広坂 (金沢市)

ウィキペディアから無料の百科事典

日本 > 石川県 > 金沢市 > 広坂 (金沢市)
広坂
広坂地区を貫く百万石通り 金沢市役所前より撮影
広坂地区を貫く百万石通り
金沢市役所前より撮影
広坂の位置(金沢市街内)
広坂
広坂
広坂の位置
広坂の位置(金沢市内)
広坂
広坂
広坂 (金沢市)
広坂の位置(石川県内)
広坂
広坂
広坂 (石川県)
北緯36度33分40.85秒 東経136度39分20.52秒 / 北緯36.5613472度 東経136.6557000度 / 36.5613472; 136.6557000
日本の旗 日本
都道府県 石川県
市町村 金沢市
人口
2018年(平成30年)4月1日現在)[1]
 • 合計 69人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
920-0962[2]
市外局番 076 (金沢MA)[3]
ナンバープレート 金沢
地図広坂の位置

広坂(ひろさか)は、石川県金沢市町名。現行行政地名は広坂一丁目および広坂二丁目。郵便番号は920-0962[2]

地理

[編集]

金沢市の中心部に位置し、古くから官庁街として知られている。金沢市の繁華街である香林坊片町に隣接している地域である。

歴史

[編集]

地名の由来

[編集]
広坂の由来の碑

広坂の地名の由来としては、兼六園の南側にある坂道の名前からとされている。加賀藩の時代には現在の広坂周辺には武家屋敷が多く存在していた。当時、この坂道がかなり幅の広いもので次第に「広坂」と呼ばれるようになったとされる。現在は出羽町交差点(石川県立美術館前)から広坂交差点(石浦神社前)が坂の名前としての広坂である。

沿革

[編集]

1871年明治4年)に広坂通(ひろさかどおり)が町名として採用されて、1889年金沢市が市制施行されてからは金沢市の町名となる。1873年(明治6年)に石川県庁舎石川郡本吉町(旧美川町)から移転し、現在の金沢市役所1883年(明治16年)に当時の西町から移転してきた。また、1874年(明治7年)に石川県集成学校(現在の金沢大学の前身)が広坂通に開校したことから、明治時代からは広坂は官庁街および文教地区の体裁を持つようになった。

戦後、住居表示制度の導入により、広坂通は1964年昭和39年)に本多町三丁目(現在の石浦神社付近)、1966年(昭和41年)に広坂一丁目・二丁目、香林坊一丁目に分割された。

なお、2003年平成15年)10月1日に、金沢市の旧町名復活運動により広坂一丁目の一部が柿木畠(かきのきばたけ)として復活している。

町域の変遷

[編集]
実施後 実施年 実施前
広坂1丁目 1966年(昭和41年)2月1日[4] 里見町、上柿木畠、下柿木畠、広坂通の各一部
広坂2丁目 広坂通、仙石町、丸ノ内の各一部

世帯数と人口

[編集]

2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
広坂一丁目 36世帯 69人

小・中学校の学区

[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

丁目 番・番地等 小学校 中学校
広坂一丁目 全域 金沢市立犀桜小学校 金沢市立城南中学校

施設

[編集]
石川県政記念しいのき迎賓館
四高記念文化交流館
かつて広坂に所在した施設

交通

[編集]

バス

[編集]

北陸新幹線の開業に先立ち、北鉄バスでは2014年12月1日にバス停名称を広坂から広坂・21世紀美術館に変更した[6]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 町丁別人口・世帯数【改正後】”. 金沢市 (2018年4月1日). 2018年4月24日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年4月24日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年4月24日閲覧。
  4. ^ 『官報』号外第123号、昭和40年11月12日「自治省告示第156号」
  5. ^ 金沢市立小中学校通学区域一覧”. 金沢市. 2018年4月24日閲覧。
  6. ^ 観光客にわかりやすい「バス停留所名称」への変更および「LED行先表示」の拡大について - ウェイバックマシン(2014年12月19日アーカイブ分)
  7. ^ 市内主要停留所のりば案内”. 北陸鉄道. 2020年5月8日閲覧。
  8. ^ 城下まち金沢周遊バス”. 北陸鉄道. 2021年10月6日閲覧。
  9. ^ 金沢ライトアップバス”. 北陸鉄道. 2024年6月1日閲覧。
  10. ^ 高速バス 金沢線”. 加越能バス. 2024年6月1日閲覧。
  11. ^ まちバス運行ルート”. 2021年10月6日閲覧。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]