小林健二 (将棋棋士)

ウィキペディアから無料の百科事典

 小林健二 九段
名前 小林健二
生年月日 (1957-03-31) 1957年3月31日(67歳)
プロ入り年月日 1975年12月20日(18歳)
引退年月日 2022年3月31日(65歳)
棋士番号 123
出身地 香川県高松市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 板谷進九段
弟子 伊奈祐介島本亮古森悠太池永天志冨田誠也井田明宏徳田拳士森本才跳岩根忍北村桂香木村朱里
段位 九段
棋士DB 小林健二
戦績
一般棋戦優勝回数 2回
通算成績 699勝775敗(0.4742)
竜王戦最高クラス 1組(1期)
順位戦最高クラス A級(4期)
2022年3月31日現在
テンプレートを表示

小林 健二(こばやし けんじ、1957年3月31日 - )は、将棋棋士。棋士番号123。香川県高松市出身。板谷進九段門下。竜王戦1組通算1期、順位戦A級通算4期。

経歴

[編集]

1972年に14歳で板谷門下に入門。同年4月に東京・将棋会館の塾生となるが、しばらくすると体調を崩してしまう。そのため師匠の板谷を頼って名古屋に移り、板谷の内弟子となる[1]。1975年12月に四段に昇段[1]

四段時代の1977年、第18期王位戦の挑戦者決定リーグ戦に進出。白組で有吉道夫八段(当時)らを破り5戦全勝で優勝、挑戦者決定戦へ進出した。将棋界初の四段によるタイトル挑戦かと騒がれ、紅組で優勝した米長邦雄八段(当時)との対局も途中までは優勢であったが、終盤で逆転負けし、惜しくもタイトル挑戦とはならなかった。師匠の板谷進八段(当時)は対局前、「負けたら記録係をやらせる」とハッパをかけていた[2]が勝利かなわず、中原誠王位と米長八段による王位戦第3局では本当に記録係を務めることとなった。

1985年度の第44期順位戦では、師匠の板谷とA級昇格を競い合う展開となるが、最終的に小林が2位に入り初のA級入りを決めた一方で、板谷は4位で昇級を逃した。

第46回NHK杯テレビ将棋トーナメント3回戦(1997年1月3日放送)・対屋敷伸之戦で時間切れによる反則負けをしている。2006年の第65期順位戦・対小倉久史戦で、自身の歩が9四にいる状態で9二に歩を打ち、二歩の反則で敗れた[1]

2009年6月9日、第68期C級1組順位戦1回戦・対田中魁秀戦に勝ち、史上40人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成[3]

第75期第76期の順位戦でC級2組の降級点が連続でついたところでフリークラスに転出し、2018年度(第77期)以降の順位戦出場資格を放棄した[4]

フリークラス最終年で65歳の誕生日でもある2022年3月31日、竜王戦6組昇級者決定戦で神崎健二に敗れ、公式戦全対局を終了。現役引退となった。通算成績は699勝775敗。700勝にあと1勝及ばずだった[5]

棋風

[編集]

若手時代には矢倉を得意とするオールラウンダーだったが、1989年ごろから振り飛車党に転向。四間飛車を好んで指すようになり、1991年にはその戦法で順位戦A級への復帰を果たしている。

インターネット将棋にも積極的に参加しており、実名による登録が原則であった近代将棋でもよく対局を行なっていた。

振り飛車転向の頃にはオーソドックスな四間飛車を指し「スーパー四間飛車」の名で有名となり、著書を出版するとともに、NHK教育テレビの「将棋の時間」でも講座を担当。この頃にデビューした杉本昌隆と共に、藤井システム登場以前の四間飛車の定跡発展に大きく貢献した。その後立石流が知られるようになると、特に立石流四間飛車と四間飛車穴熊を指すようになった。相振り飛車での左玉も得意としていた。

その後は再びオールラウンダーに戻っている。

人物

[編集]

弟子

[編集]

棋士

[編集]
名前 四段昇段日 段位、主な活躍
伊奈祐介 1998年4月 1日 七段
島本亮 2003年4月 1日 六段
古森悠太 2017年10月 1日 五段
池永天志 2018年4月 1日 六段、棋戦優勝2回
冨田誠也 2020年10月 1日 五段
井田明宏 2021年4月 1日 四段
徳田拳士 2022年4月 1日 四段、棋戦優勝1回
森本才跳 2023年4月 1日 四段

(2024年7月10日現在)

女流棋士

[編集]
名前 女流プロ入り日 段位、主な活躍
岩根忍 2004年4月 1日 女流三段、タイトル挑戦3回
北村桂香 2013年6月24日 女流二段
木村朱里 2022年6月 1日 女流初段

(2024年4月1日現在)

  • 2017年以降は、ほぼ毎年プロ入りする弟子を輩出しており、2023年時点においては、森信雄門下(現役棋士・現役女流棋士16人)に次ぎ、所司和晴門下(現役棋士・現役女流棋士11人)に並ぶ多数の弟子が現役で活躍している。
  • 弟弟子の杉本昌隆を、1988年2月の板谷の急逝から1990年10月のプロ入りまでの間預かっていた。このため杉本門下の藤井聡太(名目上は甥弟子)の事実上の大師匠として紹介されることもある[7]
  • アマ強豪からプロ編入試験を受験し合格した今泉健司が最初に奨励会に入会(1987年9月)してから退会(1999年9月)するまでの間も師匠を務め[注 1]、自宅近くに住む今泉に内弟子のように接した。才能がありながらプロになれず退会した今泉について「もっとビシビシ厳しく鍛えればよかった」と残念がった。2014年8月1日には、朝日杯将棋オープン戦一次予選で今泉と対局し、“師弟対決”が実現。当対局は相入玉の末、持将棋に1点足りず249手で今泉が勝利。“恩返し”をされた小林は「よくがんばったね」「もっと序盤を勉強したほうがいい」とかつての弟子に声をかけたという。今泉のプロ試験合格の際も、テレビ出演などで元弟子を祝福した[8]

昇段履歴

[編集]

主な成績

[編集]
  • 通算成績 = 対局数1475局 699勝775敗(勝率0.4738)[10]

棋戦優勝

[編集]

合計2回

将棋大賞

[編集]
  • 第8回(1980年度) 新人賞
  • 第18回(1990年度) 技能賞
  • 第51回(2023年度) 東京記者会賞

在籍クラス

[編集]
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[11]
(出典)竜王戦
出典[12]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1977 36 C220
1978 37 C222
1979 38 C116
1980 39 C102
1981 40 B217
1982 41 B204
1983 42 B113
1984 43 B110
1985 44 B104
1986 45 A 10
1987 46 B102 1 1組 --
1988 47 B103 2 2組 --
1989 48 B105 3 3組 --
1990 49 B103 4 3組 --
1991 50 A 09 5 3組 --
1992 51 A 06 6 3組 --
1993 52 A 05 7 3組 --
1994 53 B101 8 3組 --
1995 54 B111 9 3組 --
1996 55 B106 10 3組 --
1997 56 B109 11 4組 --
1998 57 B106 12 4組 --
1999 58 B104 13 4組 --
2000 59 B109 14 4組 --
2001 60 B202 15 4組 --
2002 61 B222 16 4組 --
2003 62 C101 17 3組 --
2004 63 C119 18 3組 --
2005 64 C115 19 3組 --
2006 65 C111 20 2組 --
2007 66 C116 21 2組 --
2008 67 C128 22 2組 --
2009 68 C114 23 3組 --
2010 69 C113 24 4組 --
2011 70 C111 25 4組 --
2012 71 C131 26 4組 --
2013 72 C123 27 4組 --
2014 73 C201 28 5組 --
2015 74 C229 29 5組 --
2016 75 C234 30 6組 --
2017 76 C243 31 6組 --
2018 77 F宣 32 6組 --
2019 78 F宣 33 6組 --
2020 79 F宣 34 6組 --
2021 80 F宣 35 6組 --
2022 2022年3月31日付で引退
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

出演

[編集]

ゲーム

[編集]
  • 将棋風林火山(スーパーファミコン用ソフト、1993年10月発売、ポニーキャニオン)5名の連名で監修

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2007年2月に今泉が三段リーグ編入試験を受けた際は、小林が「再び労苦を共にするのは辛い」として、師匠となることを辞退し、以降の師匠役は桐谷広人に託した。

出典

[編集]
  1. ^ a b c 「現役プロ棋士データブック2016 【上】あ~た行」(将棋世界2016年1月号付録)p.46
  2. ^ 前夜祭(3)”. お~いお茶杯王位戦中継Blog (2022年6月28日). 2022年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月28日閲覧。
  3. ^ 小林健二九段、600勝(将棋栄誉賞)を達成!|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2009年6月10日). 2019年6月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月8日閲覧。
  4. ^ 2018年度からのフリークラス転出者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2018年3月30日). 2018年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月8日閲覧。
  5. ^ 小林健二九段 藤井聡太王将の“大師匠”が引退 王将リーグ4期のトップ棋士であり、棋士7人輩出の伯楽”. スポニチアネックス. 株式会社スポーツニッポン新聞社 (2022年3月31日). 2022年3月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月31日閲覧。
  6. ^ “アジア将棋支部対抗戦inクアラルンプール” (日本語). 47NEWS. (2017年9月29日). オリジナルの2022年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220628132113/https://www.47news.jp/47reporters/madoka/312655.html 2022年6月28日閲覧。 
  7. ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「藤井六段と初の師弟戦 杉本七段に兄弟子・小林九段がエール - スポニチ Sponichi Annex 芸能」『スポニチ Sponichi Annex』2018年3月3日。オリジナルの2021年5月6日時点におけるアーカイブ。2022年6月28日閲覧。
  8. ^ 今泉さん大健闘 朝日杯将棋予選、プロに3連勝”. 朝日新聞デジタル. 朝日新聞社 (2014年9月9日). 2014年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月28日閲覧。
  9. ^ 小林自身の誕生日でもある、この日の対局に勝利していれば通算700勝到達、4月以降も敗退までの現役継続可能であったが、敗退により誕生日を以っての定年引退と通算699勝が確定した。
  10. ^
  11. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  12. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]