行玄

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行玄(ぎょうげん、承徳元年(1097年)- 久寿2年11月5日1155年12月1日))は、平安時代後期の天台宗。父は藤原師実。母は藤原忠俊藤原隆家の孫)の娘で、同母兄に尋範がいる。

生涯[編集]

比叡山に上って出家し、永久4年(1116年)20歳の時良祐から灌頂を受けた。また、無動寺寛慶からも教えを受け、没後にその居坊である大乗坊を継承した。保延元年(1135年中宮の病気平癒の加持を修し、その賞として法務に任じられている。保延4年(1138年天台座主・僧正となり、康治元年(1142年鳥羽上皇藤原忠実に授戒を行う。久安元年(1145年)には大僧正にいたる[注釈 1]。久安3年(1147年)には祇園闘乱事件に際して行玄がいた無動寺が反対派からの襲撃を受けて、大乗坊が破壊されている[注釈 2]。久安6年(1150年最勝寺経供養の日を祈祷により晴天にしたことにより、住房を皇后の祈願寺とし、青蓮院と称された。仁平3年(1153年)には延暦寺法勝寺景勝寺などの職を辞し、2年後青蓮院で没した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 久安3年(1147年)には法然に授戒をおこなっている。松尾(1995)p.30
  2. ^ 師の1人である寛慶はかつて当時の天台座主である仁豪に反対する指導者として永久年間に延暦寺における内紛を引き起こした経緯があり(→永久の強訴)、延暦寺内部にはその門人である行玄に反対する勢力もあった。(衣川仁「延暦寺三門跡の歴史的機能」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3

参考文献[編集]

  • 松尾剛次『鎌倉新仏教の誕生』講談社講談社現代新書〉、1995年10月。ISBN 4-06-149273-X