奥沢善二
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個人情報 | |
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国籍 | 日本 |
生誕 | 1937年11月26日 |
死去 | 2021年7月5日(83歳没) |
スポーツ | |
競技 | 中距離走 |
奥沢 善二(おくざわ ぜんじ、1937年11月26日 - 2021年7月5日[1])は、日本の陸上競技(中距離走)選手。
1964年東京オリンピックの男子3000メートル障害に出場した[2]。
経歴
[編集]栃木県立佐野高等学校から東洋大学に入学[1]。1960年、東洋大学経済学部卒業[3]。卒業後は東京急行電鉄に入社[3]。1962年の日本陸上競技選手権大会男子3000m障害優勝。同年のアジア競技大会(ジャカルタ)で、3000m障害銅メダル(1962年アジア競技大会における陸上競技)。
1964年東京オリンピックの前年、膝を骨折する大けがを負い、最終選考会に落選[3]。しかし開会式3週間前に開催された「敗者復活戦」で出場権を勝ち取り、日本代表選手団(357人)で最後に代表に選ばれた選手となった[3]。男子3000メートル障害に出場するが、予選失格となる[3][4]。 なお、奥沢は東洋大学出身者初のオリンピック選手である[3][注釈 1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 長距離走の池中康雄は、1936年ベルリンオリンピック・1940年東京オリンピックへの出場が確実視されながらも逃しており、「幻のオリンピアン」と呼ばれる[誰によって?][5]。
出典
[編集]- ^ a b “前回東京五輪で輝いた佐野高OB紹介 佐野ケーブルテレビが特番 ブルーインパルス藤縄さんと陸上3000メートル障害の故奥沢さん”. 下野新聞社 (2021年7月24日). 2021年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “Zenji Okuzawa Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月22日閲覧。
- ^ a b c d e f “4.1964年 東京オリンピックと東洋大学”. 東洋大学 オリンピック・パラリンピック連携事業. 2021年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。
- ^ “過去大会の出場選手”. 東洋大学 オリンピック・パラリンピック連携事業. 2021年7月28日閲覧。
- ^ “3.“幻のオリンピアン” 池中康雄”. 東洋大学 オリンピック・パラリンピック連携事業. 2021年7月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月28日閲覧。