梁楷

ウィキペディアから無料の百科事典

梁楷[1]
生誕 生年不詳[1]
東平府須城県[1]
死没 没年不詳[1]
著名な実績 水墨画[1]
活動期間 13世紀

梁 楷(りょう かい、拼音:Liáng Kǎi、リアン・カイ、生没年不詳)は、中国南宋画家[1]

東平府須城県の出身[1]13世紀初の嘉泰年間に宮廷画家の最高位である画院待詔となった[2]。金帯を賜与されたものの関心を示さず柱に掛けて帰ったといわれる[2]。酒を好み、画院画家としては型破りな性格で、狂人を意味する梁風子と号した[2]。細密な院体画を描く一方で、減筆体と称される粗放な人物画をよくした[2]牧谿玉澗とともに日本水墨画に大きな影響を与えた[1]

作品

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 近藤秀実. “梁楷 りょうかい”. 日本大百科全書. 小学館. 2018年9月16日閲覧。
  2. ^ a b c d 梁楷 りょうかい”. 世界大百科事典第2版. 平凡社. 2018年9月16日閲覧。

外部リンク

[編集]
  • ウィキメディア・コモンズには、梁楷に関するカテゴリがあります。