弦 (春秋)
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国姓 | 隗姓[2] 一説では姫姓[3] |
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爵位 | 子 |
国都 | 弦(河南省信陽市光山県仙居郷[1][4]) |
分封者 | 不詳 |
始祖 | 不詳 |
滅亡原因 | 楚により滅亡 |
史書の記載 | 『春秋左氏伝』僖公五年 |
周朝諸侯国一覧 |
紀元前656年、斉の桓公が諸侯同盟軍を率いて楚を討伐した。楚は屈服し、斉の同盟に加入させた。楚が弱く、斉が強いことは周知のことであり、楚に比較的近くにある諸侯国も斉に寝返った。同時に弦の縁戚である江・黄・道・柏は斉と和睦した。紀元前655年に楚によって滅亡した。弦の君主は黄に逃亡した。
脚注
[編集]- ^ a b 左丘明. “Book 5 - Duke Xi. Fifth year” (Chinese, English). 春秋左氏伝. 4 June 2016閲覧。
- ^ 春秋伝説匯纂
- ^ 路史
- ^ “Chinese History - The Feudal State of Chu 楚”. Ulrich Theobald. 4 June 2016閲覧。
参考資料
[編集]- 楊伯峻《春秋左伝注》