加え政治的にも自由が増大した1980年代頃より、宗教性(“鬼神性”)中心の伝統的な大乗仏教から、太虚法師が掲げた、人間性を重視し、社会奉仕・教育・医療・災害支援などの社会活動に力を注ぐ「人間仏教[注釈 1]」の影響を受けた門侶集団の登場により、台湾の仏教徒の数は急激に増加の傾向を辿った[3]。 なかでも新仏教の主たる担い手は、中台山の惟覚法師、法鼓山の聖厳法師、仏光山の星雲法師、霊鷲山の心道法師、慈済功徳会の証厳法師の5団体であり、台湾仏教五座山(五座名山)[注釈 2]と称されている。
チベット仏教
[編集]1949年国民政府とともにチベット仏教が台湾に渡来した。本格的にチベット仏教の布教が始まったのは、1980年代からであり、カギュ派が先ず活動し、ニンマ派やサキャ派が続き、やがてゲルク派も伝来した。ダライラマ14世も1997年、2001年、2009年に台湾を訪れている。
上座部仏教
[編集]ヴィパッサナー瞑想に対する関心の高まりから、緩やかながらも上座部仏教が浸透しつつあり、パーリ語経典の漢語訳も進められている。
一貫道
[編集]清で創始され、1946年台湾に伝来した。1950年から1951年かけて中華人民共和国では、一貫道は反革命的な邪教(「反動会道門」)とされ、組織は徹底的に弾圧・根絶された上に、信徒は国民党のスパイとして糾弾され、多くが殺害された為、難を逃れた信徒は香港へ逃避した。
1954年師母孫慧明が、香港から台湾に移住した為、台湾で盛んに活動するようになった。ただし当時の台湾では、宗教活動は制限されており、政府に公認されていたのは9つの宗教法人(道教、基督教、天主教、仏教、回教、巴哈尹教、天理教、理教、軒轅教)のみだったため、一貫道は台湾各地にバラバラに潜伏して地下活動をしていた。そのため、基礎組、発一組、宝光組、文化組、慧光組、紫光組、常州組、金光組、浩然組、法一組、明光組、安東組、師兄派などの多数の各派組が存在する[5]。やがて台湾の民主化とともに思想・信仰の自由が進み、1987年1月に公式に解禁された。
イスラム教
[編集]国民党とともに、中国大陸から移住してきた回族によってイスラム教も信仰されており、台北、高雄などに清真寺(モスク)が存在する。台湾のムスリム組織として、中国回教協会(Chinese Muslim Association)がある。また、台湾人ではないものの、在台湾のインドネシア人労働者によるイスラム信仰活動も無視できない規模となり、ハラールやサラートの扱いで台湾人社会と摩擦が生じている。
バハイ教
[編集]儒家の「大同」思想と相通ずるとして、当初は「大同教」と称された。現在はバハーイー(Baha'i)を音写して「巴哈伊教」と漢語表記される。1954年イランの商人のスルマン夫妻が台湾を訪れ、台南にバハーイーセンターを設立した。1967年に台湾総会が設立され、1970年に法人化された。
天理教
[編集]1897年日本より伝来し、台湾伝道庁が設立された。日本統治時代の終焉とともに、一度は布教が停止されたが、1967年に再開し、台湾民主化前の当時の宗教統制政策下でも、台湾政府が公認した宗教9法人の一つとなった。
民間信仰
[編集]台湾の民間信仰は儒教、仏教、道教が融合したものであり、福建や広東からの移民を通して華南地区より台湾にもたらされ台湾化したものである。台湾の道教徒の大多数が民間信仰と混同されており、先祖崇拝、巫術、鬼神、その他心霊及び動物崇拝が特徴となっている。
信仰の種類
[編集]台湾の民間信仰は多神教であり地域性によって区分される。福建漳州系の移民は開漳聖王を信仰し、泉州同安系の移民は保生大帝を、三邑系は広沢尊王を、安渓系は清水祖師、保儀大夫、保儀尊王を、汀州系は定光古仏を、客家、潮汕系は三山国王をそれぞれ信仰している。
このほか救世主を意味する恩主信仰もあり関雲長や八仙中の一人呂洞賓、宋代の将軍である岳飛などが祭祀対象となっている。
更に海神信仰の玄天上帝と媽祖、瘟神信仰の王爺信仰や青山宮、死者の鬼神が神格化された有応公と義民爺、民間の刑罰府衙が神格化された八家将なども信仰対象となっている。
その他の宗教
[編集]これ以外の宗教としてはサイエントロジーなどが存在している。真光教、生長の家、立正佼成会、創価学会、幸福の科学などの日本を発祥とする宗教も活動している。原住民の間では21世紀初頭でもなお伝統的なアニミズム信仰が行なわれている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ CIA World Factbook "Taiwan"2021年8月29日閲覧。
- ^ 内政統計年報 - 03.宗教教務概況:2009年
- ^ a b c 村島健司 櫻井義秀 ・平藤喜久子(編)「台湾の宗教」『よくわかる宗教学』 ミネルヴァ書房 <やわらかアカデミズム<わかる>シリーズ> 2015年、ISBN 9784623072750 pp.112-113.
- ^ 台湾基督正教会
- ^ 「台湾一貫道の新しい歩み: 解禁と総会成立を中心にして」、篠原壽雄、駒澤大學文學部研究紀要 49, 1-130, 1991-03