大中臣安則
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時代 | 平安時代前期 - 中期 |
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生誕 | 承和14年(847年) |
死没 | 延長6年正月24日(928年2月14日)[1] |
官位 | 従四位上・神祇伯 |
主君 | 光孝天皇→宇多天皇→醍醐天皇 |
氏族 | 大中臣氏(二門) |
父母 | 父:大中臣道雄 |
兄弟 | 安景、有常、春常、秋常、時常、安則 |
子 | 完行、密如、述征、茂之、俊行、正行、文行、頼行、光行、佐行 |
大中臣 安則(おおなかとみ の やすのり)は、平安時代前期から中期にかけての貴族・伊勢神宮祭主。参議・大中臣子老の曾孫。駿河守・大中臣道雄の六男。官位は従四位上・神祇伯。
経歴
[編集]宇多朝の寛平6年(894年)正六位上・神祇権大祐のときに伊勢神宮祭主に補せられ、翌寛平7年(895年)従五位下・神祇権大副に叙任される。寛平9年(897年)醍醐天皇の即位に伴い従五位上に叙せられた。
延喜6年(906年)に大中臣良臣ら同族8人らと共に『新撰氏族本系帳』を奉り、『延喜式』の撰修にも携わった。延喜14年(914年)正五位下、延喜17年(917年)従四位下に叙せられ、延喜18年(918年)神祇伯に任ぜられ、延喜23年(923年)従四位上に至った。この間に祭主として、延喜22年(922年)4月、延喜23年(923年)正月に京の病の平癒を祈禳。延長3年(925年)5月、延長5年(927年)5月には祈雨を行っている[2][3]。
官歴
[編集]『類聚大補任』による。
- 時期不詳:正六位上。神祇権大祐
- 寛平6年(894年) 4月18日:伊勢神宮祭主
- 寛平7年(895年) 正月:従五位下。8月:神祇権大副
- 寛平9年(897年) 11月20日:従五位上(醍醐天皇踐祚)
- 延喜14年(914年) 正月7日:正五位下
- 延喜17年(917年) 11月17日:従四位下
- 延喜18年(918年) 2月-日:神祇伯
- 延喜21年(921年) 正月-日:兼伊勢権守
- 延喜23年(923年) 正月7日:従四位上
- 延長6年(928年) 正月24日:卒去
系譜
[編集]「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。
- 父:大中臣道雄
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 生母不明の子女
- 長男:大中臣完行
- 次男:大中臣密如
- 三男:大中臣述征
- 四男:大中臣茂之
- 五男:大中臣俊行
- 六男:大中臣正行
- 七男:大中臣文行
- 八男:大中臣頼行
- 九男:大中臣光行
- 十男:大中臣佐行