東京都職員共済組合青山病院

ウィキペディアから無料の百科事典

東京都職員共済組合青山病院

青山病院跡地(2011年4月)
情報
前身 明石病院・飯田橋病院・交通局病院
許可病床数 230床
一般病床:200床
精神病床:30床
開設者 東京都職員共済組合
開設年月日 1968年昭和43年)12月2日
所在地
150-0001
東京都渋谷区神宮前 5-53-3
位置 北緯35度39分47秒 東経139度42分23秒 / 北緯35.66306度 東経139.70639度 / 35.66306; 139.70639
二次医療圏 区西南部
特記事項 2008年平成20年)3月31日廃止
PJ 医療機関
テンプレートを表示

東京都職員共済組合青山病院(とうきょうとしょくいんきょうさいくみあいあおやまびょういん)は、かつて東京都渋谷区に存在した病院である。

運営者は東京都職員共済組合で、「青山病院」の通称で知られた[1]青山表参道地区においては最大の医療機関であったが、2008年平成20年)3月をもって廃院となった。

概要[編集]

病院は青山病院となる以前には「交通病院(交通局病院)」で、青山通りに続く隣接地にはかつて都電の車庫があり、交通病院の周囲には電車を運転する練習用の線路が一周していたこともあった[1]

青山病院は1968年昭和43年)12月2日、この交通局病院に、東京都職員共済組合が運営していた飯田橋病院(筑土八幡町)と、東京都健康保険組合(廃止)が運営していた明石病院(明石町)を統合して設立された。

当初は東京都共済組合組合員のための職域病院であったが、1987年(昭和62年)からは一般患者の診療も開始、2002年平成14年)には清瀬病院(東京都清瀬市竹丘)の廃止を受けて再編、健康管理センターも設置された。

病院として最盛期には11の診療科を擁していたものの、2004年(平成16年)の新医師臨床研修制度開始後には、医師不足のために複数の診療科で医局人事による派遣医師の引き上げが生じた。

2006年(平成18年)、『「青山病院のあり方」に関する検討委員会報告書』において、特色に欠ける病院であること[2]、医師の確保が困難であること、赤字体質からの脱却が見込めないこと、施設も建て替えの必要があるが120億円から170億円の資金調達の要があることなどから、「病院本体の運営は廃止し、病院の有する健康管理機能を拡充していくべき」との提言が出された。これに従って、青山病院は2008年(平成20年)度末をもって廃院となった。

病院は東京都共済組合組合員のための職域病院として、診療時には西新宿東京都庁から渋谷区役所経由の連絡バスも運行されていた。

跡地にはTBSハウジング渋谷会場(東京ホームズコレクション)が2013年4月26日にオープンしたが、2019年6月に閉鎖している。

沿革[編集]

  • 1966年昭和41年)4月 - 東京都職員共済組合が旧交通局病院(渋谷区神宮前)を青山病院として引継を受ける
  • 1968年(昭和43年)12月2日 - 東京都職員共済組合青山病院開設
  • 1980年(昭和55年)6月 - 人工透析室設置
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 保険医療機関、国民健康保険療養取扱機関に指定(組合員以外の診療開始)
  • 1996年平成8年)4月1日 - 内科を第一内科(呼吸器・循環器系中心)と第二内科(消化器・代謝系中心)に分科
  • 1994年(平成6年)4月1日 - 形成外科を開設
  • 2002年(平成14年)4月 - 健康管理センター発足
  • 2006年(平成18年)12月21日 - 「青山病院のあり方」に関する検討委員会報告書
  • 2007年(平成19年)12月7日 - 人間ドック終了
  • 2007年(平成19年)12月 - すべての科の診療を停止
  • 2008年(平成20年)3月31日 - 廃止後、建物は株式会社フジムラにより解体された

診療科[編集]

[いつ?]

脚注[編集]

  1. ^ a b 神宮前五丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会1994年12月25日発行 p62
  2. ^ 例えば救急急性アルコール中毒の患者がほとんどであったという。

参考文献[編集]

  • 『事業概要』東京都職員共済組合青山病院編、1974年発行の版
  • 清瀬病院記念誌編集委員会『野火止のながれ 東京都職員共済組合清瀬病院の四十年』東京都職員共済組合清瀬病院、1987年
  • 『青山病院閉院記念誌』東京都職員共済組合青山病院編、2008年

外部リンク[編集]