ジャスティン・ウィルソン
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ジャスティン・ウィルソン | |
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基本情報 | |
略称表記 | WIL |
国籍 | イギリス イングランド |
出身地 | 同・シェフィールド |
生年月日 | 1978年7月31日 |
没年月日 | 2015年8月24日(37歳没) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 2003 |
所属チーム | ミナルディ,ジャガー |
出走回数 | 16 |
通算獲得ポイント | 1 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初勝利 | - |
最終勝利 | - |
最終戦 | 2003年日本GP |
ジャスティン・ボイド・ウィルソン(Justin Boyd Wilson、1978年7月31日 - 2015年8月24日)はイギリス(イングランド)、シェフィールド出身のレーシングドライバー。身長191cm、体重88kg。
経歴[編集]
フォーミュラ・ヴォグゾールなどの下位カテゴリーを経て国際F3000に出走し、2001年にはチャンピオンを獲得した。同年にはジョーダン・グランプリのテストにも参加した。
2002年にはミナルディのテストドライバーとなり、翌2003年にはレギュラードライバーの座を得てF1に参戦した。しかし彼は191cmという長身であったため、ミナルディは大きなモノコックを製作する必要があった。
2003年のドイツグランプリ以降は、アントニオ・ピッツォニアの解雇によりジャガー・レーシングに移籍した。同年のアメリカグランプリでは8位に入賞し、初の選手権ポイントを獲得した。
2004年以降は活動の場をアメリカに移し、チャンプカーに参戦。2005年トロントで初勝利し、通算4勝の実績を残す。
2008年からはチャンプカーのインディカーとの統合に伴いインディカーにニューマン・ハース・レーシングから参戦。第16戦デトロイトで初勝利を挙げた。年間ポイントランキングでは11位に入り、ルーキーの中では武藤英紀に次いで2位であった。
2009年はニューマン・ハース・レーシングのシートを失ったが、デイル・コイン・レーシングのシートを獲得し引き続きインディカーに参戦。開幕戦のセント・ピーターズバーグではチームにとって共に最上位である予選2位・決勝3位のリザルトを残すと、第9戦ワトキンス・グレンでは予選2位から逆転で優勝を飾り、チームに旧インディカー時代から通算で参戦23年目での初優勝をもたらした。年間ポイントランキングでは9位に入った。また、この年の2強チームであったペンスキー、チップ・ガナッシ以外で勝利を挙げた唯一のドライバーであった。
2010年はドレイヤー&レインボールド・レーシングからインディカーに参戦。第2戦のセント・ピーターズバーグと第4戦のロングビーチで2位表彰台を獲得した。また、第10戦のトロントでは自身初のポールポジションを獲得すると、決勝でも優勝争いを展開し最多リードラップを記録したもののレース終盤にスピンをして遅れたこともあり7位フィニッシュにとどまった。結局この年は勝利をあげることは出来ず、年間ポイントランキングは11位だった。
2011年も前年に引き続きドレイヤー&レインボールド・レーシングからインディカーに参戦している。
2012年には古巣デイル・コイン・レーシングに移籍、テキサスでオーバル初優勝を記録した。
2015年シーズンから、アンドレッティ・オートスポーツに移籍。第14戦ミッドオハイオでは、予選14番手から巻き返し、グレアム・レイホールとのバトルに敗れながらも、2位表彰台も獲得した。
2015年8月23日に行われた、第15戦ポコノでのレース中、単独スピンでウォールにクラッシュしたセージ・カラムのマシンから飛散したやや大きめのパーツ片がヘルメットを直撃。意識を失ったウィルソンのマシンは惰性でイン側のウォールに接触し停止した。直ちにセーフティークルーによってマシンから救出されたウィルソンは、ドクターヘリでアレンタウン (ペンシルベニア州)のリーハイバレーシーダークレスト病院に搬送されたが、当日深夜、ウィルソンが意識不明の危篤状態であることがインディカーより発表された[1]。ドライバー仲間や、モータースポーツ界からも回復を祈る声が寄せられたが[2]、翌8月24日、意識が戻ることがないまま、同病院にて死去した。37歳没[3]。ウィルソンの事故の1ヶ月前には、かつて参戦していたF1でもレース中の事故で頭部に大怪我を負ったジュール・ビアンキが亡くなったばかりであったためこの事故はF1界にも大きな衝撃を与え、頭部保護デバイスの導入の議論が過熱することとなり、F1ではHalo(ヘイロー)と呼ばれる頭部保護デバイスが導入されることとなった他、インディカーでも頭部保護の一環としてエアロスクリーンが導入されることとなった。
ウィルソンは自らのレース活動を支えるための企業であるJustin Wilson plcを設立し、この企業への出資を募ることでレース参戦資金を確保している。これは、多くの新人ドライバーが少数の企業や資産家から直接資金援助を受けていることに対して、独特な手法である。
レース戦績[編集]
フォーミュラ[編集]
国際F3000選手権[編集]
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント |
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1999年 | チーム・アストロメガ | ローラ・B99/50 | ザイテック | IMO 6 | MON Ret | CAT 6 | MAG 10 | SIL Ret | A1R Ret | HOC Ret | HUN 7 | SPA Ret | NÜR Ret | 20位 | 2 | ||
2000年 | ノルディック・レーシング | IMO 8 | SIL 3 | CAT 5 | NÜR Ret | MON 7 | MAG 9 | A1R 2 | HOC Ret | HUN 5 | SPA 5 | 5位 | 16 | ||||
2001年 | コカコーラ・ノルディック・レーシング | INT 1 | IMO 6 | CAT 3 | A1R 1 | MON 2 | NÜR Ret | MAG 2 | SIL 2 | HOC 2 | HUN 1 | SPA 2 | MNZ 2 | 1位 | 71 |
ワールドシリーズ・バイ・ニッサン[編集]
年 | エントラント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
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2002年 | レーシング・エンジニアリング | VAL 1 Ret | VAL 2 Ret | JAR 1 3 | JAR 2 Ret | ALB 1 4 | ALB 2 9 | MNZ 1 3 | MNZ 2 4 | MAG 1 4 | MAG 2 5 | CAT 1 3 | CAT 2 5 | VAL 1 3 | VAL 2 1 | CUR 1 3 | CUR 2 4 | INT 1 2 | INT 2 1 | 4位 | 171 |
F1世界選手権[編集]
年 | チーム | シャーシ | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
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2003年 | ミナルディ | PS03 | コスワース・CR3 3.0L V10 | AUS Ret | MAL Ret | BRA Ret | SMR Ret | ESP 11 | AUT 13 | MON Ret | CAN Ret | EUR 13 | FRA 14 | GBR 16 | 20位 | 1 | |||||
ジャガー | R4 | コスワース・CR5 3.0L V10 | GER Ret | HUN Ret | ITA Ret | USA 8 | JPN 13 |
(key)
フォーミュラE[編集]
年 | チーム | シャシー | パワートレイン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
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2014-15年 | アンドレッティ・オートスポーツ | スパーク・ルノー・SRT 01E | SRT01-e | BEI | PUT | PDE | BUE | MIA | LBH | MCO | BER | MSC 10 | LON | LON | 25位 | 1 |
(key)
アメリカン・オープンホイール[編集]
チャンプカー・ワールド・シリーズ[編集]
年 | チーム | シャシー | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 順位 | ポイント |
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2004年 | コンクエスト・レーシング | ローラ・B02/00 | コスワース | LBH 6 | MTY 6 | POR 5 | CLE 18 | TOR 12 | VAN 14 | ROA 7 | DEN 7 | MTL 14 | LS 18 | LVG 8 | SRF 8 | MXC 4 | 11位 | 188 | |
レイナード・02i | MIL 11 | ||||||||||||||||||
2005年 | ルー・スポート | ローラ・B02/00 | LBH 4 | MTY 4 | MIL 4 | POR 17 | CLE 7 | TOR 1 | EDM 4 | SJO 4 | DEN 17 | MTL 3 | LVG 11 | SRF 7 | MXC 1 | 3位 | 265 | ||
2006年 | LBH 2 | HOU 5 | MTY 2 | MIL 2 | POR 2 | CLE 13 | TOR 4 | EDM 1 | SJO 3 | DEN 8 | MTL 14 | ROA 5 | SRF Wth | MXC 2 | 2位 | 298 | |||
2007年 | パノス・DP01 | LVG Ret | LBH 4 | HOU 10 | POR 2 | CLE 4 | MTT 5 | TOR 3 | EDM 2 | SJO 13 | ROA 8 | ZOL 5 | ASN 1 | SRF 2 | MXC 10 | 2位 | 281 |
インディカー・シリーズ[編集]
インディ500[編集]
年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ | チーム |
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2008年 | ダラーラ | ホンダ | 16 | 27 | ニューマン・ハース・レーシング |
2009年 | 15 | 23 | デイル・コイン・レーシング | ||
2010年 | 11 | 7 | ドレイヤー&レインボールド・レーシング | ||
2011年 | 19 | 16 | |||
2012年 | ダラーラ・DW12 | 21 | 7 | デイル・コイン・レーシング | |
2013年 | 14 | 5 | |||
2014年 | 14 | 22 | |||
2015年 | 6 | 21 | アンドレッティ・オートスポーツ |
スポーツカー[編集]
ル・マン24時間レース[編集]
ル・マン24時間レース 結果 | |||||||
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年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
2004年 | レーシング・フォー・ホラント | トム・コロネル ラルフ・ファーマン | 童夢・S101-ジャッド | LMP1 | 313 | DNF | DNF |
デイトナ24時間レース[編集]
デイトナ24時間レース 結果 | |||||||
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年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 順位 | クラス 順位 |
2006年 | マイケル・シャンク・レーシング | A.J.アルメンディンガー オズワルド・ネグリ Jr. マーク・パターソン | ライリー・Mk. XI-レクサス | DP | 733 | 2位 | 2位 |
2008年 | マーク・パターソン グラハム・レイホール オズワルド・ネグリ Jr. | ライリー・Mk. XI-フォード | DP | 680 | 6位 | 6位 | |
2010年 | チップ・ガナッシ・レーシング フェリックス・サバテス | マックス・パピス スコット・プルーエット メモ・ロハス | ライリー・Mk. XI-BMW | DP | 755 | 2位 | 2位 |
2011年 | マイケル・シャンク・レーシング カーブ・アガジャニアン | A.J.アルメンディンガー マイケル・マクドウェル | ダラーラ・DP01-フォード | DP | 719 | 7位 | 7位 |
2012年 | A.J.アルメンディンガー オズワルド・ネグリ Jr. ジョン・ピュー | ライリー・Mk. XXVI-フォード | DP | 761 | 1位 | 1位 | |
2013年 | マイケル・シャンク・レーシング | A.J.アルメンディンガー マーコス・アンブローズ オズワルド・ネグリ Jr. ジョン・ピュー | DP | 709 | 3位 | 3位 | |
2014年 | マイケル・シャンク・レーシング カーブ・アガジャニアン | A.J.アルメンディンガー オズワルド・ネグリ Jr. ジョン・ピュー | P | 599 | 47位 | 12位 |
脚注[編集]
- ^ “ジャスティン・ウィルソン、頭部外傷で意識不明の重体 / インディカー”. F1-Gate.com 2015年8月25日閲覧。
- ^ “ジャスティン・ウィルソンにF1界からも回復を願うメッセージ”. F1-Gate.com 2015年8月25日閲覧。このサイトも、通常newsと入るサイトアドレス部分にPrayersForJustinが含まれている。
- ^ “ジャスティン・ウィルソン、インディの事故で死去”. オートスポーツWeb. (2015年8月25日) 2015年8月25日閲覧。
リンク[編集]
- 公式ページ(英語)
- Justin Wilson Investors Club(英語) - 出資者のためのページ