佐野美術館

ウィキペディアから無料の百科事典

佐野美術館
Sano Art Museum
地図
施設情報
専門分野 美術
研究職員 渡邉妙子
管理運営 公益財団法人佐野美術館
開館 午前10時
閉館 午後5時
所在地 411-0838
静岡県三島市中田町1-43
位置 北緯35度6分53.8秒 東経138度54分57.3秒 / 北緯35.114944度 東経138.915917度 / 35.114944; 138.915917座標: 北緯35度6分53.8秒 東経138度54分57.3秒 / 北緯35.114944度 東経138.915917度 / 35.114944; 138.915917
プロジェクト:GLAM
テンプレートを表示
短刀 銘国光 拵:金梨地葵紋散蒔絵合口拵

佐野美術館(さのびじゅつかん、英語: Sano Art Museum)は、静岡県三島市中田町にある私立の美術館。運営主体は公益財団法人佐野美術館。

概要

[編集]

1966年昭和41年)に佐野隆一の寄付によって設立し、現在は公益財団法人佐野美術館が運営している。

収集・展示

[編集]

日本刀陶磁器青銅器金銅仏銅鏡能面絵画などの美術工芸品が収蔵されており、特に日本刀のコレクションで知られる。

敷地内には、「隆泉苑」と呼ばれる回遊式日本庭園があり、湧水が四季変わらず湧いている。この庭園は昭和初期に佐野隆一が造らせたもので、佐野の没後、遺族により当館に寄贈されたものである。1997年(平成9年)、隆泉苑の表門と園内の日本家屋登録有形文化財に登録された。

展示方法は、年数回の展覧会と刀剣等の常設展示を組み合わせている。主な展示スペースは展覧会用となっており、常設展示スペースは少なめとなっている。展覧会は絵本原画から、刀剣まで幅広く行っており展覧会の内容は佐野美術館ホームページで確認することができる。入館料は展覧会によっては変動するが、概ね1000円となっている。

昨今の展示の目玉として、名槍蜻蛉切が年数回展示され、いわゆる「刀剣女子」の人気を集めている。

文化財

[編集]
国宝
  • 薙刀 銘備前国長船住人長光造
鎌倉時代(13世紀) 薙刀造り 鍛造 刃長44.2cm 反り1.7cm
長光は鎌倉時代を代表する備前国(現在の岡山県)長船の刀工。長船派の祖・光忠の子で、大工房の長として活躍し、同時代では在銘作が最も多く残る刀工である。作風は、父親に似た華やかな丁子乱れの作から、変化の少ない互の目調のものまで多様である。薙刀は、鎌倉時代から室町時代にかけて実戦で使われた消耗品であるため、本品のように保存状態がよいものは非常に珍しい。津山松平家に伝来した。昭和63年、佐藤寛治より寄贈。
重要文化財
  • 短刀 銘国光
刀身/鎌倉時代(13世紀) 冠落し造り 鍛造 刃長 25.1cm 内反り
江戸時代 金梨子地塗 合口拵 総長 38.9cm
茎先まで神経の行き届いた気品高い冠落し造りの姿に、緊張感のある直刃を焼く。短刀の名手・新藤五国光を代表する名刀である。国光は永仁元年(1293年)の年紀が残る鎌倉流の実質的な創始者であり、名工正宗の師匠と伝え、京・粟田口派の系統と考えられている。この短刀は、粟田口由来の細かな杢目文の地鉄に沸が美しく光り、刃にも円い沸が並び、刃中には金筋が踊り輝く、沸の魅力あふれる作である。附属する、鐔のない合口拵は江戸時代後期の作で、金梨子地に葵紋蒔絵の鞘に、金工の名門・十五代後藤光美の倶利伽羅龍小柄、目貫が付く。もと細川護立(1883〜1970)の蔵刀であった。
鎌倉時代(14世紀) 鎬造り 鍛造 長68.2cm 反り2.7cm
正宗は新藤五国光の門で、鎌倉時代末期に活躍した刀工。精美な地鉄に沸を強調した躍動感あふれる新しい作風を創始、後の刀工に大きな影響を与えた。正宗作として伝世するものの多くは大磨上げで、本作もそのひとつである。青く澄んで冴えた地鉄に、正宗が創出したと伝えるゆったりとしたのたれ文を焼く。刃縁には匂いの上に沸を敷く「雪のむら消え」と賞される景色を見せ、刃中の金筋、地景などの沸が織りなす文様が輝く、静謐な中に躍動感を秘めた作である。藤堂高虎の遺物として献上され、紀伊徳川吉宗が拝領、その後将軍となった吉宗から若君の疱瘡快癒の引出物とされた。以来同様の祝儀に代々使われた由緒を持つ。
  • 刀 金象嵌銘備前国兼光 本阿弥(花押)
南北朝時代(14世紀) 鎬造り 鍛造 刃長83.5cm 反り2.3cm
兼光は長船4代目の南北朝時代を代表する名工。初期の作風は父景光に近い片落ち互の目や丁字刃だが、延文(1356〜1360)頃から作風が一転し、大鋒の大太刀に鎌倉風ののたれ文を焼く。本作は後期の典型で、もとは刃長1mを超えたと思われる長大な太刀だが、精美な地鉄に鎌倉流とは異なる静謐なのたれ文を破綻なく焼き、技術の高さを示している。後の時代に磨り上げられ、本阿弥光温による金象嵌が入れられている。太閤秀吉の遺物として前田利常邸で藤堂高虎が拝領、その後、徳川将軍家に伝来した。
  • 刀 朱銘義弘 本阿(花押)(名物 松井郷
鎌倉時代(14世紀) 鎬造り 鍛造 刃長69.4cm 反り1.6cm
義弘は、正宗と同門と伝える越中松倉郷の名工。生ぶ在銘作は現存せず、伝世する作も非常に少ないが、室町時代の刀剣書『往昔抄』に銘のある茎が掲載され、当時から名工として知られていた。この刀は、小板目の極めて細かく精美な地鉄に、直刃を焼く。刃には澄んだ円い沸が深く輝き、冴え冴えとした名品である。『享保名物帳』所蔵で、熊本藩主細川家家老松井興長が所持したことから、「松井江」と呼ばれる。徳川五代将軍綱吉の娘鶴姫が、紀州徳川家に興入れの折に引出物として贈られ、以来同家に伝来した。茎の朱銘は本阿弥光常による。
  • 秋草文黒漆太刀拵(中身 銘豊後国行平作)上杉家伝来
太刀 鎌倉時代初期(13世紀) 刃長76.6cm 反り3.6cm
拵 室町時代(16世紀) 総長122.0cm
黒漆太刀は鞘、柄、金具をすべて黒漆で塗り込めた拵で、平安時代から室町時代まで実戦用として最も一般的に使われた。この拵は、鞘に大きな三日月が銀鈿でデザインされ、鐔は鉄の丸形、金具は黒い赤銅に繊細な秋草の毛彫りがあり、柄と渡巻には金茶色の糸を巻く。戦国武将上杉謙信の所用と伝えられ、持ち主の好みを表している。中の太刀は、鎌倉時代初期の豊後国行平の作。
平安時代(12世紀) 木造漆箔 高 92.2cm
大日如来は、密教で世界の中心にいると考えられている仏である。「金剛界大日如来」と「胎蔵大日如来」とがあり、それぞれ印相が異なる。この像は左人差し指を右手で握る智拳印を結ぶ、金剛界の大日如来である。半眼で穏やかな表情、丸みを帯び均整のとれた体躯、このような仏像の姿を「定朝様式」といい、平安時代に都を中心に流行した。本像は大阪府河内長野市の河合寺にあったもので、周辺地域にも都の流行が伝わっていたことがわかる。
登録有形文化財
  • 隆泉苑
  • 隆泉苑表門

外部リンク

[編集]