足守町
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あしもりちょう 足守町 | |
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旧・足守町役場の門柱 | |
廃止日 | 1971年5月1日 |
廃止理由 | 編入合併 足守町、興除村、上道町 → 岡山市 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 吉備郡 |
市町村コード | 33502-9 |
面積 | 69.34 km2. |
総人口 | 8,941人 (国勢調査、1970年) |
隣接自治体 | 岡山市、総社市、上房郡賀陽町、御津郡加茂川町、御津町 |
足守町役場 | |
所在地 | 岡山県吉備郡足守町上足守 |
座標 | 北緯34度43分45.9秒 東経133度48分3.5秒 / 北緯34.729417度 東経133.800972度 |
特記事項 | 町役場は現在の観光駐車場付近に所在[1]。当時の門柱が保存されている。 |
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足守町(あしもりちょう)は、かつて岡山県吉備郡にあった町である。1971年(昭和46年)5月1日に岡山市に編入され廃止された。現在は同市北区の足守地域となっている。本項では同町の町制前の名称である賀陽郡足守村(あしもりそん)についても述べる。
歴史
[編集]古くは備中国賀陽郡葦森郷と大井郷に属し、1601年(慶長6年)に木下氏の所領となった。その後浅野氏を経て、再び木下氏の所領となり明治維新に至った。
1871年(明治4年)7月14日、廃藩置県の布告により足守藩の藩域をもって足守県が成立され、賀陽郡足守村の陣屋町に県庁が置かれたが、同年11月に統合されて深津県となった。
1889年(明治22年)6月1日の町村制施行により、足守村(後に町制施行)・大井村・日近村・岩田村・福谷村が発足した。戦後、1954年(昭和29年)10月にこれら5町村の合併問題が検討されたが実現には至らず、1956年(昭和31年)2月に再度合併協議が行われた結果、同年3月31日に合併して新・足守町が発足した。
1971年5月1日、足守町は岡山市に編入合併され、元の20大字はそのまま町名に継承された(後に岡山市上足守は岡山市足守に改称)。
沿革
[編集]- 1601年(慶長6年) 木下家定が播磨国姫路藩より転封し石高2万5千石で足守藩を立藩。
- 1810年(文化7年) 緒方洪庵誕生。
- 1871年(明治4年)7月14日 廃藩置県により、足守藩が足守県となる。
- 1871年(明治4年)11月15日 足守県他11県が合併し、深津県(後の小田県)を新設。
- 1875年(明治8年)12月10日 小田県が岡山県に編入合併したため、岡山県の管轄下となる。
- 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行により賀陽郡上足守村・下足守村・上土田村の地域をもって同郡足守村を新設。
- 1896年(明治29年)2月26日 町制施行により足守町(旧)となる。
- 1900年(明治33年)4月1日 賀陽郡と下道郡が合併して吉備郡を新設したため、吉備郡足守町となる。
- 1904年(明治37年)11月15日 吉備郡生石村に足守駅が開業。(吉備郡生石村は1955年1月1日に高松町(旧)、都窪郡加茂村と合併して高松町(新)となる)
- 1956年(昭和31年)3月31日 足守町・福谷村・大井村・日近村・岩田村が合併して足守町(新)を新設。
- 1971年(昭和46年)5月1日 足守町が岡山市に編入される。
- 1990年(平成2年) 岡山県が足守町並み保存地区に指定する。
- 2009年(平成21年)4月1日 岡山市が政令指定都市に移行した事に伴い、北区の管轄下となる。
人口
[編集]足守町(に該当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
1956年3月31日合併以前の旧足守町の人口の推移
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総務省統計局 / 国勢調査 |
出身有名人
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典
- 岡山市と周辺市町村合併の記録(1971年)