ロベルト・ロルフォ

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ロベルト・ロルフォ
ロベルト・ロルフォ 2005年3月19日撮影(24歳)
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1980-03-23) 1980年3月23日(44歳)
イタリアトリノ
現在のチーム チーム・ペデルチーニ カワサキ
ゼッケン 44
ウェブサイト robyrolfo.eu
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2005年, 2012年
マニファクチャラードゥカティ, アプリリア
チャンピオン0
2012年 順位NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
21 0 0 0 0 25
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2010年
マニファクチャラースッター-ホンダ
チャンピオン0
2010年 順位14位 (75 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
17 1 2 0 0 75
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間1996年, 1998年2004年
マニファクチャラーアプリリア, TSR-ホンダ, ホンダ
チャンピオン0
2004年 順位8位 (116 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
102 3 18 0 3 896
スーパーバイク世界選手権
活動期間2006年2009年, 2011年2017年
マニファクチャラードゥカティ (2006年)
ホンダ (2007年2009年)
カワサキ (2011年, 2017年)
2017年 順位33位 (4 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
105 0 0 0 0 369

ロベルト・ロルフォ ( Roberto 'Roby' Rolfo, 1980年3月23日 - ) は、イタリアトリノ出身のオートバイレーサー。2011年スーパーバイク世界選手権に参戦する。

経歴[編集]

ロードレース世界選手権[編集]

250ccクラス ( 1996 - 2004 )[編集]

ロードレース世界選手権250ccクラスには1996年ワイルドカード枠でデビューを果たした。1997年にはヨーロッパ選手権でシリーズ3位となり、ロルフォは1998年から世界選手権にフル参戦を開始した。初年度のベストリザルトはアルゼンチンGPでの5位となった。1999年カタルニアGPでの5位がベスト、翌2000年は6位より上のフィニッシュが出来なかった。

2001年は飛躍の年となった。Safilo チームでプライベーター仕様のアプリリアを駆り、16戦中14戦でポイントを獲得し、ワークスアプリリアライダーのジェレミー・マクウィリアムスリカルド・シャレロを上回るシリーズランキング4位に入った。第5戦イタリアGPで自身初の表彰台を獲得し、他にも3度表彰台に立つ。

2002年フォルツナ・ホンダ・グレシーニチームに移籍し、加藤大治郎が王座を獲得した前年で開発が終了したNSR250を手に入れ、16戦中15戦でポイント獲得する安定した走りを見せ、5回2位表彰台を獲得。マルコ・メランドリフォンシ・ニエトに次ぐシリーズ3位の成績を残した。

2003年、ホンダのワークスバイクがNSR250からRS250RWに切り替えたロルフォはさらに活躍を続けた。第9戦ドイツGPで自身初優勝、第15戦オーストラリアGPで2勝目を挙げ、チャンピオン争いを繰り広げた。最終戦バレンシアでは、ロルフォが優勝し、マヌエル・ポジャーリが3位以下に終わればチャンピオンを獲得できる計算だったが、ロルフォは7位に沈み、シリーズランキング2位に終わった。

2004年はバイクの設計が小柄なダニ・ペドロサ仕様になり、小型すぎたことで、好調を維持することができなかった。第2戦スペインGPで勝利を挙げたものの、表彰台はこの1回限りとなり、シリーズランキングは8位に沈んだ。

MotoGPクラス ( 2005 )[編集]

2005年はMotoGPクラスにステップアップを果たした。プラマック・ダンティーン チームで1年落ちのドゥカティ・デスモセディチダンロップタイヤのパッケージで戦ったが、マシンは明らかに戦闘力に劣っており、ロルフォは最高位10位、シリーズランキング18位に終わった。

スーパーバイク世界選手権 ( 2006 - 2009 )[編集]

2006年はMotoGPのシートを見つけることができず、スーパーバイク世界選手権 (SBK)に戦いの場を移すことになった。カラッチ・チームでプライベーター仕様のドゥカティを駆ったロルフォは、カタールでのデビューレースでは7位、第2戦フィリップアイランドのレース1では5位と良好な滑り出しを見せたが、その後は好調を維持することができず、シリーズランキングは16位に終わった。

2007年はホンダ勢のトップチームであるテンケイト・チームに移籍した。モンツァシルバーストンでのレースで4位に入ったのが最高位となり、シリーズランキングでは8位に成績を伸ばしたが、自身2度目のワールドチャンピオンに輝いたチームメイト、ジェームス・トスランドの前ではその活躍も霞んでしまった。

2008年は同じホンダ系のアルテア・チームに移籍する。5月にはマウンテンバイクでの事故で鎖骨を骨折し、第5戦モンツァを欠場した[1]。シングルフィニッシュは第12戦バレルンガでの8位ただ一度に留まり、シリーズランキングは17位に沈んだ。

2009年はスティッギー・ホンダ・チームに移籍し開幕から2戦を戦ったが、その後ジョン・ホプキンスにシートを奪われてしまった[2]

Moto2クラス ( 2010 )[編集]

スーパーバイクでのシートを失った後、ロルフォはエスキル・スッター率いるスッター・レーシング・テクノロジー製のMoto2プロトタイプマシンのテストライダーを務め、スペイン選手権へテストを兼ねて参戦した[3]。ロードレース世界選手権Moto2クラス初年度となる2010年には、イタルトランスS.T.R.チームからグランプリに復帰を果たした[4]。ロルフォは第8戦ドイツGPで3位表彰台を獲得、そして第15戦マレーシアGPで6年ぶりの勝利を遂げた。しかし年間を通して見るとパフォーマンスが安定せず、シリーズランキングは14位に終わった。

再びSBKへ ( 2011 )[編集]

2011年シーズン、ロルフォはスーパーバイク世界選手権に戻り、チーム・ペデルチーニで新型カワサキ・ニンジャZX-10Rを駆ることになった[5]

主なレース戦績[編集]

ロードレース世界選手権[編集]

シーズン クラス バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント 順位
1996年 250cc アプリリア 2 0 0 0 0 - -
1998年 250cc TSR 14 0 0 0 0 61 12位
1999年 250cc アプリリア 13 0 0 0 0 62 14位
2000年 250cc アプリリア 10 0 0 0 0 26 16位
2001年 250cc アプリリア 16 0 4 0 0 177 4位
2002年 250cc ホンダ 16 0 7 0 2 219 3位
2003年 250cc ホンダ 16 2 6 0 0 235 2位
2004年 250cc ホンダ 15 1 1 0 1 116 8位
2005年 MotoGP ドゥカティ 17 0 0 0 0 25 18位
2010年 Moto2 スッター 17 1 2 0 0 75 14位
合計 136 4 20 0 3 996
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
2004年 250 cc ホンダ RSA
9
SPA
1
FRA
Ret
ITA
7
CAT
Ret
NED
9
BRA
7
GER
6
GBR
DNS
CZE
6
POR
10
JPN
7
QAT
7
MAL
Ret
AUS
10
VAL
7
8位 116
2005年 MotoGP ドゥカティ SPA
15
POR
13
CHN
16
FRA
15
ITA
17
CAT
14
NED
18
USA
Ret
GBR
10
GER
14
CZE
17
JPN
Ret
MAL
13
QAT
12
AUS
13
TUR
16
VAL
Ret
18位 25
2010年 Moto2 スッター QAT
5
SPA
12
FRA
10
ITA
18
GBR
24
NED
Ret
CAT
Ret
GER
3
CZE
Ret
IND
25
SMR
10
ARA
19
JPN
9
MAL
1
AUS
26
POR
Ret
VAL
25
14位 75

スーパーバイク世界選手権[編集]

シーズン バイク 出走 優勝 表彰台 PP FL ポイント シリーズ順位
2006年 ドゥカティ999 F05 24 0 0 0 0 69 16位
2007年 ホンダCBR1000RR 25 0 0 0 0 192 8位
2008年 ホンダCBR1000RR 26 0 0 0 0 59 17位
2009年 ホンダCBR1000RR 4 0 0 0 0 3 39位
2011年 カワサキニンジャZX-10R
合計 79 0 0 0 0 323

脚注[編集]

外部リンク[編集]