1920年アントワープオリンピックの日本選手団
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オリンピックの日本選手団 | ||||
日章旗 | ||||
IOCコード: | JPN | |||
NOC: | 日本オリンピック委員会 公式サイト | |||
1920年アントワープオリンピック | ||||
人員: | 選手 15名、役員 3名 | |||
旗手: | 野口源三郎[1] | |||
主将: | 野口源三郎[1] | |||
メダル 国別順位: 17 位 | 金 0 | 銀 2 | 銅 0 | 計 2 |
夏季オリンピック日本選手団 | ||||
冬季オリンピック日本選手団 | ||||
1920年アントワープオリンピックの日本選手団(1920ねんアントワープオリンピックのにほんせんしゅだん)は、1920年4月20日から9月12日まで開催された1920年アントワープオリンピックの日本代表選手団及び競技結果。選手所属は1920年時点のもの。
メダル獲得者
[編集]銀メダル
[編集]開会式
[編集]日本代表は左胸に日の丸を染め抜いたワイシャツ、紺色のズボン、オリジナルシューズといういでたちで開会式に参加し、旗手は主将の野口源三郎、国名プラカードは金栗四三が持って入場した[1]。野口・金栗の後ろに監督の辰野保、会計の深井健夫、ベルギー公使館の小川書記官、欧米外遊中の永井道明が続き、その後ろに他の選手が続いた[1]。
宿舎
[編集]日本選手団の宿舎は、聖母大聖堂の東にあるビクター小学校の寄宿舎が割り当てられた[2]。選手たちはほぼ自炊という環境で競技に臨んだ[2]。
陸上競技
[編集]- 加賀一郎(明大)
- 山岡慎一(東大)
- 蓮見三郎(日歯)
- 大浦留市(東京高師)
- 佐野幸之助(松江青年)
- 斎藤兼吉(東京高師)
- 益田弘(慶大)
- 男子五種競技:途中棄権[8]
- 野口源三郎(体協幹事)
- 男子十種競技:12位(3668.630ポイント)[10]
- 金栗四三(体協委員)
- 男子マラソン:16位(2時間48分45秒4[11])
- 茂木善作(東京高師)
- 八島健三(小樽中)
- 三浦弥平(早大)
競泳
[編集]- 内田正練(北大)
- 男子100m自由形:記録不明
- 男子400m自由形:予選落ち(6分40秒0)
- 男子10m高飛び込み:予選落ち(2組8位、40ポイント・スコア94.0[14])
- 斎藤兼吉(東京高師)
- 則末芳三
- 眼病により出場辞退[15]
テニス
[編集]役員
[編集]白黎会
[編集]日本代表の面々は、この闘いを永遠に忘れず、日本のスポーツ発展に尽くすことを誓い、「白黎会」を結成した[16]。白黎会は、ベルギーの漢字表記「白耳義」から「白」、「黎明」という言葉から「黎」の字を取ったものであり、陸上競技で誰も入賞できず「0点」であったことにかけた名前であった[17]。後進育成への思いと[17]、スポーツも社交界に出て交歓すべしという、主将・野口源三郎の考えから生まれた会であった[18]。白黎会のメンバーはオリンピックから帰国後、Hの字が入った揃いのトレーニングシャツを着てスポーツを楽しんだ[18]。野口は「白黎生」を号(ペンネーム)とし[16]、本人の希望で戒名「白黎院転輪法浩日源居士」にも白黎の文字を入れている[19]。最後の存命者は大浦留市で、1989年(平成元年)8月28日、93歳で逝去した[20]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 工藤 1988, p. 315.
- ^ a b 一般財団法人埼玉陸上競技協会記念誌編集委員会 編 2017, p. 68.
- ^ a b JAAF 2012, p. 31.
- ^ a b JAAF 2012, p. 32.
- ^ Mallon & Bijkerk 2015, p. 47.
- ^ a b c d e f JAAF 2012, p. 33.
- ^ Mallon & Bijkerk 2015, p. 59.
- ^ a b JAAF 2012, p. 40.
- ^ a b c 藤瀬 2020, p. 69.
- ^ Mallon & Bijkerk 2015, p. 96.
- ^ a b c d JAAF 2012, p. 34.
- ^ Mallon & Bijkerk 2015, p. 61.
- ^ a b c Mallon & Bijkerk 2015, p. 62.
- ^ Mallon & Bijkerk 2015, p. 141.
- ^ 日本水泳連盟 1932, 23頁.
- ^ a b 油野 2004, p. 93.
- ^ a b 一般財団法人埼玉陸上競技協会記念誌編集委員会 編 2017, p. 19.
- ^ a b 沢田 1967, p. 21.
- ^ 浅川 1967d, p. 73.
- ^ 香月 1999, p. 7.
参考文献
[編集]- 『水泳 第12号』日本水泳連盟、1932年 。
- 浅川正一「野口源三郎先生の追憶」『新体育』第37巻第5号、新体育社、1967年5月、67-73頁。
- 一般財団法人埼玉陸上競技協会記念誌編集委員会 編『世紀を越えて 埼玉陸上競技80年の歩み』一般財団法人埼玉陸上競技協会、2017年12月2日、329頁。国立国会図書館書誌ID:029399762。
- 工藤昌見(著)、酒田古文書同好会(編)「マラソンランナー 茂木善作」『方寸』第8号、本の会、312-318頁。全国書誌番号:89008119
- 香月義徳『大浦留市先生』1999年11月11日、8頁。全国書誌番号:20049259
- 沢田一郎「遺訓を受けつごう」『陸上競技マガジン』第17巻第06号、ベースボール・マガジン社、1967年5月、20-21頁。
- 藤瀬武彦「スポーツ文化財としてのオリンピック関連資料の収集について 第二報―1920年第7回アントワープオリンピックに関する収集品―」『新潟国際情報大学国際学部紀要』第5号、新潟国際情報大学国際学部、2020年4月1日、67-77頁。CRID 1050003824829235456
- 油野利博 著「「野口源三郎」」、「世紀を越えて〜茗渓陸上競技101年の歩み〜」編集委員会 編『世紀を越えて〜茗渓陸上競技101年の歩み〜』筑波大学陸上競技部・陸上競技茗友会、2004年3月25日、91-97頁。全国書誌番号:20600718
- Mallon, Bill; Bijkerk, Anthony Th. (2015-07-11). The 1920 Olympic Games: Results for All Competitors in All Events, with Commentary. Jefferson, North Carolina, USA: McFarland. p. 559. ISBN 978-0-7864-4070-2
- 『Japanese Delegation of Athletic Team London 2012』JAAF、2012年、60頁 。