嘉泰 (宋) ウィキペディアから無料の百科事典 嘉泰(かたい)は、中国・南宋の寧宗の治世に使用された元号。1201年 - 1204年。 プロジェクト 紀年法 西暦等との対照表[編集] 嘉泰 元年 2年 3年 4年 西暦 1201年 1202年 1203年 1204年 干支 辛酉 壬戌 癸亥 甲子 金 泰和元 泰和2 泰和3 泰和4 西夏 天慶8 天慶9 天慶10 天慶11 出来事[編集] 慶元6年 12月21日:翌年より踰年改元の詔が下る。 嘉泰元年 3月18日:『慶元寛恤詔令・役法撮要』が公布される。 3月23日:臨安にて大火が発生。 4月12日:民間での銷金・翡翠の着用を禁じ、風俗を取締する詔勅が出る。 嘉泰2年 2月9日:趙汝愚が復権して「偽学の禁」が緩和される。 2月18日:民間での史書の扱いを禁ずる。 6月9日:浙西の運河が浚渫される。 10月24日:朱熹の元官が追復される。 嘉泰3年 正月12日:湖南の渓峒蛮に総首を置い、諸蛮を管掌させる。 4月23日:宰執・台諫の子孫は科試に応じるなという詔勅が出る。 7月5日:『慶元条法事類』が公布される。 10月13日:竜州の蕃部が帰順する。 嘉泰4年 正月28日:瓊州の蛮寇が反乱したが、平定される。 3月4日:臨安の太廟が火災により焼失される。 3月11日:太廟の焼失を自責する寧宗の「罪己詔」が下る。 5月21日:岳飛を鄂王に追封ずる。 6月5日:諸軍に動員令を下し、北伐に備える。 12月11日:翌年より「開禧」へ踰年改元の詔が下る。 関連項目[編集] 元号一覧 (中国) 他政権の嘉泰 前の元号慶元 中国の元号南宋 次の元号開禧 表話編歴宋の元号北宋の元号 建隆 乾徳 開宝 太平興国 雍熙 端拱 淳化 至道 咸平 景徳 大中祥符 天禧 乾興 天聖 明道 景祐 宝元 康定 慶暦 皇祐 至和 嘉祐 治平 熙寧 元豊 元祐 紹聖 元符 建中靖国 崇寧 大観 政和 重和 宣和 靖康 南宋の元号 建炎 紹興 隆興 乾道 淳熙 紹熙 慶元 嘉泰 開禧 嘉定 宝慶 紹定 端平 嘉熙 淳祐 宝祐 開慶 景定 咸淳 徳祐 景炎 祥興 中国の元号一覧