ヴィルーパ
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ヴィルーパ(サンスクリット: Virūpa; チベット語: bi ru pa または bir wa pa[2], 直訳: 醜い顔)、またはヴィルパクサ、チュトプ・ワンチュクは、7世紀から8世紀に活躍したインドの大成就者・ヨーギー、そしてチベット仏教四大宗派の一つ、サキャ派の祖師である。
ヴィルーパは、サキャ派の奉じる道果説[注釈 1](ラムデ―、梵: mārga-phala)を説いたとされ、したがって同派の系譜におけるインドの祖と見なされている[3]。また、母タントラ系の経典『ヘーヴァジュラ・タントラ』(『呼金剛タントラ』とも)の髄を説いた『金剛句偈』と呼ばれる一連の偈文も彼の作とされる[4][5]。
生涯
[編集]チベットの資料によれば、ヴィルーパは東インドのトリプラで生まれ、現在のバングラデシュにあったソーマプラ僧院に僧侶として学び、タントラ、とりわけ『勝楽タントラ』を実践した。また、16世紀チベットのラマ・歴史家のターラナータは、ヴィルーパは西インドのマハーラーシュトラに住んでいたと書き残している[3][6]。さらに、テルグ語の詩"Navanathacaritramu"をはじめとしたインド側の資料は、彼はマハーラーシュトラのコンカン海岸平野に住む、敬虔なバラモンの父母の元に生まれたと伝えている[7]。
チベット側の記録はまた、彼について以下のように伝えている。曰く、ヴィルーパは何年にも渡って念誦を繰り返し行う修行をしていたが、ついに諦めて念珠を厠で投げ放った。そのとき、ヴィールパはナイラートミャー(無我仏母、ダーキニーの一柱、女尊)からヴィジョンを受けた。ナイラートミャーは彼の本尊となり、ヴィルーパに教えと灌頂を授けた[8]。ヴィルーパはその後僧院を去ると、インドを遊行しながらタントラを教え、さまざまな呪術(シッディ)を行い、また「外道たち(ティルティカス)を改宗させ、彼らの像を破壊し、彼らの悲痛な儀式を止めさせた」[9]。
ヴィールパについては、自然現象を操ったとされる数々の伝承が伝えられている[10]。聖地ヴァーラーナシーへ説法をしに赴いた際、ヴィールパは地元の住人の注目を集めようと一計を案じた。酒宴を行っている酒場に入り、主人に「日没には代金を払う」と約束すると、ヴィールパは酒を飲み始めた。飲んでいる間じゅう、彼は神通力で太陽の動きを止め、町は熱波に襲われた。三日経ってから、地元の王がヴィールパの酒代をすべて肩代わりすることとなった。
像容
[編集]絵画・彫刻において、ヴィルーパは様々な姿勢(説法印など)、肌の色で表現される[2]。また、チベット仏教においてヴィルーパは、サキャ派にとどまらず他の宗派でも崇敬されるため、彼を扱った芸術はチベット全域で見られる。
インドにおけるヴィルーパ観
[編集]イギリスのインド研究家、ジェームズ・マリンソンによれば、ハタ・ヨーガを説く文献としては最古の部類である『アムリタシッディ』は、ヴィルーパの著作であるとされている[3]。ヴィルーパはまた、非仏教徒の文献、とりわけナータ派のものに大成就者として現れている[3]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 悟りを求める道程に、すでに悟りの効果が現れているとする考え方。
出典
[編集]- ^ Davidson, Ronald M. Indian Esoteric Buddhism: Social History of the Tantric Movement, p. 259
- ^ a b HAR 2002.
- ^ a b c d Mallinson, James. Kalavañcana in the Konkan: How a Vajrayana Hathayoga Tradition Cheated Buddhism’s Death in India. 2019
- ^ Ringu Tulku (2007). The Ri-Me Philosophy of Jamgon Kongtrul the Great: A Study of the Buddhist Lineages of Tibet, Shambhala Publications, p. 127.
- ^ Davidson, Ronald M. Tibetan Renaissance: Tantric Buddhism in the Rebirth of Tibetan Culture, Motilal Banarsidass, 2008, pp. 49-50.
- ^ Powers, John. Introduction to Tibetan Buddhism, Revised Edition (2007) Snow Lion Publications, p. 433.
- ^ Mallinson, James (2019). “Kālavañcana in the Konkan: How a Vajrayāna Haṭhayoga Tradition Cheated Buddhism’s Death in India”. The Society for Tantric Studies Proceedings 10: 1-33 .
- ^ Powers, John. Introduction to Tibetan Buddhism, Revised Edition (2007) Snow Lion Publications, p. 434.
- ^ Davidson, Ronald M. Tibetan Renaissance: Tantric Buddhism in the Rebirth of Tibetan Culture, Motilal Banarsidass, 2008, pp. 49, 53.
- ^ CAM 2022.
参考文献
[編集]- “Virupa | Cleveland Art Museum” (英語). クリーブランド美術館. 2022年1月6日閲覧。
- “Indian Adept: Virupa Main Page” (英語). ヒマラヤン・アート・リソーシズ. 2022年1月8日閲覧。