吉村和文

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よしむら かずふみ

吉村 和文
生誕 (1960-01-25) 1960年1月25日(64歳)
山形県山形市
国籍 日本の旗 日本
出身校 山形県立山形南高等学校
東海大学
職業 実業家
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吉村 和文(よしむら かずふみ、1960年昭和35年)1月25日 - )は、日本実業家ダイバーシティメディアムービーオン、東北ケーブルテレビネットワークなど複数の企業で経営者を務めている。

人物

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山形市長や山形県議会議員を歴任した吉村和夫の長男として山形県山形市に生まれる。

政治家である父の背中を見て育ったため、いつの日か自分も政界入りしたいとの存念を抱いてきた[1]

1990年平成2年)、父は雪辱を期すため山形市長選に再出馬するも、金澤忠雄に惜敗する。父を支援する為に2度にわたってサラリーマンを辞め、秘書として奔走していた吉村にとって、現実はあまりにも厳しく意気消沈するが、気を取り直し政治ではなくメディアによって山形を変えようと思い立ち、同志を募り県内企業500社に日参し50社から200万円ずつ出資を得て、1992年(平成4年)資本金1億円でケーブルテレビ山形を設立[1]2011年(平成23年)6月、同社社長に就任する。

2013年(平成25年)に創立された山形県に誕生する男子プロバスケットボールチーム「パスラボ山形ワイヴァンズ」の設立を主導した他[2][3]、翌年7月には、オールジャパン・プロレスリング会長に就任し、株主として支援するとしている[4][5]

「時森ししん」名義で作詞家作曲家としての活動も行っており、村井美樹に『サイレントシーン』(作詞・作曲)、『ノスタルジア』(作曲のみ)を提供した。

家族・親族

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経歴

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  • 山形県情報化推進懇話会委員
  • IT・山形推進戦略顧問
  • 協同組合日本映像事業協会東北地区支部長
  • 日本映像学会正会員
  • 世界平和都市会議in山形平和研究部会委員
  • バーチャルシティやまがた勉強会事務局長
  • ケーブルテレビ山形ラブアンドピース基金理事長
  • 山形県トランポリン協会副会長
  • 山形県バスケットボール協会顧問
  • 山形フィルム・コミッション実行委員会
  • 黒田吉隆公式サポーターズクラブ代表
  • 経済産業省東北知己コンテンツ産業振興懇談会委員
  • 2008年第4回スペシャルオリンピックス日本冬季ナショナルゲーム実行委員
  • スペシャルオリンピックス日本40周年NEXTイベント事務局長
  • 山形市エアロビック協会会長
  • フロアホッケーチームLOVE&PEACE監督
  • 山形県興行生活衛生同業組合理事長
  • 公益財団法人山形県生活衛生営業指導センター理事
  • 公益社団法人べにばな霊園顧問
  • 日本ケーブルテレビ連盟東北支部
  • プロバスケットボールチーム設立準備委員会 会長
  • 東北情報通信懇談会 運営委員会委員
  • 東北情報通信懇談会 情報通信普及促進委員会委員
  • 一般社団法人モッシェやまがた理事
  • 山形ブランド特命大使
  • 新スタジアム推進事業体設立発起人会委員

地域活動

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脚注

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  1. ^ a b 「私の転機 ケーブルテレビ山形社長 吉村和文さん」『朝日新聞 宮城版』2013年10月24日
  2. ^ “山形のプロバスケチーム、名称「ワイヴァンズ」に”. 山形新聞. (2013年10月24日). http://yamagata-np.jp/news/201310/24/kj_2013102400489.php 2014年7月13日閲覧。 
  3. ^ “山形のプロバスケチーム運営会社、少額投資ファンド設立”. 河北新報. (2014年3月21日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201403/20140321_54004.html 2014年7月13日閲覧。 
  4. ^ “ケーブルテレビ山形、プロレス関連に出資 新生「全日本」会長に吉村氏”. 山形新聞. (2014年7月4日). http://yamagata-np.jp/news/201407/04/kj_2014070400061.php 2014年7月13日閲覧。 
  5. ^ NumberWeb (2014年7月13日). “全日本存亡の危機で看板守った秋山の挑戦~新社長就任で馬場イズム継承を~”. 文藝春秋. http://number.bunshun.jp/articles/-/821237#gunosy 2014年7月13日閲覧。 

外部リンク

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