路野上

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路 野上
時代 奈良時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 従五位下兵馬正
主君 聖武天皇孝謙天皇淳仁天皇
氏族 真人
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路 野上(みち の のかみ、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位下[1]兵馬正

経歴[編集]

聖武朝天平17年(745年太徳足鴨石角田辺高額楢原東人らとともに従五位下に昇叙される。翌天平18年(746年)4月に太徳足・鴨石角らとともに内位の従五位下に叙せられ、同年8月に県女王を斎王とするための斎宮寮を設置した際にその長官に任ぜられた。天平19年(747年大監物となる。

その後、淳仁朝天平宝字4年(760年)になって兵馬正に任じられている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

脚注[編集]

  1. ^ 日本後紀』にある孫の路年継の薨伝によると、年継は従五位下の路野上の孫とある(『日本後紀』天長4年6月24日条)

参考文献[編集]