笠広庭

ウィキペディアから無料の百科事典

 
笠広庭
時代 平安時代初期
生誕 不明
死没 承和8年閏9月23日841年11月9日
官位 従四位下美濃守
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇
氏族 笠氏
父母 父:笠庭麻呂
豊興、豊宗
テンプレートを表示

笠 広庭(かさ の ひろにわ)は、平安時代初期の貴族玄蕃助・笠庭麻呂の子とする系図がある。官位従四位下美濃守

経歴

[編集]

嵯峨朝弘仁10年(819年従五位下叙爵淳和朝では陸奥守を務め、在任中の天長5年(828年)従五位上に叙せられる。仁明朝承和5年(838年)三階昇進して従四位下に至る。美濃守在任中の承和7年(840年淳和上皇崩御に伴い、本来であれば平安京から五位の官人を派遣して固関を行うべきところ、不破関のみ便宜的に国守の広庭が固関を命じられている[1]

承和8年(841年)閏9月23日卒去。最終官位は散位従四位下。

官歴

[編集]

六国史』による。

系譜

[編集]
  • 父:笠庭麻呂[2]
  • 母:不詳
  • 生母不明の子女
    • 男子:笠豊興[2]
    • 男子:笠豊宗[2]

脚注

[編集]
  1. ^ 『続日本後紀』承和7年5月8日条
  2. ^ a b c 鈴木真年『諸系譜』第一冊,笠朝臣

参考文献

[編集]