常磐線
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常磐線 | |||
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基本情報 | |||
通称 | |||
国 | 日本 | ||
所在地 | 東京都、千葉県、茨城県、福島県、宮城県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・幹線) | ||
起点 | 日暮里駅[1][2] | ||
終点 | 岩沼駅 | ||
駅数 | 80駅 | ||
電報略号 | シハセ[3] | ||
路線記号 | (日暮里駅 - 取手駅間の急行線)[注 4] (綾瀬駅 - 取手駅間の緩行線) | ||
開業 | 1889年1月16日 | ||
所有者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) | ||
運営者 |
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使用車両 | 運行車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | |||
軌間 | 1,067 mm | ||
線路数 | 複々線(綾瀬駅 - 取手駅間) 複線(日暮里駅 - 綾瀬駅間、取手駅 - 四ツ倉駅間、広野駅 - 木戸駅間) 単線(上記以外) | ||
電化区間 | 全線 | ||
電化方式 | |||
閉塞方式 |
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最高速度 | 130 km/h | ||
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常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅[1][2]から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側(浜通り)を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅[1][2]までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。「本線」および「新幹線」を名乗らないJR線の中では、最も長い路線である。
列車運行上の常磐線は、東北本線の上野駅 - 日暮里駅間および岩沼駅 - 仙台駅間を含めた東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅まで(363.5 km)であるが、「上野東京ライン」として運行される品川駅 - 上野駅間を含めた「品川駅 - 仙台駅」を常磐線として表記している例もある[注 5]。
本記事では品川駅 - 東京駅間について、常磐線内の方向に合わせて品川行きを「上り」、品川発を「下り」と記述する。
また、通常運転系統上の「常磐線」は、中距離列車(中距離電車)や特急列車などの列車系統のみを指し、取手駅以南の複々線区間を運転する電車系統の常磐快速線・常磐緩行線とは区別される。本記事での運転系統としての記述は主に前者について取り上げる。
概要
[編集]東京から仙台までを、千葉県の松戸・柏・我孫子、茨城県の取手・土浦・水戸・日立を経て、福島県のいわき・相馬など浜通り(太平洋沿岸)地域を経由して結ぶ路線である。首都圏と沿線各都市を結ぶ特急列車や、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車も運行されている。また首都圏側の取手駅以南では東京への通勤輸送の役割も担う。綾瀬駅 - 取手駅間は急行線(快速線)と緩行線の線路別複々線となっており、緩急分離運転を実施している(運転行態については後述)。
全線が電化されているが、区間により電化方式が異なっている。上野駅から取手駅までは直流電化だが、藤代駅より北は沿線の茨城県石岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所の観測に直流電化方式が悪影響を及ぼすという事情から交流電化が採用され、取手駅と藤代駅の間にデッドセクションが設けられている[4]。
2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害と、それに起因した福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生当初は警戒区域)設定のため、一部区間が不通となり、列車代行バスが運行されていた時期があった[5](詳細後述)。
名称の由来
[編集]茨城県の大半にあたる常陸国の別称である常州(じょうしゅう)と福島県東部および宮城県南部にあたる磐城国の別称である磐州(ばんしゅう)を合成した常磐(じょうばん)を路線名とする[注 6]。なお、磐城国は1869年に陸奥国を分割して新設された国である。
この経緯に由来して、茨城県と福島県浜通りの県境に当たる勿来近辺(北茨城市からいわき市の南半分)は「常磐地区」と呼ばれることもあり、1954年から1966年のいわき市成立までは、湯本温泉周辺を中心とする常磐市(じょうばんし)が存在していた。また、水戸市では常磐町・常磐大学・常磐神社といった、同じ字で「ときわ」と読む地名や施設なども存在する。「ときわ」は、常磐線でもかつて急行列車の愛称として使用され、特急「ひたち」への統一後も茨城県北部から福島県浜通りの沿線の観光キャンペーンや茨城県内に有効なフリーきっぷの名称として「ときわ路」が使用されている。なお、列車愛称の「ときわ」は2015年3月14日のダイヤ改正で特急列車として復活したが、大半は以前の急行同様茨城県内発着の列車となる。
常磐線の大半の区間は常陸国と磐城国だが、起点からしばらくの区間は武蔵国と下総国、終点直前の区間は陸前国となっており、旧国と駅の関係は以下のようになる。
- 武蔵国:東京都・日暮里駅 - 同・金町駅 (11.8 km)
- 下総国:千葉県・松戸駅 - 茨城県・藤代駅 (27.7 km)
- 常陸国:茨城県・龍ケ崎市駅 - 同・大津港駅 (133.2 km)
- 磐城国:福島県・勿来駅 - 宮城県・逢隈駅 (154.6 km)
- 陸前国:宮城県・岩沼駅 (- km)
路線データ
[編集]- 路線距離(営業キロ):全長351.0km
- 軌間:1,067mm [1]
- 駅数:80(本線の起終点駅と偕楽園駅・隅田川駅を含む。支線の終点は除外)
- 常磐線所属駅に限定した場合、日暮里駅と岩沼駅(ともに東北本線所属[6])が除外され、78駅となる。
- 複線区間
- 電化区間:全線
- 閉塞方式
- 最高速度(電車または気動車)
- (品川駅 - )日立駅間:130km/h[注 7]
- 日立駅 - いわき駅間:120km/h
- いわき駅 - 岩沼駅間:100km/h
- 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):90km/h
- 田端信号場駅 - 隅田川駅間(田端貨物線):95km/h
- 南千住駅 - 隅田川駅間(隅田川貨物線):95km/h
- 運転指令所
- 上野駅 - 羽鳥駅間:東京総合指令室
- 羽鳥駅 - 岩沼駅間:水戸総合指令室
- 綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):東京総合指令室
- 列車運行管理システム
- 上野駅 - 羽鳥駅間、綾瀬駅 - 取手駅間(緩行線):東京圏輸送管理システム (ATOS)
- 旅客運賃・乗車券関連
なお、JR東日本の各支社の管轄は以下の通り。
沿線概況
[編集]停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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品川 - 日暮里
[編集]日暮里 - 取手
[編集]品川駅から日暮里駅までは山手線など多くの路線と併走し、日暮里から東北本線と分かれる。北千住駅付近まで、日光街道沿いの下町の中を走り、荒川を渡る手前で地下鉄千代田線と合流し、綾瀬駅まで並行する。綾瀬駅から取手駅までは複々線区間となり、千代田線から直通する各駅停車は小田急線直通急行・準急も含め、綾瀬駅を出ると亀有駅、金町駅の順に各駅に停車するが、品川・上野方面からの快速電車は松戸駅、柏駅、我孫子駅といった市の中心駅しか停まらない。
江戸川を渡り、東京都葛飾区から千葉県松戸市へ入ると、矢切の田園地帯にて緩行線と快速線が交差した後、線路は地上へ降りる。松戸駅では新京成電鉄新京成線、柏駅では東武鉄道野田線と連絡し、我孫子駅では成田線が分岐する。天王台駅を過ぎると千葉県と茨城県の境である利根川の利根川橋梁を渡って茨城県に入り、電車特定区間の終点である取手駅へ至る。
取手 - いわき
[編集]取手駅と藤代駅の間にデッドセクションがあり、以北は交流電化されているため、直流電車は通れない。取手駅から先は交直流電車のみが走る区間となる。旧型車両ではデッドセクション区間で非常用電源に切りかわり、車内が消灯していた。
茨城県の取手市から龍ケ崎市・牛久市・土浦市・石岡市・小美玉市・笠間市・水戸市・ひたちなか市・那珂郡東海村・日立市・高萩市・北茨城市を経由し、茨城県と福島県浜通りの境に当たる勿来関を越えて、福島県いわき市に入ると、浜通り地方で最初の駅、勿来駅に至る。そのまま福島県内を北上し、浜通り南部の中心地いわき駅に至る。
いわき - 岩沼
[編集]いわき駅を出て、四ツ倉駅を過ぎると単線になる。この区間は電化時に古いトンネルを放棄しているため廃トンネルが多数みられる。竜田駅を出発すると常磐線最長の金山トンネルを通過し、富岡駅に到着する。
富岡駅から浪江駅までの区間は、2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災および福島第一原子力発電所事故の影響で最後まで不通となっていたが、2020年(令和2年)3月14日に復旧を終えて運転を再開し、常磐線は9年ぶりに全線で運転を再開した。
富岡駅から夜ノ森駅、大野駅と過ぎて、福島第一原子力発電所の煙突を背にしながら、双葉駅に到着する[注 8]。さらに浪江駅、小高駅を経て、「雲雀原」の異名を持つ南相馬市の中心駅・原ノ町駅に到着する。
原ノ町駅では、2007年以降普通列車の系統が分断されており、現在は全ての普通列車において乗り換えが必要である。その後旧鹿島町の中心駅鹿島駅、相馬市の中心駅・相馬駅などを経て、駒ケ嶺駅を過ぎると、2016年に完成した津波被害からの復旧区間に入る。
新地駅を過ぎると、浜通りから脱して宮城県へ入り、坂元駅・山下駅を過ぎると、浜吉田駅の手前で廃線となった従来線と合流する。その後、亘理駅、逢隈駅を過ぎ阿武隈川を渡ると、常磐線としての終点である岩沼駅に到着し、日暮里駅で分かれた東北本線に合流する。
歴史
[編集]最初の開業区間は、1889年(明治22年)に水戸鉄道として現在の水戸線とひとつながりで開業した友部(路線開業時は駅無し、1895年設置) - 水戸間である[注 9]。
1896年(明治29年)には日本鉄道により田端 - 水戸間が開通する[7]。実質的な常磐線としての建設は、それまで船に頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確保を目的としていた[8]。このため、現在の山手線を経由して東海道本線に抜けられるように田端駅を起点とした。
上野駅への乗り入れ線の建設は、南千住から南へ分岐する構想もあったが(フランツ・バルツァーによる計画)、三河島駅から日暮里駅までを連絡させたことで急カーブを描く線形となった。効率的な石炭輸送をはかるために、明治時代から複線化工事が開始された[9]。常磐炭田の石炭輸送のほか、日立鉱山、日立製作所関連の人員・物資輸送で、常磐線は戦前・戦後を通じて国内経済発展に欠かせない存在となっていった[10]。
1898年(明治31年)に岩沼駅まで全通した後は、東北本線のバイパスとして機能した。関東地方と東北地方を結ぶ鉄道路線の中でも海岸沿いを走るため線路が東北本線に比べて平坦である点が蒸気機関車牽引の列車にとって最大の利点であったこと、平駅(現在のいわき駅)までの複線化も早期に行われたこと、さらに、奥羽本線への直通列車設定も必要だった東北本線に比べ、ターゲットを上野と仙台以北との往来に絞れたことから、仙台駅以北に直通する旅客列車が常磐線を経由して走るようになり、1920年(大正9年)に経路特定区間制度が設定された時、日暮里 - 岩沼間が最初の設定区間の一つに指定されている。1958年(昭和33年)に東京以北で初の特急列車として登場した「はつかり」も、当初は常磐線経由で設定された。東北本線の電化・複線化が進むにつれ、まず「はつかり」など昼行の長距離優等列車から東北本線経由への整理統合が進んだが、東北本線が通勤時間帯に混雑することや奥羽本線への直通夜行列車が多数設定されたことから仙台駅以北に直通する夜行寝台列車はなお常磐線経由が主力であった。
石炭輸送を目的とした急行貨物「ひたち号」が1964年(昭和39年)に開始されたが、その後まもなくエネルギー革命によって炭鉱が次々と閉山に追い込まれ、1973年(昭和48年)を最後に常磐線の当初の目的であった石炭輸送の役目は終わりを迎えた[8]。その一方で旅客面では、1969年(昭和44年)10月に上野 - 平間に特急「ひたち」が運転を開始し、1985年(昭和60年)につくば市で開催された科学万博期間中は全国から訪れる観客の輸送を引き受けた[7]。このとき臨時駅(万博中央駅)も設置され、“赤電”のニックネームで親しまれた列車も、白地に青線へ化粧直しされた[7]。1987年(昭和62年)4月、当時20兆円の累積赤字を抱えていた国鉄が分割・民営化され、常磐線はJR東日本の一路線として再スタートを切った[7]。しかし、東北新幹線の開業以後は常磐線から仙台駅以北に直通する旅客列車が大幅に減り、東北本線のバイパスとしての存在意義が失われたことから、長らく設定されていた日暮里 - 岩沼間の経路特定区間制度は2001年(平成13年)に廃止された。
年表
[編集]水戸鉄道・日本鉄道
[編集]- 1889年(明治22年)1月16日:水戸鉄道 水戸 - 小山間開業。現在の常磐線にあたる区間に水戸駅、内原駅開業。
- 1890年(明治23年)11月26日:水戸鉄道 貨物支線 水戸 - 那珂川間開業。那珂川貨物取扱所(後の那珂川駅)開業。
- 1892年(明治25年)3月1日:水戸鉄道全線を日本鉄道に譲渡。水戸線となる。
- 1894年(明治27年)1月4日:水戸線 赤塚駅開業。
- 1895年(明治28年)
- 1896年(明治29年)12月25日:土浦線 田端 - 土浦間、隅田川線 田端 - 隅田川間開業。南千住駅、北千住駅、松戸駅、柏駅、我孫子駅、取手駅、藤代駅、牛久駅、荒川沖駅、隅田川駅開業。
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)
- 1900年(明治33年)8月14日:佐貫駅(現在の龍ケ崎市駅)開業。
- 1901年(明治34年)8月8日:土浦線・水戸線友部 - 水戸間および貨物支線・磐城線・隅田川線を統合し海岸線と改称。
- 1904年(明治37年)11月22日:大野駅開業。
- 1905年(明治38年)4月1日:三河島 - 日暮里間が開通し、現在のルートが完成。日暮里駅、三河島駅開業。上野発着列車の田端駅でのスイッチバック運転解消。
国有化後
[編集]- 1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道国有化。那珂川貨物取扱所を那珂川駅に変更。
- 1909年(明治42年)
- 1910年(明治43年)
- 1911年(明治44年)
- 1912年(明治45年)5月10日:北小金 - 我孫子間複線化。
- 1913年(大正2年)
- 1915年(大正4年)
- 5月1日:勝田 - 佐和間複線化。
- 6月1日:吉田駅を浜吉田駅に改称。
- 1916年(大正5年)11月:下孫 - 助川間複線化。
- 1917年(大正6年)
- 4月1日:石神 - 大甕間複線化。
- 10月1日:川尻 - 高萩間複線化。
- 1918年(大正7年)
- 1919年(大正8年)11月20日:佐和 - 石神間複線化。
- 1920年(大正9年)
- 1921年(大正10年)
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)6月20日:勿来 - 植田間複線化。
- 1925年(大正14年)
- 1935年(昭和10年)12月1日:上野駅着7:28、8時4分、8時30分の3本の列車に限り、行商隊専用客車を2両増結を開始[11]。
- 1936年(昭和11年)12月11日:日暮里 - 松戸間直流電化[12][13]。
- 1938年(昭和13年)6月29日:関東地方で豪雨。土浦駅周辺など茨城県下で冠水が相次ぎ運休[14]。
- 1939年(昭和14年)
- 10月1日:下孫駅を常陸多賀駅に改称。
- 10月20日:助川駅を日立駅に改称。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 1945年(昭和20年)2月14日:友部 - 内原間に内原操車場開設。
日本国有鉄道
[編集]- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 5月10日:関本駅を大津港駅に改称。
- 8月7日:取手駅-佐貫駅間が小貝川の氾濫で水没。しばらくの間、上野駅発青森駅行きの長距離列車は東北本線、水戸線経由の運転となる。
- 1952年(昭和27年)
- 1953年(昭和28年)10月1日:南柏駅開業。
- 1956年(昭和31年)12月20日:綴駅を内郷駅に改称。
- 1957年(昭和32年)
- 4月1日:石神駅を東海駅に改称。
- 5月17日:大野駅-長塚駅(双葉駅)間の前田川陸橋で急行「北上」の機関車と客車5両が脱線転覆。乗員乗客3人が死亡、43人が重軽傷。原因は脱線直前にトラックが陸橋に接触して線路がズレたため[17]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)10月1日:長塚駅を双葉駅に改称。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)
- 3月20日:中村駅を相馬駅に改称。
- 6月1日:取手 - 勝田間交流電化。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)3月5日:上野 - 取手間で列車防護無線の運用を開始[18]。準急「ときわ」を急行化。
- 1967年(昭和42年)
- 1968年(昭和43年)10月1日:東北本線の複線電化完成で、特急「はつかり」が東北本線経由に変更。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 1971年(昭和46年)
- 1972年(昭和47年)10月1日:内郷 - 平間にいわき貨物駅開業。
- 1973年(昭和48年)4月1日:新松戸駅開業。
- 1976年(昭和51年)
- 1978年(昭和53年)3月31日:営団地下鉄千代田線の代々木上原駅延伸開業に伴い、小田急電鉄小田原線本厚木駅まで直通運転区間が延長(当時の3社線乗り入れは営団車のみ)。
- 1982年(昭和57年)
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物支線 水戸 - 那珂川間廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:国際科学技術博覧会(筑波万博)輸送を実施。臨時駅として万博中央駅を開設(9月16日まで)。いわき貨物駅、内郷機関区廃止。急行「ときわ」廃止。
- 1986年(昭和61年)
東日本旅客鉄道
[編集]- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)12月3日:平駅をいわき駅に改称。寝台特急「ゆうづる」廃止。
- 1995年(平成7年)12月1日:E501系運用開始[41][42]。
- 1996年(平成8年)10月12・13日:常磐線開業100周年記念列車「レトロトレインときわ」運転。
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)
- 1999年(平成11年)
- 3月18日:いわき - 仙台間で701系100番台運用開始[45]。
- 9月30日:東海村JCO臨界事故により水戸 - 日立間にて運転見合わせ。
- 12月4日:緩行線で209系1000番台運用開始。
- 2001年(平成13年)11月18日[46][47]:当時の東京近郊区間に当たる日暮里 - 勝田間で、ICカード「Suica」サービス開始[46]