救世主イエス司教座堂 (台中市)
ウィキペディアから無料の百科事典
救世主イエス司教座堂 (台中市) | |
---|---|
| |
各種表記 | |
繁体字: | 耶穌救主總堂 |
簡体字: | 耶稣救主总堂 |
拼音: | Yēsūjiùzhǔzǒngtáng |
発音: | イエスーチォウチューツォンタン |
救世主イエス司教座堂(きゅうせいしゅイエスしきょうざどう、中: 耶穌救主總堂)は、台湾 台中市にあるカトリック台中教区の司教座聖堂(カテドラル)である。
沿革
[編集]- 1914年 - 羅厝天主堂主任司祭のドミニコ会士 マヌエル・プラット師(西: Manuel Prat 、中: 馬伯達[1]、後のアモイ教区司教)が台中市内に土地を購入。竹小屋で要理教育を行う。
- 1916年 – 2月、ドミニコ会士 アンゲル・ロドリゲス師(西: Angel Rodriquez 、中: 洪羅助)が初代主任司祭として着任。当該土地に山の字型、ゴシック式の教会堂を建設、教会の保護者にはイエスのみ心を頂いた。
- 1951年 – 台中使徒座知牧区が設置、メリノール会士 ウィリアム・クプファー師(英: William F. Kupfer、中: 蔡文興)が知牧に就任した。当時はこの「イエスのみ心天主堂」が台中地区における宣教活動の中心であったため、知牧館もこの構内に設けた。
- 1956年 – マニング師(英: James Thomas Manning、中: 萬民寧)の主任司祭在任期に信徒数が増加。クプファー知牧は現在の「救世主イエス司教座堂」の建設を指示した。
- 1957年 – 本聖堂が着工。
- 1958年 – 本聖堂が完成、献堂。
- 1956年 - 台中知牧区が台中教区に昇格、クプファー師が初代司教に着座。本聖堂は司教座聖堂となった。