天間昭一

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天間昭一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県
生年月日 (1965-02-26) 1965年2月26日(59歳)
身長 156cm
体重 50kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 美浦・森安弘昭(1984.3 - 1992.8)
美浦・フリー(1992.8 - 2005.8)
美浦・星野忍(2005.8 - 引退)
初免許年 1984年3月1日
免許区分 平地
騎手引退日 2006年2月28日
通算勝利 2447戦111勝
調教師情報
初免許年 2006年
経歴
所属 美浦T.C.
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天間 昭一(てんま しょういち、1965年2月26日 - )は日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属する元騎手調教師。父は厩務員

来歴[編集]

1982年、3月より美浦・森安弘昭厩舎所属で騎手候補生となる。

1984年、3月に騎手免許を取得。

1992年、8月にフリーとなる。

1999年1月26日に地方競馬に初騎乗。3月13日にJRA通算100勝を達成する。

2005年、8月に美浦・星野忍厩舎所属となり、12月13日付けで美浦・堀井雅広厩舎所属となる。

2006年、2月に調教師免許を取得し騎手を引退する。引退レースは、12番人気だったデルマアポロに騎乗し15着。騎手成績はJRA通算2447戦111勝、地方通算13戦0勝2着2回。同年12月21日付けで厩舎を10馬房で開業する。12月23日、初出走となった中山競馬場での第4レースの2歳新馬戦は、イチライマートが14番人気で14着となる。

2007年7月14日新潟競馬場での第4レースの障害競走で2番人気だったエスケーアパッチが勝利し延べ81頭目で初勝利を挙げる。

2010年8月8日関屋記念をレッツゴーキリシマで勝利し、中央競馬重賞初勝利をあげる。なお、騎手時代は重賞勝ちがなかったため、騎手時代を通じて初の重賞制覇となる。

騎手成績[編集]

通算成績 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率
平地 111 135 171 2427 .046 .101
障害 0 2 2 20 .000 .100
111 137 173 2247 .045 .101
日付 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初騎乗 1984年3月18日 - テイオーシャーク 12頭 - 6着
初勝利 1984年6月2日 - クリセブン - - 1着
重賞初騎乗 1985年9月15日 クイーンS サリークラウン 15頭 8 3着
GI初騎乗 1985年11月3日 エリザベス女王杯 サリークラウン 20頭 16 10着

主な騎乗馬[編集]

調教師成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順
初出走 2006年12月23日 5回中山7日4R 2歳新馬 イチライマート 16頭 14 14着
初勝利 2007年7月14日 2回新潟1日5R 障害3歳上未勝利 エスケーアパッチ 10頭 2 1着
重賞初出走 2007年9月1日 3回新潟7日9R 新潟ジャンプS エスケーアパッチ 14頭 6 6着
重賞初勝利 2010年8月8日 2回新潟8日11R 関屋記念 レッツゴーキリシマ 18頭 6 1着
GI初出走 2007年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 デイトレーダー 16頭 13 9着

主な管理馬[編集]

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走、太字はGI級競走。

エピソード[編集]

  • 1999年、2004年に落馬し、いずれも左鎖骨骨折した。
  • 2006年に合格した調教師試験は、6回目の受験初めて1次試験を突破し、そのまま最終試験にも合格した。2005年以降ほとんどレースに騎乗がなく十分な勉強時間があったからである。
  • 調教師として目標しているスタイルは、堀井雅広調教師のように出走回数を多くすることである。

主な厩舎スタッフ[編集]

  • 蛯名利弘(調教助手) - 2007年4月より星野忍厩舎より移籍。現在は調教師。
  • 谷中公一(調教助手) - 2012年4月より阿部新生厩舎より移籍。現在は調教助手を引退。
  • 沢昭典(調教助手) - 2013年より移籍。

関連項目[編集]