城端駅
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城端駅 | |
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駅舎(2022年3月) | |
じょうはな Jōhana | |
◄越中山田 (2.4 km) | |
所在地 | 富山県南砺市是安385[1] |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■城端線 |
キロ程 | 29.9 km(高岡起点) |
電報略号 | シハ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- | 276人/日(降車客含まず) -2019年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)10月31日[1][2] |
備考 | 簡易委託駅 |
城端駅(じょうはなえき)は、富山県南砺市是安にある[3][4]、西日本旅客鉄道(JR西日本)城端線の駅で同線の終着駅である[5]。第4回中部の駅百選認定駅である[6]。テレビドラマ『最愛』で使用された。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1897年(明治30年)10月31日:中越鉄道が福光駅から延伸し、その終着駅として開業する[1][2][7]。一般駅として旅客、荷物および貨物の取扱を開始[8]。
- 1920年(大正9年)9月1日:中越鉄道の国有化により、鉄道省(国鉄)中越線の駅となり[1]、一般駅として旅客、手荷物、小荷物および大貨物の取扱を開始[9]。
- 1942年(昭和17年)8月1日:中越線の高岡駅 - 当駅間が城端線に改称され[1]、当駅もその所属となる[10]。
- 1947年(昭和22年)10月31日:昭和天皇が当駅に行幸し、構内の木炭集積場を天覧する[11]。
- 1951年(昭和26年)8月10日:当駅 - 福光駅間に越中山田駅が開業する[12]。
- 1953年(昭和28年)7月24日:1935年(昭和10年)1月25日以来無事故にして成績優秀なるを以て、金沢鉄道管理局長より当駅が表彰される[13]。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、手荷物、小荷物および専用線発着車扱貨物の取扱を開始[16]。
- 1974年(昭和49年)
- 1985年(昭和60年)3月14日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止[19]。
- 1986年(昭和61年)4月20日:城端鉄道少年団を結成する[20]。
- 1987年(昭和62年)
- 1994年(平成6年)7月1日:駅務を城端町観光協会に委託し、駅構内に観光案内所を設置する[22]。
- 2016年(平成28年)9月7日:南砺市が当駅駅舎の改修を行う旨を表明する[23]。
- 2019年(平成31年)3月30日:駅舎改修および駅前広場整備事業が完了する[24][25]。
- 時期未定:簡易委託を解除し、無人化〈予定〉[26]。
城端駅行幸と全国植樹祭
[編集]かつて城端駅は木炭生産地であった東礪波郡平村や同郡上平村からの物資集散の要地であった[11]。1947年(昭和22年)に昭和天皇の行幸を迎えるに当り、富山県の林業関係者の間においてはその視察を仰ぎたいとの要望が高まったので、城端駅における木炭出荷状況の視察が計画され、同年10月31日にこれが実現することとなった[11][27]。その際、昭和天皇は「樹を植えていますか、樹を植えているだろうね」、「治水のこともあるから、なるべく植林するようにしてくださいね」と発言し、植樹について軫念している様子であったので[11][27]、富山県知事(当時)の館哲二は急遽関係者と相談の上、婦負郡細入村笹津字古坂において昭和天皇に植樹していただくことにより、林業奨励の紀念とする計画をたて、昭和天皇にその旨を奉伺した[28][27]。昭和天皇はその計画を聴許したので、戦後初めての天皇による植樹が富山県において実現し、これが契機となって1948年(昭和23年)には東京都青梅、1949年(昭和24年)には神奈川県仙石原において天皇による記念植樹が行われ、1950年(昭和25年)4月には山梨県甲府市において第一回全国植樹行事ならびに国土緑化大会(全国植樹祭の旧称)が開催されるに至ったのである[27]。この由来から富山県は植樹祭発祥の地であるともいわれる[27]。
駅構造
[編集]相対式ホーム2面2線[29][30]を持つ地上駅であり[2]、終端部において機回しができる配線となっている[29][31]。2番のりばへは構内踏切によって連絡する[2]。北陸新幹線ができる前は列車は基本的に1番線使用で、2番線を使用する列車は夜間滞泊を行う早朝の列車と臨時列車のみとなっていた[2][31]。木造駅舎を有する。駅務は北陸広域鉄道部の管轄下にあるが[32]、窓口業務は簡易委託駅として南砺市観光協会が受託している[31]。
駅構内には蒸気機関車用の転車台(直径13.4m、深さ約90cm)が富山県内で唯一現存している。1900年初頭より蒸気機関車が廃止された1969年まで使用され[1]、廃止後は放置されていたが、2020年4月に有志らにより「城端駅魅力推進団体」が発足し、転車台内の土砂を撤去してその土砂で展望台を整備、さらに内側の石垣を磨き、内部をキバナコスモスの花壇として整備した[33][34]。2022年4月3日には、北側にある駐車場より転車台までの案内標識と、歴史と昔の写真を紹介する案内板が設置された[35]。
駅舎は木造平屋建桟瓦葺で、開業当時からのものである[4][31][36]。中部の駅百選に選ばれた駅の一つであり[6]、2010年(平成22年)1月26日には「とやまの近代歴史百選」に選ばれている[31][37][38]。また、2013年(平成25年)冬期の青春18きっぷのポスター写真には当駅が用いられた[3][5][39]。駅構内には出札窓口や待合室のほかに城端観光案内所が置かれている[31][40]。待合室のベンチには南砺福光高校(2022年3月に閉校)の生徒が製作した座布団が設置されていたが、製作する1年生がおらず閉校することから2019年で当駅への寄贈を終了した[41]。城端むぎや祭の際には帰路につく観光客のために当駅ホームにて見送りの演舞が行われる[42]。
また、城端をモデルにしたテレビアニメ『true tears』の放映後、町の印象を書き込みたいという旅行者の要望に応じ、観光協会が交流ノートを設置している[3][43][44]。
当駅の海抜が123.4メートルと数字の並びがよいことで知られている[2][4][31]。
のりば
[編集]のりば | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1・2 | ■城端線 | 高岡方面[45] |
貨物取扱
[編集]当駅における貨物取扱は、1974年(昭和49年)7月1日に廃止された[17]。
1930年(昭和5年)12月5日付『鉄道公報』附録通報「専用線一覧(運輸局)」によると、当駅接続の専用線は次の通りであった[46]。
- 大同電力線(第三者使用:黒川由次郎、動力:省機関車及び手押、作業粁程:0.2粁)
1951年(昭和26年)12月15日付『鉄道公報』第732号通報「専用線一覧について(営業局)」別表によると、当駅接続の専用線は次の通りであった[47]。
- 日本発送電線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁)
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった[48]。
- 関西電力線(第三者使用:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.2粁)
1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった[49]。
- 関西電力線(通運事業者:日本通運、動力:手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.2粁、備考:使用休止)
利用状況
[編集]「富山県統計年鑑」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通り[50][51]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1995年 | 574 |
1996年 | 540 |
1997年 | 496 |
1998年 | 468 |
1999年 | 445 |
2000年 | 404 |
2001年 | 364 |
2002年 | 350 |
2003年 | 336 |
2004年 | 326 |
2005年 | 320 |
2006年 | 324 |
2007年 | 303 |
2008年 | 282 |
2009年 | 268 |
2010年 | 242 |
2011年 | 230 |
2012年 | 228 |
2013年 | 253 |
2014年 | 243 |
2015年 | 256 |
2016年 | 258 |
2017年 | 268 |
2018年 | 292 |
2019年 | 276 |
駅周辺
[編集]バス路線
[編集]- 世界遺産バス - 世界遺産である白川郷・五箇山の合掌造り集落へのバス路線。
- 南砺 - 金沢線
- 南砺市営バス(なんバス)
城端さくら線以外は土曜休日運休となる。
- 城端東回り線
- 城端西回り線
- 城端井波線
- 南砺中央病院線
- 城端さくら線[52] - この路線のみ毎日運行。
- 高速バス 富山 - 城端線
- なるわ交通
隣の駅
[編集]- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- ■城端線
- 越中山田駅 - 城端駅
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 安田・松本 2017, p. 62.
- ^ a b c d e f 川島 2010, p. 65.
- ^ a b c 鼠入昌史『終着駅巡礼』イカロス出版、2016年12月25日、56頁。ISBN 978-4-8022-0259-6。
- ^ a b c 杉崎行恭『旅鉄BOOKS 025 木造駅舎紀行200選』山と渓谷社、2020年3月10日、106頁。ISBN 978-4-635-82209-1。
- ^ a b 立野 2017, p. 102.
- ^ 『官報』(221頁)、1897年(明治30年)11月17日、内閣官報局
- ^ a b 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』 II(初版)、JTB、1998年10月1日、159-160頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 大正9年鉄道省告示第58号(『官報』、1920年(大正9年)8月17日、内閣印刷局)
- ^ 昭和17年鉄道省告示第171号(『官報』、1942年(昭和17年)7月21日、内閣印刷局)
- ^ a b c d 富山県編、『富山県行幸記録』(130頁より137頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
- ^ 昭和26年日本国有鉄道公示第190号(『官報』、1951年(昭和26年)8月9日、大蔵省印刷局)
- ^ 城端町史編纂委員会編、『城端町史』(1096頁)、1959年(昭和34年)9月、城端町史編纂委員会
- ^ 10.「全国植樹祭」(3) 昭和44年5月24~29日 - 2014年(平成26年)10月22日、北日本新聞社
- ^ 昭和44年日本国有鉄道公示第309号(『官報』、1969年(昭和44年)10月1日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和45年日本国有鉄道公示第405号(『官報』、1970年(昭和45年)9月29日、大蔵省印刷局)
- ^ a b 昭和49年日本国有鉄道公示第85号(『官報』、1974年(昭和49年)6月28日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和49年日本国有鉄道公示第208号(『官報』、1974年(昭和49年)9月12日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和60年日本国有鉄道公示第181号(『官報』、1985年(昭和60年)3月12日、大蔵省印刷局)
- ^ となみ野公共交通市民会議編、『城端線 あしたにつなぐ物語』(59頁)、2015年(平成22年)3月、となみ野公共交通市民会議
- ^ 昭和62年日本国有鉄道公示第210号(『官報』、1987年(昭和62年)2月5日、大蔵省印刷局)
- ^ 「城端駅に観光案内所 無人化に伴い券売業務を引き継ぐ」、『北日本新聞』(25面)、1994年(平成6年)7月2日、北日本新聞社
- ^ 城端駅改修し観光協会入居 南砺市議会 - 2016年(平成28年)9月7日、北日本新聞社
- ^ 駅前広場と駅舎お披露目 JR城端駅 - 2019年(平成31年)3月30日、北日本新聞社
- ^ “「3つ星」観光の拠点完成 城端駅前広場”. 北國新聞 (2019年3月31日). 2019年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月30日閲覧。
- ^ “JR西 富山県内9駅無人化 30年度までに氷見や城端、八尾駅”. 北日本新聞社. 2021年5月8日閲覧。
- ^ a b c d e 『北日本新聞』(6面)、2017年(平成29年)5月28日、北日本新聞社
- ^ 富山県編、『富山県行幸記録』(207頁より212頁)、1949年(昭和24年)10月、富山県
- ^ a b 川島 2010, p. 35.
- ^ 立野 2017, p. 101.
- ^ a b c d e f g 郡司武編、『週刊朝日百科 JR全駅・全車両基地』43号(25頁)、2013年(平成25年)6月、朝日新聞出版
- ^ “データで見るJR西日本2021 鉄道部・地域鉄道部” (PDF). 西日本旅客鉄道. p. 94 (2021年10月). 2021年11月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月30日閲覧。
- ^ 『北日本新聞』2020年10月13日付23面『転車台 観光資源に再生 JR城端駅 土砂撤去 コスモス植える 地元有志ら取り組み』より。
- ^ 『転車台跡 花いっぱいに JR城端駅 地元有志ら種まく』北日本新聞 2021年5月31日22面
- ^ 『転車台跡 観光の目玉に 城端駅 有志が案内看板設置』北日本新聞 2022年4月5日18面
- ^ 原口隆行監修、『見直したい日本の美 日本の駅100選』[要ページ番号]、2010年(平成22年)4月、主婦の友社
- ^ “とやま文化財百選シリーズ (6) とやまの近代歴史遺産” (PDF). 富山県教育委員会. p. 64 (2010年3月). 2021年12月30日閲覧。
- ^ 白岩砂防など106件 富山県教委、近代歴史遺産選定 - 2010年(平成22年)1月27日、北日本新聞社
- ^ 込山富秀『「青春18きっぷ」ポスター紀行』講談社、2015年5月26日、146-147頁。ISBN 978-4-06-219279-8。
- ^ “【富山】城端線 ガチャガチャに 井波彫刻・木札7種入ってます”. 中日旅行ナビぶらっ人 (2017年8月24日). 2021年12月30日閲覧。
- ^ “手作り座布団 真心温か 福光高生、今年が最後「一生懸命作った」”. 北陸中日新聞Web. (2020年12月25日). オリジナルの2020年12月26日時点におけるアーカイブ。 2021年12月30日閲覧。
- ^ 来年も「むぎや」来て 城端駅で見送り演舞 - 2015年(平成27年)9月21日、北日本新聞社
- ^ “城端、アニメの聖地へ!”. 南砺市政策推進課 (2020年4月10日). 2021年12月30日閲覧。
- ^ “コミミ口コミ アニメ「true tears」ロケ地にファン続々”. 朝日新聞. (2008年4月17日). オリジナルの2020年10月30日時点におけるアーカイブ。 2021年12月30日閲覧。
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- ^ 名取紀之・滝沢隆久編、『NEKO MOOK 402 トワイライトゾ~ンマニュアル11』(272頁)、2002年(平成14年)9月、ネコ・パブリッシング、ISBN:9784873669021
- ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『トワイライトゾ~ン・マニュアル8』(『レイル・マガジン』第16巻15号)[要ページ番号]、1999年(平成11年)11月、ネコ・パブリッシング
- ^ 名取紀之・瀧澤隆久編、『RM POCKET 11 トワイライトゾ~ン・マニュアルⅣ』[要ページ番号]、1995年(平成7年)10月、ネコ・パブリッシング
- ^ 日本国有鉄道貨物局編、『専用線一覧表 昭和45年10月1日』(214頁)、1970年(昭和45年)、日本国有鉄道貨物局
- ^ 統計年鑑 - 富山県
- ^ 南砺市の統計情報・オープンデータ - 南砺市情報政策課
- ^ “園児の絵を飾った「なんバス」乗って 城端さくら線で運行”. 北陸中日新聞Web. (2020年10月19日) 2021年12月30日閲覧。
- ^ “県境越え無料巡回バス 南砺-金沢-津幡 富山銀が仲介 1日3往復交流に期待”. 富山新聞. (2021年11月14日). オリジナルの2021年11月13日時点におけるアーカイブ。 2021年12月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 川島令三『【図説】日本の鉄道 中部ライン 全線・全駅・全配線 第6巻 加賀温泉駅 - 富山エリア』講談社、2010年9月20日。ISBN 978-4-06-270066-5。
- 安田就視・松本典久『DJ鉄ぶらブックス021 昭和の終着駅 北陸・信越編』交通新聞社、2017年6月7日。ISBN 978-4-330-78617-9。
- 立野幸雄『とやま駅物語』富山新聞社、2017年7月20日。ISBN 978-4-8330-2104-3。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 城端駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道