キングマンボ

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キングマンボ
ニアルコス・ファミリーの勝負服
欧字表記 Kingmambo
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1990年2月19日
死没 2016年1月20日(26歳没)
Mr. Prospector
Miesque
母の父 Nureyev
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Flaxman Holdings Limited
馬主 Stavros Spyros Niarchos
調教師 Francois Boutin(フランス)
競走成績
生涯成績 13戦5勝
獲得賞金 2,720,000フラン
+ 307,366ポンド
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キングマンボKingmambo1990年2月19日 - 2016年1月20日)はフランス競走馬である。2010年まではアメリカ種牡馬として供用されていた。父は20世紀末を代表する大種牡馬として知られるミスタープロスペクター、母はブリーダーズカップ・マイル2連覇を含むGI10勝を挙げたミエスクという超良血馬である[1]

産駒が世界中で活躍しており、この父系はキングマンボ系と呼ばれる。日本調教馬ではエルコンドルパサーキングカメハメハなどのGI優勝馬がいる。

競走成績

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1992年7月3日、フランスのメゾンラフィット競馬場で開催されたシェーヌ賞でデビューし2着入線。3週間後、同競馬場で開催されたサルディコーリ賞で初勝利を挙げた。しかしその後は好走するも勝ちきれないレースが続き、2勝目を挙げられないまま同シーズンを終え休養に入る。

1993年、約半年間の休養明け初戦となるジェベル賞で同期のザフォニックを頭差退け優勝。その後は仏2000ギニーセントジェームズパレスステークスを快勝しGI2連勝を収め、古馬マイルGI路線へと駒を進める。約2ヶ月の休養を挟みジャック・ル・マロワ賞に出走したが、同期のサイエダティスキーパラダイスの牝馬2頭の後塵を拝し3着に惜敗。その3週間後、ムーラン・ド・ロンシャン賞ではスキーパラダイスを抑えて優勝し前走の雪辱を果たしている。なお、このムーラン・ド・ロンシャン賞は母ミエスクも優勝しており、同レース史上唯一の母仔制覇記録となった。その後アスコット競馬場で開催されたクイーンエリザベス2世ステークスに出走、3着に敗れこのレースを最後に引退が発表された。

種牡馬時代

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引退後はアメリカに渡り、ケンタッキー州レキシントンにあるレーンズエンドファームで種牡馬として供用された。前述した超良血馬であることに加えてその競走成績からミスタープロスペクターの後継種牡馬の一頭として期待されたなか、初年度産駒からジャパンカップサンクルー大賞優勝などクラシックディスタンスで活躍したエルコンドルパサーを出して高い評価を受け、幸先のよいスタートを切った。その後も順調にレモンドロップキッドアルカセットディヴァインプロポーションズキングカメハメハなどのGI優勝馬を送り出した。

産駒の活躍を受けて種付け料は年々上昇し、2009年度は25万ドルに設定されていた[2]。2010年度はシンジケート内のプライベート種牡馬となり、金額は公表されていない[3]

しかし首の持病が悪化して思うように種付けができなくなり、2009年は誕生した産駒が1頭のみ、2010年は1頭と交配されたが受胎しなかった。このため当年限りで種牡馬を引退することになった。2016年1月20日、老衰のため安楽死の措置がとられた[4]

産駒の傾向

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本質的には芝向きのスピードタイプだが、ベルモントステークスなどを勝ったレモンドロップキッドがいるようにダートへの適性も高い。産駒の多くはマイルから中距離を得意とし、スプリンターやステイヤーなど極端な距離適性を示すタイプは比較的少ない部類に入る。エルコンドルパサーやディヴァインプロポーションズなど、幅広い距離に適応する柔軟性を持つ産駒が目立つことも大きな特徴といえる。体質はおおむね頑健で、輸送や連戦にもよく耐える。また、自身が現役時代重馬場で強さを発揮したように、産駒の多くは馬場の状態に大きく左右されない安定した活躍が見込める。

代表産駒

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ここではGI級競走勝ち馬のみを列挙する。

他多数

ブルードメアサイアーとしての代表産駒

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血統表

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キングマンボ血統ミスタープロスペクター系 / Native Dancer 3×5=15.62% Nearco 5×5=6.25%) (血統表の出典)

Mr. Prospector
1970 鹿毛
父の父
Raise a Native
1961 栗毛
Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
父の母
Gold Digger
1962 鹿毛
Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood

Miesque
1984 鹿毛
Nureyev
1977 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Special Forli
Thong
母の母
Psadoble
1979 鹿毛
Prove Out Graustark
Equal Venture
Santa Quilla Sanctus
Neriad F-No.20

1歳下の半妹East of the Moon(父Private Account)はフランス1000ギニーフランスオークス、ジャック・ル・マロワ賞とGI3勝を挙げている。全弟にMiesque's Sonミシックトライブ(日本で種牡馬として供用)がいる。そのほかの近親には香港マイルなどを勝ち安田記念にも出走したグッドババ阪神3歳牝馬ステークス2着のキュンティアなどがおり、血統を評価され日本へ輸出された馬も多い。

脚注

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  1. ^ ミエスクにとっては初仔にあたる。
  2. ^ Lane's End announces 2009 stud fees
  3. ^ General Sire List - For sires who stand in North America
  4. ^ 影響力の大きい種牡馬キングマンボが26歳で死亡”. ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年1月8日閲覧。

外部リンク

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