藤波清忠
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時代 | 室町時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文明元年(1469年)?[1][注 1] |
別名 | 清宣(初名) |
官位 | 従二位非参議 |
主君 | 後小松天皇→後花園天皇 |
氏族 | 藤波家 |
父母 | 藤波清世 |
兄弟 | 清誠、清基、清郷、清忠 |
子 | 秀忠、大中臣敏忠 |
藤波 清忠(ふじなみ きよただ)は、室町時代の公卿。神祇大副、伊勢神宮祭主。
生涯
[編集]神宮祭主藤波清世の子として生まれる。初名は清宣(きよのぶ)。
応永35年(1428年)4月、祭主であった大中臣通直が逝去するが、それに伴って、同年中に祭主となる[2]。その後、神祇権大副となる。永享3年(1431年)には正三位となる[注 2]。永享11年(1439年)に神祇大副へ転任した。
嘉吉3年(1443年)9月3日、通直の子・宗直が祭主となる[2]も、同月20日(1443年10月13日)に清忠が還任した[2]。文安3年(1446年)4月には再び宗直が祭主となる[2][注 3]が宝徳2年(1450年)正月に宗直が病で亡くなり、同年2月5日、清忠が祭主に還任した[2][注 4]。寛正元年(1460年)8月、神祇権大副吉田兼名が従二位に昇叙してしまったことで、後日、同日付で従二位に叙された[注 5]。