晋安郡

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晋安郡(晉安郡、しんあん-ぐん)は、現存しない中国晋代から初にかけて、現在の福建省東部に設置された。

概要

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晋安郡(564年)

282年太康3年)、西晋により建安郡が分割されて晋安郡が立てられた。晋安郡は揚州に属し、郡治は侯官県に置かれた[1]291年元康元年)、揚州と荊州の10郡を合わせて江州が立てられると、晋安郡は江州に転属した[2]。晋安郡は原豊新羅延平同安・侯官・羅江晋安温麻の8県を管轄した[1]

南朝宋のとき、晋安郡は侯官・原豊・晋安・羅江・温麻の5県を管轄した[3]

南朝斉のとき、晋安郡は侯官・羅江・原豊・晋安・温麻の5県を管轄した[4]

南朝陳のとき、閩州が置かれて、晋安郡は閩州に転属した[5]。ほどなく閩州は廃止されて、晋安郡は東揚州に転属した。568年光大2年)、豊州が置かれて、晋安郡は豊州に転属した[6]

589年開皇9年)、隋が陳を滅ぼすと、晋安郡は廃止されて、泉州に編入された[5]

脚注

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  1. ^ a b 晋書』地理志下
  2. ^ 『晋書』孝恵帝紀
  3. ^ 宋書』州郡志二
  4. ^ 南斉書』州郡志上
  5. ^ a b 隋書』地理志下
  6. ^ 陳書』廃帝紀