唐梅院 ウィキペディアから無料の百科事典 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2017年10月) 唐梅院(とうばいいん、? - 寛永16年7月3日(1639年8月2日))は、戦国時代から江戸時代にかけての女性。松平康親の娘。井伊直政の正室。名は花。 経歴[編集] 天正10年(1582年)、徳川家康の養女となる。 天正12年(1584年)、家康の寵臣・井伊直政に嫁いだ。直政との間に井伊直勝らをもうけた。 慶長7年(1602年)に直政が死去すると、出家し唐梅院と号した。出家後は、いまだ12歳の直勝をささえていた。 寛永16年(1639年)7月3日に死去。戒名は唐梅院殿台誉崇玉大姉。法名については清泉院とも。 出典[編集] 群馬県史料集(1966年、山田武麿・萩原進共著) 徳川諸家系譜(1984年、斎木一馬・岩沢愿彦・戸原純一著) 寛永諸家系図伝(1997年、橋本政宣著) 三百藩藩主人名事典(1986年、藩主人名事典編纂委員会)