季羨林

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季羨林
1934年
プロフィール
出生: 1911年宣統3年)8月6日
死去: 2009年7月11日
出身地: 山東省清平県
職業: 学者
各種表記
繁体字 季羨林
簡体字 季羨林
拼音 Jì Xiànlín
和名表記: き せんりん
発音転記: ジー シェンリン
英語名 Hiän-lin Dschi
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季羨林(き せんりん)は、中華人民共和国の学者、翻訳家文学者教育者言語学、文化学、歴史学、仏教学、インド学、比較文学など多くの分野で博学[1] 。中国敦煌トルファン学会会長。字は希逋、または斉奘

経歴[編集]

1934年民国23年)、清華大学を卒業。1935年(民国24年)にドイツに留学し、1936年(民国25年)から1945年(民国34年)まで、ゲッティンゲン大学インド古代言語(サンスクリットパーリ語など)、トカラ語を学ぶ。1941年(民国30年)、同大学で哲学博士学位を取得。1946年(民国35年)に中国に帰国し、北京大学東方言語文学部教授、学部長。

北京大学副学長、中国科学院哲学社会科学学部委員、中国人民政治協商会議全国委員会委員、全国人民代表大会常務委員会委員、中国言語学会会長、中国比較文学学会会長などを歴任。中国孔子学院の設立にあたっては顧問に迎えられた[2]文化大革命では、激しい迫害を受けた。その様子は『牛棚雑憶』に詳しい。

2006年、中国翻訳協会は季羨林に「翻訳文化生涯貢献大賞」を授与した。

著書(邦訳)[編集]

  • 『中印文化関系史論叢』(新華書店
  • 依田憙家訳『中国知識人の精神史:季羨林散文集』2冊(『フマニタス選書』 北樹出版、1990年)ISBN 4893841726(上) ISBN 4893841734(下)

脚注[編集]

  1. ^ 「温家宝総理、季羨林先生ら著名科学者を見舞う」(Japanese.CHINA.ORG.CN)
  2. ^ チャイナネット「中国孔子大学の設立準備がスタート」