鳥羽駅
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鳥羽駅 | |
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JR東海駅舎(2023年2月) | |
とば Toba | |
所在地 | 三重県鳥羽市鳥羽一丁目8番13号 |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | トハ |
駅構造 | 地上駅(一部橋上駅) |
ホーム | 3面7線[1] |
乗車人員 -統計年度- | (JR東海)-2019年- 318人/日(降車客含まず) (近鉄)-2019年- 1,789人/日(降車客含まず) |
開業年月日 | 1911年(明治44年)7月21日[2](JR) 1929年(昭和4年)7月23日[3](近鉄) |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■参宮線(JR東海) |
キロ程 | 29.1 km(多気起点) |
◄松下 (5.4 km) | |
所属路線 | M 近鉄鳥羽線 |
駅番号 | M78 |
キロ程 | 13.2 km(宇治山田起点) 伊勢中川から41.5 km |
◄M77 池の浦 (2.6 km) | |
所属路線 | M 近鉄志摩線 |
キロ程 | 0.0 km(鳥羽起点) |
(1.0 km) 中之郷 M79► | |
備考 | JR東海:無人駅[4] お客様サポートサービス未導入駅 |
鳥羽駅(とばえき)は、三重県鳥羽市鳥羽一丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。
乗り入れ路線
[編集]JR東海の参宮線と、近鉄の鳥羽線・志摩線の3路線が乗り入れ、接続駅となっている[1]。いずれの路線も当駅が起終点であるが、近鉄の2路線については鳥羽線列車の約半数がそのまま志摩線に直通する。近鉄にはM78の駅番号が設定されている。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能なカード(相互利用先は当該項目を参照)の利用が可能であるが、JR東海利用時にはTOICAを含むこれらのカードの利用ができない。
歴史
[編集]- 1911年(明治44年)7月21日:参宮線山田(現在の伊勢市) - 鳥羽間延伸により、その終着駅として開業[5][6]。駅建設のために水深1.8 mの海域を15,000坪余(≒5 ha)埋め立てて土地を確保した[7]。
- 1926年(大正15年)
- 1929年(昭和4年)7月23日:志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)鳥羽 - 真珠港間が開業[6]。
- 1944年(昭和19年)2月11日:会社合併により、志摩電気鉄道の路線は三重交通の一路線となる[3]。
- 1953年(昭和28年)
- 1957年(昭和32年)9月21日:名古屋行き快速「志摩」運行開始[11]。
- 1964年(昭和39年)2月1日:三重交通から鉄道事業が分社化され、旧志摩電の路線は三重電気鉄道に承継[3]。
- 1965年(昭和40年)4月1日:近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。旧志摩電の路線は近鉄志摩線となる[6][11]。
- 1969年(昭和44年)12月10日:標準軌化工事のため近鉄志摩線営業休止、バス代行を行う[3]。
- 1970年(昭和45年)3月1日:近鉄志摩線が標準軌化工事を完成させ営業を再開[6]。近鉄鳥羽線の五十鈴川 - 当駅間が開業して全通[3]。近鉄の駅が国鉄の駅の北隣に新築移転[12]。
- 1971年(昭和46年)6月13日:三重交通の鳥羽バスターミナルが完成[13]。
- 1972年(昭和47年)3月14日:東京行き急行「伊勢」廃止[14]。
- 1974年(昭和49年)
- 1975年(昭和50年)10月14日:国鉄駅舎完成、営業を開始[6]。
- 1982年(昭和57年)10月1日:国鉄駅の営業範囲が「旅客、荷物」へ改正される[17]。
- 1985年(昭和60年)3月14日:国鉄駅の営業範囲が「旅客」へ改正される[18]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道と近鉄の駅になる[2]。
- 1993年(平成5年)7月27日:JR駅の0番線ホーム増設[19][注 1]。
- 1999年(平成11年)7月23日:近鉄新駅舎竣工[6]。
- 2001年(平成13年):第3回「中部の駅百選」に選定。
- 2007年(平成19年)4月1日:近鉄の駅でPiTaPa使用開始[21]。
- 2012年(平成24年)4月1日:鳥羽駅バス停を新設[22]。
- 2015年(平成27年)
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)3月13日:JR駅の0番線ホームを閉鎖[注 2]。
駅構造
[編集]両社とも地上駅である。
JRは頭端式ホーム1面3線を持つ駅で、0 - 2番線を使用していたが、0番線は2021年3月13日に閉鎖されたため[注 3]、現在は1番線と2番線を使用している。なお、1番線は0番線側の切り欠き部にある[1]。快速「みえ」は1番線から、普通列車は2番線からそれぞれ発車する[29][32]。現在は2両または4両の列車しか乗り入れてこないが、近鉄鳥羽線開業までは団体列車などが入線していたためにホーム有効長は長く採られている。かつては駅の北側に貨車などを停めておく留置線があり、近鉄の改軌と鳥羽線建設に際しての新駅の建設にはそのスペースが活用されている[1]。
近鉄は島式ホーム2面4線を持つ橋上駅で、3 - 6番のりばを使用する。ホーム有効長は10両編成分を確保している。なお、当駅から賢島駅までの特急停車駅のホーム有効長は8両なので、10両編成の特急の後部2両は当駅で切り離される。近鉄線ホームは下り本線は4番線、上り本線は5番線である。3・4番のりばは発車については上下両方向可能であるが、入線は宇治山田方面からしかできない。ただし、複線化までは3・4番のりばも上下両方向から入線が可能であった。なお、5・6番のりばは上下両方向からの入線・発車に対応しており、賢島方面へ折返し普通列車が出る場合、ホーム賢島寄りから発車する。
近鉄のりばは鳥羽線建設前のJR線南東側から現在の北隣に移動している[33][注 4]。このため、のりばの番号はJRと続き番号であるが、その順番には並んでいない[注 5]。
改札口はJRホームに直結しているJR管轄の地上改札[1]と、近鉄管轄の橋上駅舎内の2ヶ所がある。以前はJRと近鉄の乗換は中間改札なしで可能であったが、2020年3月18日よりJR駅の無人化に伴い、改札口は完全に分離された[4][25]。なお、どちらの駅にも管轄担当社の券売機・窓口しかなかった。
JR東海の駅は伊勢市駅管理下の無人駅[27]。近鉄の駅には駅長が置かれ、朝熊駅 - 賢島駅間を管理している[34]。
2021年(令和3年)7月1日には鳥羽駅構内にカフェ「鳥羽かもめテラス」がオープンした[35]。
のりば
[編集]JR線のりば | |||
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番線 | 路線 | 行先 | 備考 |
0 | (閉鎖) | ||
1 | ■参宮線 | 松阪・名古屋方面[注 6] | 快速みえ |
2 | 普通 | ||
近鉄線のりば | |||
のりば | 主な方向(路線) | 行先 | 備考 |
3 | 主に M 鳥羽線 | 伊勢中川・白塚・近鉄名古屋・大阪難波・京都方面[36] | 主に当駅始発の特急 |
4 | 主に M 志摩線 | 賢島方面[36] | |
5 | 主に M 鳥羽線 | 伊勢中川・白塚・近鉄名古屋・大阪難波・京都方面[36] | |
6 |
- 近鉄側出入口(佐田浜港側)
- 改札口(近鉄線)
- 伊勢市側から見た構内。
なお、志摩電気鉄道時代は写真の右手奥に志摩線の駅があった - 鳥羽かもめテラス
- JRの0番線(閉鎖前、2018年8月)
- JRの0番線跡(閉鎖後、2022年5月)
- 改札口(JR線)
配線図
[編集] ← 宇治山田 ← 多気 | → 賢島 | |
凡例 出典:[37] 3 - 6番線が近鉄線、0 - 2番線がJR線(※0番線は2021年3月閉鎖済み) |
特徴
[編集]- 共通事項
- 鳥羽観光の拠点駅である[33]。
- 当初は砂浜に沿った海辺の駅であったが、海側が高度経済成長期に大幅に埋め立てられた[38]。海側の幹線道路(国道42号バイパス)、土地はすべて埋立地である[38]。海に近いため、3 - 5mの津波が押し寄せると想定されている[39]。
ダイヤ面
[編集]- 近鉄
- 全ての定期営業列車が停車し、本数は少ないが大阪上本町駅からの快速急行・急行、近鉄名古屋駅からの急行は当駅まで乗り入れており、快速急行・急行の運転区間は当駅が南限である[40]。当駅始発・終着の快速急行・急行は伊勢市駅(宮町駅停車の近鉄名古屋発着急行は宮町駅) - 当駅間の各駅に停車する[40]。普通は2021年7月3日変更で、当駅 - 賢島駅間の昼間時間帯の運転本数が毎時2本から1本に削減された[41]。
- 当駅構内には引上線がないため、特急などの折返し整備をする場合は長時間ホームに待機させなければならず、上下線とも発着番線は列車および時間帯によって変動する。特に、当駅発着の急行と普通は発着番線が一定していない。
- 特急列車は、一部の列車が当駅折返しとなる。2021年7月3日変更で本数が大幅に削減された[41][42][43]。
- 一部の乙特急はこの駅で後部車両解放を行う。構内に引き上げ線は無いので、解放した車両は五十鈴川駅または明星検車区明星車庫へ折り返し回送となる。
- 毎年、7月の第4土曜日に鳥羽港周辺で開かれる鳥羽みなとまつりの際には多くが鳥羽駅を利用し、臨時電車もダイヤに組まれている。
- JR東海
- 通常は快速みえと普通列車のみ乗り入れるが、2009年までは修学旅行列車(※国鉄型車両で運転)が乗り入れることもあった。
- 2022年4月現在、日中時間帯(11時 - 16時)は快速みえと普通列車がそれぞれ1時間に1本発車[注 7]し、早朝・夜間は快速みえと普通列車のどちらかが1時間に1本[注 8]発車する[32]。なお、快速みえについては当駅から伊勢市駅ないし多気駅まで各駅停車となる場合がある。
- 当駅着の最終列車は旅客扱い終了後、夜間滞泊を行わずそのまま多気行きの最終列車となる。
- 1917年(大正6年)から1919年(大正8年)までは出発・到着とも1日8本で、うち急行は出発1本、到着3本が設定されていた[8]。1922年(大正11年)には出発・到着とも1日13本(うち急行5本)に増加、名古屋・湊町・京都・奈良・亀山・山田発着便が設定されていた[8]。
駅設備・営業面
[編集]- 近鉄
- 乗車券用の自動券売機は数台あるほか、PiTaPa・ICOCA対応の自動改札機および自動精算機(回数券カードに対応)が設置されている。自動精算機ではICカードへのチャージが可能。
- 特急券および定期券は窓口にて販売されているが、各ホームへの特急券自動販売機は設置されていない[44]。
- 駅長室は駅営業所を併設しており、改札外に近鉄リテーリングが運営する有人売店が設置されている[44]。
- 改札前に鳥羽湾の展望に適した広い待合室と軽食コーナーがある[44][1]。
- 近鉄線改札内には2基、改札外には1番出口に1基、それぞれエレベーターが設置されている。
- JR東海
- 自動券売機の設置が近年までなかったが2020年3月18日に指定席対応の自動券売機が設置された。自動改札機・自動精算機は設置されておらず[27]、TOICAやmanacaなどのICカードによる精算もできない。そのため、快速みえなどの車掌乗務付列車では車掌がホーム上で精算、ワンマンの場合は車内の運賃箱に投入する。
- 駅舎2階に土産物店や飲食店の入る「鳥羽駅名店街」がある[1]。
- JR線側にはエレベーターが設置されていない[31]。
- JR線側は無人駅ではあるが、終着駅かつ始発駅であるため、ワンマン列車でもホーム側の全てのドアが開く。
利用状況
[編集]1日の平均乗車人員は以下の通りである[45]。近鉄はJRからの乗り継ぎ人員を含んでいる。*は暦年統計による。戦前は省線(後のJR)が修学旅行生を中心とする観光路線、志摩電鉄(後の近鉄)が地域住民を中心する生活路線として機能していた[46]。1970年(昭和45年)の近鉄鳥羽線の開通により国鉄利用者が激減し、近鉄利用者が大幅に増加した[47]。
年度 | 院・省線→国鉄→JR | 志摩→三交→近鉄 |
---|---|---|
1911年*[48] | 419 | 未開業 |
1920年*[49] | 1,407 | |
1931年*[50] | 1,522 | 212 |
1950年 | 2,931 | |
1960年 | 5,784 | |
1965年 | 5,784 | 1,964 |
1969年 | 5,011 | 2,088 |
1970年 | 1,707 | 4,410 |
1975年 | 1,171 | 5,863 |
1980年 | 557 | 6,263 |
1985年 | 829 | 5,849 |
1990年 | 486 | 5,877 |
1995年 | 612 | 4,472 |
1997年 | 524 | 3,758 |
1998年 | 483 | 3,321 |
1999年 | 457 | 2,949 |
2000年 | 451 | 2,883 |
2001年 | 421 | 2,796 |
2002年 | 395 | 2,683 |
2003年 | 361 | 2,647 |
2004年 | 327 | 2,568 |
2005年 | 328 | 2,459 |
2006年 | 365 | 2,452 |
2007年 | 361 | 2,483 |
2008年 | 368 | 2,285 |
2009年 | 334 | 2,082 |
2010年 | 352 | 2,011 |
2011年 | 337 | 1,881 |
2012年 | 358 | 1,937 |
2013年 | 456 | 2,328 |
2014年 | 355 | 1,968 |
2015年 | 330 | 2,044 |
2016年 | 346 | 2,046 |
2017年 | 337 | 2,001 |
2018年 | 332 | 1,898 |
2019年 | 318 | 1,789 |
2020年 | 185 | 977 |
JR
[編集]JR鳥羽駅の利用状況の変遷を下表に示す[51]。1916年(大正5年)時点の乗車人員は、三重県内の駅で第8位であった[52]。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。ただし、*は暦年統計による。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(JR鳥羽駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 特記事項 | |||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | ||||
1911年(明治44年)*[48] | ←←←← | 68,800 | 7月開業 | ||||
1912年(大正元年)*[49] | ←←←← | 193,784 | |||||
1913年(大正2年)*[49] | ←←←← | 186,389 | |||||
1914年(大正3年)*[49] | ←←←← | 161,639 | |||||
1915年(大正4年)*[49] | ←←←← | 208,439 | |||||
1916年(大正5年)*[49] | ←←←← | 324,103 | |||||
1917年(大正6年)*[49] | ←←←← | 316,579 | |||||
1918年(大正7年)*[49] | ←←←← | 443,158 | |||||
1919年(大正8年)*[49] | ←←←← | 474,986 | |||||
1920年(大正9年)*[49] | ←←←← | 515,061 | |||||
1921年(大正10年)*[49] | ←←←← | 482,998 | |||||
1922年(大正11年)*[49] | ←←←← | 531,259 | |||||
1923年(大正12年)*[49] | ←←←← | 542,509 | |||||
1924年(大正13年) | ←←←← | ||||||
1925年(大正14年) | ←←←← | ||||||
1926年(昭和元年) | ←←←← | ||||||
1927年(昭和2年) | ←←←← | ||||||
1928年(昭和3年)*[50] | ←←←← | 614,737 | |||||
1929年(昭和4年) | ←←←← | 志摩電鉄開業 | |||||
1930年(昭和5年)*[50] | ←←←← | 664,674 | |||||
1931年(昭和6年)*[50] | ←←←← | 555,856 | |||||
1932年(昭和7年) | ←←←← | ||||||
1933年(昭和8年) | ←←←← | ||||||
1934年(昭和9年) | ←←←← | ||||||
1935年(昭和10年) | ←←←← | ||||||
1936年(昭和11年) | ←←←← | ||||||
1937年(昭和12年) | ←←←← | ||||||
1938年(昭和13年) | ←←←← | ||||||
1939年(昭和14年) | ←←←← | ||||||
1940年(昭和15年) | ←←←← | ||||||
1941年(昭和16年) | ←←←← | ||||||
1942年(昭和17年) | ←←←← | ||||||
1943年(昭和18年) | ←←←← | ||||||
1944年(昭和19年) | ←←←← | ||||||
1945年(昭和20年) | ←←←← | ||||||
1946年(昭和21年) | ←←←← | ||||||
1947年(昭和22年) | ←←←← | 1,400,923 | |||||
1948年(昭和23年) | 629,750 | ←←←← | 556,557 | 1,186,307 | |||
1949年(昭和24年) | 628,530 | ←←←← | 456,615 | 1,085,145 | |||
1950年(昭和25年) | 516,953 | ←←←← | 553,159 | 1,070,112 | |||
1951年(昭和26年) | 464,660 | ←←←← | 696,327 | 1,106,987 | |||
1952年(昭和27年) | 444,785 | ←←←← | 654,876 | 1,099,661 | |||
1953年(昭和28年) | 468,098 | ←←←← | 806,521 | 1,274,619 | |||
1954年(昭和29年) | 501,857 | ←←←← | 862,615 | 1,364,472 | |||
1955年(昭和30年) | 484,736 | ←←←← | 818,821 | 1,303,557 | |||
1956年(昭和31年) | 544,255 | ←←←← | 837,626 | 1,381,881 | |||
1957年(昭和32年) | 632,609 | ←←←← | 773,295 | 1,405,904 | |||
1958年(昭和33年) | 663,320 | ←←←← | 814,365 | 1,477,685 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | 1,192,042 | ←←←← | 1,145,241 | 2,337,283 | |||
1962年(昭和37年) | 1,649,559 | ←←←← | 740,964 | 2,390,523 | |||
1963年(昭和38年) | 1,324,763 | ←←←← | 841,593 | 2,166,356 | |||
1964年(昭和39年) | 1,451,075 | ←←←← | 777,637 | 2,228,712 | |||
1965年(昭和40年) | 1,536,327 | ←←←← | 575,196 | 2,111,523 | |||
1966年(昭和41年) | 1,585,720 | ←←←← | 494,804 | 2,080,524 | |||
1967年(昭和42年) | 1,512,785 | ←←←← | 538,682 | 2,051,467 | |||
1968年(昭和43年) | 1,298,753 | ←←←← | 563,559 | 1,862,312 | |||
1969年(昭和44年) | 1,247,732 | ←←←← | 581,464 | 1,829,196 | |||
1970年(昭和45年) | 397,621 | ←←←← | 225,760 | 623,381 | 近鉄鳥羽線開業 | ||
1971年(昭和46年) | 308,279 | ←←←← | 218,039 | 526,318 | |||
1972年(昭和47年) | 261,654 | ←←←← | 177,715 | 439,369 | |||
1973年(昭和48年) | 233,955 | ←←←← | 172,371 | 406,326 | |||
1974年(昭和49年) | 227,945 | ←←←← | 183,013 | 410,958 | |||
1975年(昭和50年) | 234,476 | ←←←← | 192,959 | 427,435 | |||
1976年(昭和51年) | 248,710 | ←←←← | 189,801 | 438,511 | |||
1977年(昭和52年) | ←←←← | 243,531 | |||||
1978年(昭和53年) | ←←←← | 203,736 | |||||
1979年(昭和54年) | ←←←← | 194,409 | |||||
1980年(昭和55年) | 204,147 | ←←←← | 187,948 | 392,095 | |||
1981年(昭和56年) | 205,509 | ←←←← | 184,121 | 389,630 | |||
1982年(昭和57年) | 181,101 | ←←←← | 164,472 | 345,573 | |||
1983年(昭和58年) | 169,133 | ←←←← | 158,779 | 327,912 | |||
1984年(昭和59年) | 151,850 | ←←←← | 157,031 | 308,881 | |||
1985年(昭和60年) | 154,950 | ←←←← | 147,662 | 302,612 | |||
1986年(昭和61年) | 149,856 | ←←←← | 147,590 | 297,446 | |||
1987年(昭和62年) | 126,867 | ←←←← | 114,730 | 214,597 | |||
1988年(昭和63年) | 120,773 | ←←←← | 113,413 | 234,186 | |||
1989年(平成元年) | 106,794 | ←←←← | 119,644 | 226,438 | |||
1990年(平成2年) | 93,836 | ←←←← | 84,311 | 177,697 | |||
1991年(平成3年) | 96,514 | ←←←← | 147,216 | 243,730 | |||
1992年(平成4年) | 96,430 | ←←←← | 146,731 | 243,161 | |||
1993年(平成5年) | 84,714 | ←←←← | 172,278 | 256,992 | |||
1994年(平成6年) | 78,858 | ←←←← | 154,844 | 233,702 | |||
1995年(平成7年) | 73,127 | ←←←← | 132,751 | 205,878 | |||
1996年(平成8年) | 75,529 | ←←←← | 131,542 | 207,071 | |||
1997年(平成9年) | 71,792 | ←←←← | 119,541 | 191,333 | |||
1998年(平成10年) | 69,621 | ←←←← | 106,804 | 176,425 | |||
1999年(平成11年) | 62,529 | ←←←← | 104,577 | 167,106 | |||
2000年(平成12年) | 63,125 | ←←←← | 101,546 | 164,671 | |||
2001年(平成13年) | 59,514 | ←←←← | 94,100 | 153,614 | |||
2002年(平成14年) | 58,017 | ←←←← | 86,235 | 144,252 | |||
2003年(平成15年) | 52,117 | ←←←← | 80,012 | 132,129 | |||
2004年(平成16年) | 47,026 | ←←←← | 72,426 | 119,452 | |||
2005年(平成17年) | 43,142 | ←←←← | 76,454 | 119,596 | |||
2006年(平成18年) | 41,907 | ←←←← | 91,262 | 133,169 | |||
2007年(平成19年) | 40,427 | ←←←← | 91,811 | 132,238 | |||
2008年(平成20年) | 39,537 | ←←←← | 94,607 | 134,144 | |||
2009年(平成21年) | 36,856 | ←←←← | 85,104 | 121,960 | |||
2010年(平成22年) | 37,219 | ←←←← | 91,194 | 128,413 | |||
2011年(平成23年) | 38,793 | ←←←← | 84,516 | 123,309 | |||
2012年(平成24年) | 36,533 | ←←←← | 94,290 | 130,823 | |||
2013年(平成25年) | 38,748 | ←←←← | 127,807 | 166,555 | |||
2014年(平成26年) | 34,296 | ←←←← | 95,219 | 129,515 | |||
2015年(平成27年) | 31,658 | ←←←← | 89,249 | 120,907 | |||
2016年(平成28年) | 28,009 | ←←←← | 98,458 | 126,467 | |||
2017年(平成29年) | 27,963 | ←←←← | 95,003 | 122,966 | |||
2018年(平成30年) | 27,955 | ←←←← | 93,381 | 121,336 |
近鉄
[編集]近鉄鳥羽駅の利用状況の変遷を下表に示す[53]。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。ただし、*は暦年統計による。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である[54]。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する[55]。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(近鉄鳥羽駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果:人/日 | 特記事項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1929年(昭和4年) | ←←←← | 7月開業 | |||||
1930年(昭和5年) | ←←←← | ||||||
1931年(昭和6年)*[50] | ←←←← | 77,439 | |||||
1958年(昭和33年) | 192,480 | ←←←← | 502,369 | 694,849 | |||
1959年(昭和34年) | ←←←← | ||||||
1960年(昭和35年) | ←←←← | ||||||
1961年(昭和36年) | ←←←← | ||||||
1962年(昭和37年) | ←←←← | ||||||
1963年(昭和38年) | ←←←← | ||||||
1964年(昭和39年) | ←←←← | ||||||
1965年(昭和40年) | 334,160 | ←←←← | 382,987 | 717,147 | |||
1966年(昭和41年) | 369,090 | ←←←← | 303,430 | 672,520 | |||
1967年(昭和42年) | 385,540 | ←←←← | 268,576 | 654,116 | |||
1968年(昭和43年) | 340,620 | ←←←← | 287,339 | 627,959 | |||
1969年(昭和44年) | 412,560 | ←←←← | 349,640 | 762,210 | 改良工事のため営業休止(バス代行) | ||
1970年(昭和45年) | 450,240 | ←←←← | 1,159,721 | 1,609,961 | 標準軌化し営業再開 | ||
1971年(昭和46年) | 481,230 | ←←←← | 1,182,484 | 1,663,714 | |||
1972年(昭和47年) | 502,950 | ←←←← | 1,306,385 | 1,809,335 | |||
1973年(昭和48年) | 430,320 | ←←←← | 1,619,892 | 2,050,212 | |||
1974年(昭和49年) | 492,810 | ←←←← | 1,732,957 | 2,225,767 | |||
1975年(昭和50年) | 540,180 | ←←←← | 1,599,824 | 2,140,004 | |||
1976年(昭和51年) | 506,640 | ←←←← | 1,643,659 | 2,150,299 | |||
1977年(昭和52年) | 509,400 | ←←←← | 1,694,687 | 2,204,087 | |||
1978年(昭和53年) | 512,580 | ←←←← | 1,708,924 | 2,221,504 | |||
1979年(昭和54年) | 520,230 | ←←←← | 1,778,346 | 2,298,576 | |||
1980年(昭和55年) | 548,040 | ←←←← | 1,744,318 | 2,292,358 | |||
1981年(昭和56年) | 532,320 | ←←←← | 1,687,454 | 2,219,774 | |||
1982年(昭和57年) | 487,950 | ←←←← | 1,628,709 | 2,116,659 | 11月16日 | 8,674 | |
1983年(昭和58年) | 455,700 | ←←←← | 1,650,683 | 2,106,383 | 11月8日 | 11,237 | |
1984年(昭和59年) | 440,490 | ←←←← | 1,733,085 | 2,173,575 | 11月6日 | 9,133 | |
1985年(昭和60年) | 495,900 | ←←←← | 1,669,176 | 2,135,076 | 11月12日 | 9,268 | |
1986年(昭和61年) | 464,130 | ←←←← | 1,645,172 | 2,109,302 | 11月11日 | 8,270 | |
1987年(昭和62年) | 433,530 | ←←←← | 1,557,163 | 1,990,693 | 11月10日 | 9,499 | |
1988年(昭和63年) | 413,250 | ←←←← | 1,490,881 | 1,904,131 | 11月8日 | 8,552 | |
1989年(平成元年) | 391,770 | ←←←← | 1,509,782 | 1,901,552 | 11月14日 | 8,309 | |
1990年(平成2年) | 417,300 | ←←←← | 1,728,115 | 2,145,415 | 11月6日 | 9,318 | |
1991年(平成3年) | 426,450 | ←←←← | 1,723,890 | 2,150,340 | |||
1992年(平成4年) | 435,810 | ←←←← | 1,627,901 | 2,063,711 | 11月10日 | 9,845 | |
1993年(平成5年) | 417,990 | ←←←← | 1,490,203 | 1,908,193 | |||
1994年(平成6年) | 407,010 | ←←←← | 1,394,097 | 1,801,107 | |||
1995年(平成7年) | 385,950 | ←←←← | 1,246,556 | 1,632,506 | 12月5日 | 5,902 | |
1996年(平成8年) | 345,210 | ←←←← | 1,141,157 | 1,486,367 | |||
1997年(平成9年) | 321,300 | ←←←← | 1,050,356 | 1,371,656 | |||
1998年(平成10年) | 280,140 | ←←←← | 932,199 | 1,212,339 | |||
1999年(平成11年) | 250,470 | ←←←← | 829,004 | 1,079,474 | |||
2000年(平成12年) | 248,520 | ←←←← | 803,850 | 1,052,370 | |||
2001年(平成13年) | 240,240 | ←←←← | 780,271 | 1,020,511 | |||
2002年(平成14年) | 226,230 | ←←←← | 752,908 | 979,138 | |||
2003年(平成15年) | 216,180 | ←←←← | 752,757 | 968,937 | |||
2004年(平成16年) | 214,470 | ←←←← | 722,776 | 937,246 | |||
2005年(平成17年) | 203,490 | ←←←← | 694,009 | 897,499 | 11月8日 | 4,376 | |
2006年(平成18年) | 197,940 | ←←←← | 697,164 | 895,104 | |||
2007年(平成19年) | 192,720 | ←←←← | 716,018 | 908,738 | |||
2008年(平成20年) | 191,490 | ←←←← | 642,553 | 834,043 | 11月18日 | 3,752 | |
2009年(平成21年) | 177,300 | ←←←← | 568,025 | 745,325 | |||
2010年(平成22年) | 178,140 | ←←←← | 556,023 | 734,163 | 11月9日 | 3,498 | |
2011年(平成23年) | 172,350 | ←←←← | 515,964 | 688,314 | |||
2012年(平成24年) | 177,750 | ←←←← | 529,417 | 707,167 | 11月13日 | 3,151 | |
2013年(平成25年) | 179,610 | ←←←← | 670,179 | 849,789 | |||
2014年(平成26年) | 173,910 | ←←←← | 544,284 | 718,194 | |||
2015年(平成27年) | 177,720 | ←←←← | 570,496 | 748,216 | 11月10日 | 3,848 | |
2016年(平成28年) | 172,680 | ←←←← | 574,269 | 746,949 | 伊勢志摩サミット | ||
2017年(平成29年) | 165,330 | ←←←← | 564,902 | 730,232 | |||
2018年(平成30年) | 158,520 | ←←←← | 534,398 | 692,918 | 11月13日 | 3,741 | |
2021年(令和3年) | ←←←← | 11月9日 | 2,440 | ||||
2022年(令和4年) | ←←←← | 11月8日 | 3,233 | ||||
2023年(令和5年) | ←←←← | 11月8日 | 3,175 |
駅周辺
[編集]南側(JR駅舎側、4番出口)
[編集]北側(1・2・3番出口)
[編集]- 国道42号
- ミキモト真珠島
- イルカ島
- 鳥羽一番街
- 鳥羽国際ホテル
- 鳥羽温泉郷
- 戸田家
- 潮路亭
- 鳥羽マルシェ
- 鳥羽海上保安部
- 鳥羽港佐田浜桟橋(鳥羽マリンターミナル)
- 鳥羽港伊勢湾フェリーターミナル
- 鳥羽水族館 - 徒歩約15分。中之郷駅の方が近い。
- 御木本幸吉翁像 - ミキモト真珠島内にある像とは異なり、老年期の幸吉を模した像である。
バス路線
[編集]長らく駅敷地内ではなく国道42号を挟んだ向かい側の鳥羽バスセンターのみであったが、2012年(平成24年)4月に近鉄鳥羽駅敷地内にかもめバス(鳥羽市営路線バス)鳥羽駅バス停が新設された[22]。鳥羽バスセンターは駅と連絡橋でつながっている。鳥羽バスセンターと鳥羽駅の双方に乗り入れる便は少なく、便によりどちらか一方に乗り入れる[57]。
鳥羽バスセンター
[編集]三重交通(一般路線)の停留所名は「鳥羽(鳥羽バスセンター)」である。
- 1番乗り場
- かもめバス(鳥羽市営路線バス)[58]
- 1系統 小浜漁協前
- 4系統 鳥羽小学校
- 1・4系統 鳥羽マリンターミナル(佐田浜)
- 三重交通(伊勢営業所管内)[59]
- 41系統 伊勢鳥羽線 伊勢市駅前
- 津伊勢空港連絡線 VISON経由津なぎさまち(中部国際空港方面連絡)
- 2番乗り場
- 3番乗り場
鳥羽駅バス停
[編集]2019年4月現在(乗り場番号なし)[60]
- かもめバス
- 1系統 安楽島
- 2系統 ウィスタリアン前
- 1・2・3系統 小浜漁協前
- 3・4系統 鳥羽小学校
- 5系統 鳥羽マリンターミナル(佐田浜)
- 5系統 国崎
隣の駅
[編集]- 近畿日本鉄道
- M 鳥羽線・M 志摩線
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 使用は1993年8月1日のダイヤ改正から[20]。
- ^ 2021年3月13日ダイヤ改正で、0番線発着の列車が消滅し[28][29]、鳥羽駅構内図から0番線が削除された[30][31]。
- ^ 前述の通り、0番線は後に固定柵が設けられて使用不可となった。
- ^ 志摩電気鉄道時代は、国鉄の貨車を参宮線との間で直通させるため国鉄駅の南東側に駅があり、線路もつながっていた(時の鉄路/第6話 1960年代の鳥羽駅 - archive.today(2013年4月27日アーカイブ分)より)。
- ^ 近鉄では、のりば番号は下り側から順に振るのを原則としている(JRは駅本屋側から振る)。
- ^ 駅掲示用時刻表の案内表記。これらはJR東海公式サイトの各駅の時刻表で参照可能(2022年3月現在)。
- ^ 14時台のみ快速みえ2本。
- ^ ただし7時台はそれぞれ1本ずつ運行、8時台の発車列車は設定なし。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 朝日新聞出版(2013):27ページ
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日、25頁。
- ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。
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- ^ a b c d 鳥羽市史編さん室編(1991):226ページ
- ^ 鳥羽市史編さん室編(1991):347ページ
- ^ 「雨が降っても大丈夫 鳥羽驛 "屋根なしホーム"近く解消」伊勢新聞 1953年9月3日付 3面、「わが街 わが村」伊勢新聞 1953年11月9日付 2面
- ^ a b 鳥羽市史編さん室編(1991):445ページ
- ^ 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月、306頁。全国書誌番号:21906373。
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 445.
- ^ 鳥羽市史編さん室 1991, p. 447.
- ^ a b 「鳥羽駅が全焼」『交通新聞』交通協力会、1974年1月8日、2面。
- ^ 1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1982年(昭和57年)9月30日日本国有鉄道公示第113号「駅の営業範囲の改正」
- ^ 1985年(昭和60年)3月12日日本国有鉄道公示第181号「駅の営業範囲の改正」
- ^ “名古屋-鳥羽間 輸送力増強工事が完了”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1993年7月29日)
- ^ 三浦衛「パワーアップした快速気動車<みえ>」『鉄道ジャーナル』第325号、鉄道ジャーナル社、1993年11月、91 - 92頁。
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- ^ 出典:三重県統計書各年度版 近鉄広報発行パンフレット「きんてつ」
- ^ “かもめバス時刻表”. 三重交通・鳥羽市地域公共交通会議 (2019年4月1日). 2019年12月5日閲覧。
- ^ a b “鳥羽バスセンター発かもめバス時刻表”. 鳥羽市定期船課管理係 (2019年4月1日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ a b c “鳥羽バスセンター”. 主要停留所案内図・時刻表. 三重交通. 2019年12月6日閲覧。
- ^ “鳥羽駅発かもめバス時刻表”. 鳥羽市定期船課管理係 (2019年4月1日). 2019年12月6日閲覧。
- ^ 2020年(令和2年)3月13日まで、松下駅との間に池の浦シーサイド駅(臨時駅)があった。
参考文献
[編集]- 鳥羽市史編さん室『鳥羽市史 下巻』鳥羽市役所、1991年3月25日、1347頁。全国書誌番号:92001549
- 総務課公報情報係 編『広報とば 2012年3月1日号』総務課公報情報係〈No.1256〉、2012年3月1日、28頁 。
- 『週刊JR全駅・全車両基地 No.45』朝日新聞出版、2013年6月30日、34p. 全国書誌番号:22263803
- 『週刊私鉄全駅・全車両基地 No.06 近畿日本鉄道②』朝日新聞出版、2014年1月26日、35p. 全国書誌番号:22347638