豊田収
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豊田 収 とよだ おさむ | |
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豊田収の肖像写真 | |
生年月日 | 1882年11月25日 |
出生地 | 日本 鳥取県八橋郡由良村 (現東伯郡北栄町) |
没年月日 | 1969年7月24日(86歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
前職 | 鉄道官僚 |
所属政党 | 立憲政友会 昭和会 立憲政友会革新同盟 翼賛議員同盟 翼賛政治会 大日本政治会 日本進歩党 |
配偶者 | 豊田登美子 |
豊田 収(とよだ おさむ、1882年(明治15年)11月25日 - 1969年(昭和44年)7月24日)は、日本の教育者、政治家。衆議院議員を6期務めた。青山学院大学講師、中央大学講師も務めた[1]。
父は教育者の豊田太蔵。国土交通官僚の竹歳誠(国土交通事務次官や内閣官房副長官など歴任)は豊田の妹の孫にあたる。
経歴
[編集]1910年(明治43年)、東京帝国大学法科大学独法科卒業[1]。オックスフォード大学に留学[1]。
1928年(昭和3年)に立憲政友会公認で第16回衆議院議員総選挙に立候補して初当選[2]、以降総選挙に連続6回当選[1]。岡田内閣大蔵参与官、鉄道会議議員、土木会議議員、鈴木内閣大東亜政務次官となる[1]。1935年(昭和10年)には政友会を離党して昭和会の結党に参加した[3][4]。
戦後は1953年の第3回参議院議員通常選挙に鳥取県選挙区から無所属で出馬するが、3位で落選した。
人物像
[編集]激しい政務の傍ら、郷土における有為な人材育成を忘れず、私学経営のみならず各種育英、奨学事業に一生を捧げた[6]。
家族・親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『政治家人名事典』362頁
- ^ 第16回衆議院議員選挙 - 鳥取全県区
- ^ 昭和会結党後の第19回衆議院議員総選挙で豊田は昭和会公認で立候補し当選している。詳しくは第19回衆議院議員選挙 - 鳥取全県区を参照。
- ^ 内田鉄相、望月逓相ら政友会脱退組が組織『中外商業新報』昭和10年12月24日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p288 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b c 猪野三郎監修『第十版 大衆人事録』(昭和9年)ト四八-四九頁
- ^ a b c 『鳥取県大百科事典』734頁
- ^ 『鳥取県郷土が誇る人物誌』155頁
- ^ a b c 『鳥取県百傑伝』419頁
- ^ a b c d e f g h i j k 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)東京・四七二頁
- ^ 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録』(昭和12年)鳥取・一頁
参考文献
[編集]- 『鳥取県大百科事典』(編集・新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会)1984年 734頁
- 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)362頁
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)423頁
外部リンク
[編集]- とっとりデジタルコレクション--豊田収
- [1]無料公開ふるさとの偉人マンガ「私財を投げ打ち、若者の教育に一生を捧げた豊田太蔵」 発行 鳥取県北栄町 2022年3月