太田浩児
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おおた こうじ 太田 浩児 | |
---|---|
本名 | 同 |
生年月日 | 1928年8月8日 |
没年月日 | 1988年10月13日(60歳没) |
出生地 | 日本・神奈川県横浜市 |
死没地 | 日本 |
職業 | 映画プロデューサー、映画監督、脚本家 |
ジャンル | 劇場用映画(現代劇)、テレビ映画 |
活動期間 | 1953年 - 1986年 |
配偶者 | 有 |
事務所 | 東映 |
主な作品 | |
監督 『宇宙快速船』(1961年) 『特別機動捜査隊』(1963年) 『あの雲に歌おう』(1965年) 企画 『やくざ刑事シリーズ』(1970 - 71年) 『ボディガード牙シリーズ』(1973年) 『けんか空手シリーズ』(1975 - 77年) 『ドカベン』(1977年) |
太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988年10月13日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。
人物・来歴
[編集]1928年(昭和3年)8月8日、神奈川県横浜市に生まれる[1][2][3][4]。
東京市大森区調布嶺町(現在の東京都大田区鵜の木)の旧制・東京中学校(現在の東京高等学校)を卒業して旧制・東京高等師範学校に進学、同校は1949年(昭和24年)5月に設立された新制・東京教育大学(現在の筑波大学の母体)に包括されたため、同学哲学科に在籍、1953年(昭和28年)3月に同学を卒業した[1][2][3][4]。「好きな映画で生活していこう」と考え、同年4月2日、定期採用第2期生として東映に入社した[1][2][3][4]。企画本部に配属され、東京撮影所演出部に配転された[1]。同年1月29日に第1作が公開された小石栄一監督の『魚河岸の石松』シリーズ(1953年 - 1958年)や、内田吐夢監督の『どたんば』(1957年)、『森と湖のまつり』(1958年)、家城巳代治監督の『素晴らしき娘たち』(1959年)、あるいは伊賀山正光、1959年(昭和34年)2月11日公開の『黒い指の男』で監督に昇進した先輩の飯塚増一[15]らの作品に助監督として参加している[1]。
満33歳の誕生日を目前とした1961年(昭和36年)7月19日、ニュー東映ラインで公開された千葉真一の主演作『宇宙快速船』をもって、監督に昇進した[1][8][9][10][11][12][13]。翌1962年(昭和37年)には東映商事(現在の東映エージエンシー)が製作した住友銀行(現在の三井住友銀行)のPR映画『ある日のバス通り裏』を監督、同作は1958年(昭和33年)4月7日 - 1963年(昭和38年)3月30日にNHK総合テレビジョンで生放送されたテレビドラマ『バス通り裏』のスピンアウト作品である[16]。1963年3月31日公開の『特別機動捜査隊』、同年5月12日公開の『特別機動捜査隊 東京駅に張り込め』をそれぞれ監督した後、恩師・家城巳代治の監督作『路傍の石』(1964年6月14日公開)ではチーフ助監督を、同じく内田吐夢の監督作『飢餓海峡』(1965年1月15日公開)ではセカンド助監督を務めている[7][8][9][10][11][12][13]。1965年(昭和40年)1月15日に公開された『あの雲に歌おう』を最後に監督作はなく、1966年(昭和41年)6月4日に公開された深作欣二の監督作『カミカゼ野郎 真昼の決斗』の共同脚本に参加して以降は、プロデューサーに転向した[1][8][9][10][11][12][13][14]。
プロデューサー転向第1作は、同年10月25日に公開された『北海の暴れ竜』(監督深作欣二、主演梅宮辰夫)で、植木照男に次いで企画としてクレジットされた[1][8][9][10][11][12][13]。以降、深作欣二、鷹森立一、山口和彦らの作品を多く手掛けた[1][8][9][10][11][12][13]。1969年(昭和44年)4月8日 - 同年6月17日に放映された『笑ってよいしょ』で初めて連続テレビ映画を手がける[14]。1970年(昭和45年)5月23日に公開された『やくざ刑事』(監督野田幸男)はシリーズ化し、計4作を手がけた[1][8][9][10][11][12][13]。1977年(昭和52年)には、水島新司の『ドカベン』(監督鈴木則文)、梶原一騎・影丸譲也の『空手バカ一代』(監督山口和彦)といった当時の人気少年マンガを実写映画化した[8][9][10][11][12][13]。
1980年(昭和55年)以降は、『二百三高地』(監督舛田利雄、1980年8月2日公開)とテレビ映画『二百三高地 愛は死にますか』、『大日本帝国』(監督舛田利雄、1982年8月7日公開)、『日本海大海戦 海ゆかば』(監督舛田利雄、1983年6月4日公開)といった大作戦争映画を立て続けに手がけた[8][9][10][11][12][13]。『日本海大海戦 海ゆかば』公開直後の1983年(昭和58年)8月7日、東映を定年退職する。1年半後の1985年(昭和60年)3月には、内田吐夢の評伝『夢を吐く 人間内田吐夢』を上梓する[5][6]。同書に記された当時の肩書は「東映東京撮影所チーフプロデューサー」であった[2]。1986年(昭和61年)5月24日に公開された『白い野望』(監督出目昌伸、主演草刈正雄)を発表、同作が生前最後の作品となった[7][8][9][10][11][12][13][14]。生前は埼玉県志木市に居を構えていた[1][3]。
1988年(昭和63年)10月13日、死去した[4]。満60歳没。
フィルモグラフィ
[編集]特筆以外すべてのクレジットは「企画」である[1][7][8][9][10][11][12][13][14]。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵・現存状況についても記す[8]。
- 『どたんば』 : 企画坪井与・植木照男、監督内田吐夢、主演加藤嘉、1957年11月24日公開 - 助監督、108分の原版が現存・東映チャンネルが放映[17]
- 『森と湖のまつり』 : 企画坪井与・岡田寿之・植木照男、監督内田吐夢、チーフ助監督相野田悟、主演高倉健、1958年11月26日公開 - セカンド助監督、113分の原版が現存・2007年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『素晴らしき娘たち』 : 企画本田延三郎・吉野誠一、監督家城巳代治、主演丘さとみ、1959年6月16日公開 - チーフ助監督、100分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]
- 『秘密』 : 企画本田延三郎・吉野誠一、監督家城巳代治、主演江原真二郎、1960年4月5日公開 - チーフ助監督、83分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]
- 『宇宙快速船』 : 企画根津昇・吉川義一、脚本森田新、助監督佐藤純彌、主演千葉真一、製作東映東京撮影所、配給ニュー東映、1961年7月19日公開 - 監督(昇進第1作)、74分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]・2013年東映ビデオがDVD発売[6][11]
- 『ある日のバス通り裏』 : 企画住友銀行、原作・脚本筒井敬介、製作東映商事、1962年公開 - 監督、16mmフィルム上映用プリントが現存[16]
- 『特別機動捜査隊』 : 脚本大和久守正、主演千葉真一、1963年3月31日公開 - 監督、60分の原版が現存・東映チャンネルが放映[18]
- 『特別機動捜査隊 東京駅に張り込め』 : 脚本佐治乾・永田俊夫、主演千葉真一、1963年5月12日公開 - 監督、67分の原版が現存・東映チャンネルが放映[19]
- 『路傍の石』 : 企画本田延三郎・渡辺洋一、監督・脚本家城巳代治、主演淡島千景、1964年6月14日公開 - チーフ助監督、97分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]
- 『飢餓海峡』 : 企画辻野公博・吉野誠一・矢部恒、監督内田吐夢、チーフ助監督山内柏、主演三国連太郎、1965年1月15日公開 - セカンド助監督、183分の原版が現存・2011年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『あの雲に歌おう』 : 企画秋田亨、脚本須崎勝彌、主演本間千代子、1965年1月15日公開 - 監督、85分の原版が現存・2013年東映ビデオがDVD発売[6][11]
- 『カミカゼ野郎 真昼の決斗』 : 監督深作欣二、主演千葉真一、製作にんじんプロダクション・国光影業、配給東映、1966年6月4日公開 - 深作欣二・池田雄一とともに脚本、90分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]・2013年東映ビデオがDVD発売[6]
- 『北海の暴れ竜』 : 監督深作欣二、主演梅宮辰夫、1966年10月25日公開 - 植木照男とともに企画、85分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]・2013年東映ビデオがDVD発売[6][11]
- 『残侠あばれ肌』 : 監督佐伯清、主演梅宮辰夫、1967年1月14日公開 - 吉田達とともに企画、89分の原版が現存・東映チャンネルが放映[20]
- 『河内遊侠伝』 : 監督鷹森立一、主演千葉真一、1967年12月1日公開 - 今田智憲・扇沢要とともに企画、88分の原版が現存・東映チャンネルが放映[21]
- 『陸軍諜報33』 : 監督小林恒夫、助監督三堀篤、主演千葉真一、1968年2月9日公開 - 今田智憲・栗山富郎とともに企画、88分の原版が現存・東映チャンネルが放映[22]
- 『あゝ予科練』 : 監督村山新治、主演鶴田浩二、1968年6月1日公開 - 俊藤浩滋・秋田亨とともに企画、111分の原版が現存・2005年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『喜劇"夫"売ります!!』 : 監督瀬川昌治、主演フランキー堺、1968年11月9日公開 - 秋田亨とともに企画、東映チャンネルが放映
- 『ガンマー第3号 宇宙大作戦』[10][11](『ガンマ3号 宇宙大作戦』[12]) : 監督深作欣二、主演ロバート・ホートン、製作東映東京撮影所・ラムフィルム、配給東映、1968年12月19日公開 - 扇沢要とともに企画、90分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]・77分版の原版に基づき2012年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『妾二十一人 ど助平一代』 : 監督・脚本成沢昌茂、主演三木のり平、1969年3月6日公開 - 園田実彦とともに企画、90分の原版が現存・東映チャンネルが放映[23]
- 『笑ってよいしょ』 : 監督渡邊祐介・鷹森立一・小山幹夫・小林恒夫、主演三遊亭圓楽、製作日本テレビ放送網・東映、1969年4月8日 - 同年6月17日放映(連続テレビ映画) - 鎌田哲也・清水欣也・泊懋とともに企画
- 『日本暴力団 組長』 : 監督深作欣二、主演鶴田浩二、1969年7月8日公開 - 俊藤浩滋・吉田達とともに企画、96分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]
- 『必殺博奕打ち』 : 監督佐伯清、主演鶴田浩二、製作東映京都撮影所、配給東映、1969年9月6日公開 - 橋本慶一とともに企画、94分の原版が現存・東映チャンネルが放映[24]
- 『セブンティーン -17才-』 : 監督小山幹夫・野田幸男・高桑信、主演岡田由紀子、製作日本テレビ放送網・東映、1969年7月29日 - 同年9月30日放映(連続テレビ映画) - 清水欣也・泊懋とともに企画
- 『血染の代紋』 : 監督深作欣二、助監督三堀篤、主演梅宮辰夫、1970年1月31日公開 - 俊藤浩滋とともに企画、87分の上映用プリントをNFCが所蔵[8]・2010年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『任侠興亡史 組長と代貸』 : 監督降旗康男、主演鶴田浩二、1970年2月21日公開 - 俊藤浩滋とともに企画、96分の原版が現存・2007年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『現代女胴師』[10](『現代女刷師』[12]) : 監督高桑信、主演八代万智子、1970年3月29日公開 - 俊藤浩滋とともに企画
- 『やくざ刑事』 : 監督野田幸男、主演千葉真一、1970年5月23日公開 - 佐藤雅夫とともに企画、89分の原版が現存・東映チャンネルが放映[25]
- 『やくざ刑事 マリファナ密売組織』 : 監督野田幸男、主演千葉真一、1970年10月17日公開 - 高村賢治とともに企画、87分の原版が現存・東映チャンネルが放映[26]
- 『最後の特攻隊』 : 監督佐藤純彌・三堀篤、主演鶴田浩二、1970年10月29日公開 - 俊藤浩滋とともに企画、112分の原版が現存・東映チャンネルが放映[27]
- 『やくざ刑事 恐怖の毒ガス』 : 監督鷹森立一、主演千葉真一、1971年4月16日公開 - 高村賢治とともに企画
- 『やくざ刑事 俺たちに墓はない』 : 監督鷹森立一、主演千葉真一、1971年8月13日公開 - 高村賢治とともに企画、86分の原版が現存・東映チャンネルが放映[28]
- 『狼やくざ 葬いは俺が出す』 : 監督斎藤武市、主演千葉真一、1972年11月7日公開 - 企画、89分の原版が現存・東映チャンネルが放映[29]
- 『ボディガード牙』 : 監督鷹森立一、助監督橋本新一、主演千葉真一、1973年5月24日公開 - 高村賢治とともに企画、87分の原版が現存・東映チャンネルが放映[30]
- 『温泉おさな芸者』 : 監督鷹森立一、助監督田村猛、主演深田ミミ、製作東映京都撮影所、配給東映、1973年7月4日公開 - 企画、77分の原版が現存・2012年東映ビデオがDVD発売[6][11]
- 『ボディガード牙 必殺三角飛び』 : 監督鷹森立一、助監督小平裕、主演千葉真一、1973年10月13日公開 - 企画、東映チャンネルが放映
- 『ルバング島の奇跡 陸軍中野学校』 : 監督佐藤純彌、助監督岡本明久、主演千葉真一、1974年6月15日公開 - 寺西国光とともに企画、96分の原版が現存・東映チャンネルが放映[31]
- 『従軍慰安婦』 : 監督鷹森立一、原作千田夏光、脚本石井輝男、助監督澤井信一郎、主演中島ゆたか、1974年7月17日公開
- 『若い貴族たち 13階段のマキ』 : 監督内藤誠、助監督馬場昭格、主演志穂美悦子、1975年3月8日公開 - 寺西国光とともに企画、79分の原版が現存・東映チャンネルが放映[32]
- 『青い性』 : 監督・脚本小平裕、助監督馬場昭格、主演三東ルシア、1975年6月21日公開
- 『けんか空手 極真拳』 : 監督山口和彦、助監督福島通夫、主演千葉真一、1975年8月9日公開 - 企画、88分の原版が現存・2009年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『実録三億円事件 時効成立』 : 監督石井輝男、助監督福島通夫、主演小川真由美・岡田裕介、1975年11月22日公開 - 坂上順とともに企画、88分の原版が現存・2012年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『けんか空手 極真無頼拳』 : 監督山口和彦、助監督岡本明久、主演千葉真一、1975年12月27日公開 - 企画、88分の原版が現存・2009年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『横浜暗黒街 マシンガンの竜』 : 監督岡本明久、助監督福島通夫、主演菅原文太、1976年2月28日公開 - 俊藤浩滋とともに企画、93分の原版が現存・東映チャンネルが放映[33]
- 『武闘拳 猛虎激殺!』 : 監督山口和彦、助監督深町秀煕、主演倉田保昭、1976年8月7日公開 - 企画、88分の原版が現存・2012年東映ビデオがDVD発売[6][11]
- 『安藤昇のわが逃亡とSEXの記録』 : 監督田中登、助監督福島通夫、主演安藤昇、1976年10月1日公開 - 吉田達とともに企画、85分の原版が現存・東映チャンネルが放映[34]
- 『新宿酔いどれ番地 人斬り鉄』 : 監督小平裕、助監督新井清、主演菅原文太、1977年4月8日公開 - 高村賢治とともに企画、87分の原版が現存・東映チャンネルが放映[35]
- 『ドカベン』 : 監督鈴木則文、助監督森光正、主演永島敏行・川谷拓三、1977年4月29日公開 - 企画、85分の原版が現存・2012年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『空手バカ一代』 : 監督山口和彦、助監督橋本新一、主演千葉真一、1977年5月14日公開 - 企画、91分の原版が現存・東映チャンネルが放映[36]
- 『ボクサー』 : 監督寺山修司、助監督新井清、主演菅原文太・清水健太郎、1977年10月1日公開 - 俊藤浩滋・天尾完次とともに企画、94分の原版が現存・2007年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『二百三高地』 : 監督舛田利雄、助監督馬場昭格、主演仲代達矢、1980年8月2日公開 - 幸田清・天尾完次・瀬戸恒雄とともに企画、189分の原版が現存・2014年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『二百三高地 愛は死にますか』 : 監督舛田利雄・村山新治・馬場昭格、主演田村高廣、製作東映・TBSテレビ、1981年1月7日 - 同年2月25日放映(連続テレビ映画) - 天尾完次・桑原秀郎・樋口祐三とともに企画、379分の原版が現存・2009年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『大日本帝国』 : 監督舛田利雄、助監督蔦林淳望、主演丹波哲郎、1982年8月7日公開 - 幸田清・天尾完次・瀬戸恒雄とともに企画、180分の原版が現存・2014年東映ビデオがDVD発売[11]
- 『海にかける虹〜山本五十六と日本海軍』 : 監督渡邊祐介・村山新治・鷹森立一、主演古谷一行、製作東映・テレビ東京、1983年1月2日放映(テレビ映画・12時間超ワイドドラマ) - 大久保忠幸・東一盛・池田清[要曖昧さ回避]とともに企画
- 『日本海大海戦 海ゆかば』 : 監督舛田利雄、助監督蔦林淳望、主演三船敏郎、1983年6月4日公開 - 幸田清・天尾完次・瀬戸恒雄とともに企画、131分の原版が現存・2014年東映ビデオがDVD発売[11]
ビブリオグラフィ
[編集]国立国会図書館蔵書等にみる単著・論文等の書誌である[5][6]。
単著
[編集]- 『夢を吐く 人間内田吐夢』、社会思想社、1985年3月発行 ISBN 4390602810 - 内田吐夢評伝
論文・記事
[編集]- 「音・色・ワイドの次のもの」太田浩児 : 『映画評論』第16巻第3号所収、新映画、1959年3月発行、p.82.
- 「映画ストーリー『やくざ刑事』」太田浩児・高村賢治・神波史男・鷹森立一・柳柊二 : 『近代映画』第27巻第8号通巻359号所収、近代映画社、1971年8月発行、p.164.
- 「書きたいテーマ・出したい本」上野千鶴子・太田浩児 : 『出版ニュース』第1359号所収、出版ニュース社、1985年6月発行、p.20.
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m キネ旬[1976], p.79-80.
- ^ a b c d e 太田[1985], p.239.
- ^ a b c d e 埼玉[1994], p.64.
- ^ a b c d e 台帳[2001], p.2288.
- ^ a b c 太田浩児、Webcat Plus, 国立情報学研究所、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d Kôji Ôta, インターネット・ムービー・データベース 、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 太田浩児、東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 太田浩児、文化庁、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 太田浩児、KINENOTE, 2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 太田浩児、allcinema, 2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 太田浩児、日本映画データベース、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k 太田浩児、日本映画製作者連盟、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e 太田浩児、テレビドラマデータベース、2014年12月5日閲覧。
- ^ 飯塚増一 - 日本映画データベース、2014年12月5日閲覧。
- ^ a b ある日のバス通り裏、短篇映画研究会、2014年4月20日付、2014年12月5日閲覧。
- ^ どたんば、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 特別機動捜査隊、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 特別機動捜査隊 東京駅に張り込め、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 残侠あばれ肌、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 河内遊侠伝、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 陸軍諜報33、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 妾二十一人 ど助平一代、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 必殺博奕打ち、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ やくざ刑事、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ やくざ刑事 マリファナ密売組織、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 最後の特攻隊、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ やくざ刑事 俺たちに墓はない、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 狼やくざ 葬いは俺が出す、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ ボディガード牙、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ ルバング島の奇跡 陸軍中野学校、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 若い貴族たち 13階段のマキ、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 横浜暗黒街 マシンガンの竜、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 安藤昇のわが逃亡とSEXの記録、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 新宿酔いどれ番地 人斬り鉄、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
- ^ 空手バカ一代、東映チャンネル、2014年12月5日閲覧。
参考文献
[編集]- 『日本映画監督全集』、『キネマ旬報』第698号、キネマ旬報社、1976年12月24日発行
- 『夢を吐く 人間内田吐夢』、太田浩児、社会思想社、1985年3月発行 ISBN 4390602810
- 『埼玉年鑑1994』、埼玉新聞社、1994年発行
- 『著作権台帳第26版』、日本著作権協議会、2001年10月発行
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 太田浩児 - Webcat Plus
- Kôji Ôta - IMDb (脚本家・大田光一との混同あり)
- 太田浩児 - KINENOTE
- 太田浩児 - allcinema
- 太田浩児 - 日本映画データベース
- 太田浩児 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 太田浩児 - 文化庁日本映画情報システム
- 太田浩児 - 日本映画製作者連盟
- 太田浩児 - テレビドラマデータベース