中富 (所沢市)
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中富 | |
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三富新田の風景 | |
北緯35度49分12.21秒 東経139度29分15.14秒 / 北緯35.8200583度 東経139.4875389度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 所沢市 |
人口 | |
• 合計 | 2,495人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 | 359-0002[2] |
市外局番 | 04[3] |
ナンバープレート | 所沢 |
中富(なかとみ)は、埼玉県所沢市の大字[4]。郵便番号は、359-0002[2]。
地理
[編集]所沢市北部に位置する。中富南・北原町・中新井・神米金・下富と隣接する。三富新田開発時に区画された短冊状の畑地が現在も残る。
歴史
[編集]かつては埼玉県入間郡富岡村であった。江戸時代の元禄期に開拓された三富新田の中央部にあたる。近年南部がエステシティ所沢として開発され新興住宅地となり、中富南として分離した。
地名の由来
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沿革
[編集]- 江戸時代 - 川越藩領であった。元禄時代より三富新田の開発が始まる。
- 1696年(元禄9年) - 検地があり[5]、屋敷の戸数は中富地内で40戸[注釈 1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中富村、下富村、神米金村、北岩岡村、北中村が合併し、入間郡富岡村の村域となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 富岡村が所沢町・小手指村・山口村・吾妻村・松井村と合併し、入間郡所沢町大字中富となる。
- 1952年(昭和27年) - 一部が中新井となり分離。
- 1981年(昭和56年) - 日本新都市開発(現:ニューシティコーポレーション)により南部でエステシティ所沢の開発が始まる。
- 1990年(平成2年)5月20日 - 区画整理実施により南部が中富南となり分離。
- 2007年(平成19年)2月13日 - 北側の下富に残った中富の飛地である辨天地区が下富に編入となり分離。[6]
(地名を中富から下富に変更。地番は変更していない)
世帯数と人口
[編集]2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
中富 | 1,032世帯 | 2,495人 |
交通
[編集]鉄道
[編集]当地に鉄道は敷設されていない。
道路
[編集]- 交差点
- 「市民武道館前」 ・「松下」 ・「中富」
- バス
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施設
[編集]地区北端部の多聞院通り沿いには物流施設が多く立ち並ぶ。
- 所沢市立中富小学校
- 所沢市民武道館
- 中富民俗資料館
- 陽明保育園
- 所沢リハビリテーション病院
- 埼玉西協同病院
- 宝塔山会館
- 中富東部支部集会所
- 所沢聖地霊園 - 北側の一部
- 所沢市立第二学校給食センター
- 所沢市立松原学園[7] - 市立児童発達支援センター
- 所沢市立かしの木学園 - 児童発達支援事業
- 寺社・史跡
小・中学校の学区
[編集]町丁 | 番・番地 | 小学校 | 中学校 |
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中富 | 全域 | 所沢市立中富小学校 | 所沢市立富岡中学校(神米金) |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “最新の人口について”. 所沢市 (2017年10月17日). 2017年10月20日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月20日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1988年7月再版,P1088
- ^ a b 新編武蔵風土記稿 中富村.
- ^ “大字中富字辨天地区の町名変更”. 所沢市. 20200818閲覧。
- ^ 所沢市ホームページ 障害者福祉|松原学園 2013年6月閲覧
- ^ 所沢市ホームページ 住所別通学区域一覧表 2011年12月閲覧
関連文献
[編集]外部リンク
[編集]下富 | (三芳町) 上富 | |||
神米金 中新井 | ||||
中富 | ||||
並木 | 北原町 | 中富南 |