岩水嘉孝

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 岩水 嘉孝 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム いわみず よしたか
ラテン文字 IWAMIZU Yoshitaka
国籍 日本の旗 日本
種目 障害走長距離走
所属 トヨタ自動車富士通
生年月日 (1979-06-20) 1979年6月20日(45歳)
生誕地 愛知県豊橋市
身長 174 cm
体重 53 kg
引退 2013年
自己ベスト
5000m 13分37秒99 (2005年)
10000m 28分17秒80 (2010年)
3000mSC 8分18秒93 (2003年)
ハーフマラソン 1時間02分21秒 (2000年)
マラソン 2時間16分59秒 (2012年)
獲得メダル
陸上競技
アジア競技大会
2002年 釜山 男子3000m障害走
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岩水 嘉孝(いわみず よしたか、1979年6月20日 - )は、日本の元陸上競技選手・現指導者愛知県豊橋市出身、174 cm・53 kg。

3000m障害男子の元日本記録保持者。2003年世界陸上パリ大会男子3000m障害で決勝11位。2002年釜山アジア大会男子3000m障害で準優勝・銀メダル獲得。2004年アテネオリンピック2008年北京オリンピック代表。

豊橋市立青陵中学校豊川高等学校順天堂大学トヨタ自動車富士通資生堂ランニングクラブのアシスタントコーチヘッドコーチを経て、監督に就任。

経歴

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愛知・豊川高校時代にインターハイの3000m障害に優勝した。

順天堂大学在学中は全日本インカレで同種目優勝、箱根駅伝でも優勝メンバーに名を連ねる。同学年の入船満[注 1] 奥田真一郎・野口英盛・坂井隆則とともに順大クインテットと呼ばれて[注 2] 3年次には出雲全日本箱根の学生駅伝三冠に貢献した。4年次には主将として出雲駅伝三連覇に貢献したが、2区で出場予定だった第78回箱根駅伝は肺気胸による入院のために欠場した。

トラック5000mクロスカントリー、ロードのハーフマラソンなど長い距離への順応性もあり、トヨタ自動車に所属していた頃は駅伝競走もこなしていた。しかし、2008年3月末に北京オリンピックで3000m障害に専念できる環境を求めトヨタ自動車を退職、4月22日付で富士通への入社となった。

400mH為末大、棒高跳の澤野大地のように、ヨーロッパ各地の主要大会[注 3] を転戦し、海外の競技者と闘っている。 華麗なハードリングで世界のトップクラスに挑む、日本のSteeple Chaseのパイオニアである。

体幹を意識的に鍛えたり、リズムを高めるためのエアロビクスを取り入れるなど、オリジナリティ・バラエティに富んだ練習を模索していた。

2009年8月23日ベルリン世界陸上大会の女子マラソンにおいて、岩水は終盤35 km付近の給水ポイントの係員を務めていた。その地点で、一度はボトルを落とし給水に失敗した尾崎好美選手に対し岩水は全力疾走で追走し、取り損ねたボトルを尾崎に手渡すという好援護をした。この効果もあってか、結果尾崎は2位入賞を果たし、銀メダルを獲得した[1][2][出典無効]

2012年3月4日、自身唯一のフルマラソン挑戦だったびわ湖毎日マラソンに出場するも上位争いにはほとんど絡めず、2時間16分59秒の36位に終わった。その後6月の日本選手権には出場しなかったため、3大会連続となる同年8月開催の2012年ロンドンオリンピック代表入りはならなかった。

2013年3月に富士通を退社し現役引退、同年4月からは資生堂RCの指導者として活動。JOCの推薦により2015年12月より1年の期間で、スポーツ指導者の海外研修(オーストラリアメルボルン トラッククラブ)へ派遣。2021年6月1日より監督に就任。

3000メートル障害

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前記の通り高校時代のインターハイで優勝経験を持つ。

2001年から2005年まで、日本選手権5連覇。2007年から2009年までは3連覇し、同種目で8度の優勝を果たした。

2002年釜山アジア大会では2位入賞を果たし、銀メダルを獲得(8分31秒75)。

2003年6月25日にスイスのルツェルン国際でA標準記録を突破する(8分23秒53)。同年8月のパリ世界陸上大会予選では、23年ぶりに日本記録を更新(8分18秒93)した。また同種目で31年ぶりに国際大会の決勝進出を果たす健闘を見せる(11位・8分19秒29)。また、日本人としては初めて、同種目で8分20秒未満を2回記録した。予選で樹立した日本記録は、2021年5月9日に順天堂大学の後輩である三浦龍司が8分17秒46をマークするまで、18年近く破られなかった[3]

2007年6月のプレフォンテイン・クラシックでA標準を突破(8分23秒31)し、同年大阪で行われた世界選手権に4回連続で出場した。

主な戦績

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3000mSC 5000m 10000m ハーフマラソン マラソン 戦績
1995年 14分56秒07
1996年 8分56秒85 14分16秒30
1997年 8分55秒35 14分34秒64 31分56秒86 京都インターハイ3000mSC 1位
1998年 14分12秒50
1999年 8分45秒54 14分04秒88 29分28秒16 第75回箱根駅伝1区8位
2000年 8分32秒99 13分51秒27 28分59秒38 1時間02分21秒 第76回箱根駅伝1区2位
京都シティハーフマラソン 3位
2001年 8分26秒77 13分51秒64 28分26秒18 第77回箱根駅伝2区4位
北京ユニバーシアード3000mSC 5位
日本選手権3000mSC 1位 エドモントン世界選手権3000mSC予選
2002年 8分31秒75 13分41秒72 日本選手権3000mSC 1位 釜山アジア大会3000mSC 2位
2003年 8分18秒93
※日本記録
13分49秒64 28分31秒73 日本選手権3000mSC 1位 パリ世界選手権3000mSC 決勝11位
2004年 8分27秒46 13分47秒74 世界クロカン・シニア12km決勝
世界クロカン・シニア4km 96位
日本選手権3000mSC 1位 アテネオリンピック3000mSC予選
2005年 8分22秒54 13分37秒99 東アジア大会3000mSC 1位 日本選手権3000mSC 1位 ヘルシンキ世界選手権3000mSC予選
2006年 8分34秒17 13分58秒81 28分34秒35 世界クロカン・シニア4km 106位 日本選手権3000mSC 2位
2007年 8分23秒31 28分18秒64 プレフォンテイン・クラシック3000mSC 4位
世界クロカン・シニア12km 54位(日本人1位)
日本選手権3000mSC 1位 大阪世界選手権3000mSC予選
2008年 8分29秒75 日本選手権3000mSC 1位 北京オリンピック3000mSC予選
2009年 8分34秒95 日本選手権3000mSC 1位 ベルリン世界選手権3000mSC予選
2010年 28分17秒80 全日本実業団対抗陸上選手権10000m 12位
2012年 2時間16分59秒 びわ湖毎日マラソン 36位
2013年 1時間02分39秒 香川丸亀国際ハーフマラソン 26位

太字は自己ベスト

脚注

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注釈

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  1. ^ カネボウに所属する入船敏の実弟。
  2. ^ ただし、坂井は2年次まで目立った活躍をしておらず、当初は岩水・入船・奥田・野口の4人が順大カルテットと呼ばれた。順大クインテットと呼ばれるようになるのは3年次になってからである。
  3. ^ ゴールデンリーグやグランプリと呼ばれる

出典

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  1. ^ 尾崎銀メダル!ニューヒロイン登場だ”. スポーツニッポン (2009年8月24日). 2009年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年8月25日閲覧。
  2. ^ 世界陸上女子マラソンの尾崎好美銀メダルを支えた、岩水嘉孝さんGJの巻。”. スポーツ見るもの語る者 (2009年8月24日). 2009年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年9月1日閲覧。
  3. ^ 順大・三浦龍司が3000m障害で18年ぶり日本新!東京五輪参加標準突破「ビックリで素直にうれしい」/東京五輪テストイベント”. 月陸Online (2021年5月9日). 2021年5月9日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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