片桐貞起

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片桐貞起
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文9年(1669年
死没 寛保元年4月1日1741年5月15日
改名 鶴松(幼名)、貞起
墓所 京都府京都市北区紫野の大徳寺高林庵
官位 従五位下、石見
幕府 江戸幕府
主君 徳川家宣家継吉宗
大和小泉藩
氏族 松田氏→片桐氏
父母 父:松田貞尚、母:松田重政の娘
養父片桐貞房
正室:上田勘解由の娘
満紀(長男)、貞音、娘(上杉勝周正室)
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片桐 貞起(かたぎり さだおき)は、大和小泉藩の第4代藩主。

生涯[編集]

松田貞尚(第3代藩主・片桐貞房の弟)の次男。母は松田重政の娘。正室は上田勘解由の娘。

山城にて生まれた。宝永6年(1709年)、小泉藩世嗣の貞経が早世したため、6月13日に先代藩主で伯父の貞房の養嗣子となる。翌年に貞房が死去したため、跡を継いだ。寛保元年(1741年)4月1日、小泉にて死去し、跡を次男の貞音が継いだ。享年73。