帝国石油
ウィキペディアから無料の百科事典
帝国石油本社社屋 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 大証1部(廃止) 1601 1949年5月16日 - 2006年3月28日 |
略称 | 帝石 |
本社所在地 | 日本 〒151-8565 東京都渋谷区幡ヶ谷一丁目31番10号 |
設立 | 1941年(昭和16年)9月1日 |
業種 | 鉱業 |
事業内容 | 石油・天然ガスの探鉱、開発 天然ガスの輸送 都市ガスの供給、石油製品等の販売及び輸送 |
代表者 | 椙岡 雅俊(代表取締役社長) |
資本金 | 195億7901万円 |
従業員数 | 836名 (単体・2007年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 国際石油開発帝石ホールディングス 100% |
関係する人物 | 八田嘉明(初代総裁)、橋本圭三郎 |
外部リンク | http://www.teikokuoil.co.jp/ |
特記事項:特記のないデータは2008年9月末時点のもの。また、写真の幡ヶ谷に存在した帝国石油本社社屋は、現在(2013年8月時点)は取り壊され、跡地にローソンの駐車場付き店舗が建っている。 |
帝国石油株式会社(ていこくせきゆ、英: Teikoku Oil Co., Ltd.)は、かつて石油や天然ガスの採掘・精製・販売を行っていた企業である。
2006年(平成18年)に国際石油開発と共同で国際石油開発帝石ホールディングスを設立したが、2008年(平成20年)に同社が社名変更した国際石油開発帝石(現・INPEX)に吸収合併された。
概要
[編集]1941年(昭和16年)9月1日、国内各社の石油鉱業部門を一元化し、石油資源の開発促進・振興を図る目的の帝国石油株式会社法に基づく半官半民の国策会社として設立された[1]。翌年に日本石油(現・ENEOS)、日本鉱業(現・JX金属)ら4社の石油鉱業部門を統合した。1950年(昭和25年)、帝国石油株式会社法廃止に伴い民営化された。その経緯から、2006年(平成18年)に国際石油開発と経営統合し、持株会社・国際石油開発帝石ホールディングスの完全子会社となった後も新日本石油・ジャパンエナジーの両社が国際石油開発帝石ホールディングスの大株主として名前を連ねていた。
1949年(昭和24年)に八橋油田、1973年(昭和48年)に磐城沖ガス田、1979年(昭和54年)に南長岡ガス田を発見。日本国外ではベネズエラ・エジプト・コンゴ・アルジェリアなどで油田・ガス田の開発を行っている。2005年(平成17年)10月には、リビア東部でのガダメス鉱区を南北2箇所落札し、同所にて採掘が始まった。
日本と中華人民共和国が排他的経済水域をめぐり争っている東シナ海ガス田問題で、1969年(昭和44年)に試掘出願をしていたが保留にされ(大平正芳経産大臣)、出願から35年後の2005年7月14日に試掘権が付与されたが(中川昭一経産大臣)、10月に親中派議員の二階俊博が経済産業大臣になると、この流れはストップしてしまう。
事業所
[編集]沿革
[編集]- 1941年(昭和16年)9月1日 - 半官半民の国策会社として会社発足。
- 1942年(昭和17年)4月1日 - 日本石油・日本鉱業・中野興業・旭石油の石油鉱業部門を統合。
- 1943年(昭和18年)2月10日 - 太平洋石油株式会社・大日本石油鉱業株式会社を合併。
- 1944年(昭和19年)7月21日 - 北樺太石油(英: Northern Karafuto Oil Consession)を合併[2]。
- 1949年(昭和24年)5月16日 - 東京証券取引所・大阪証券取引所に株式上場。
- 1950年(昭和25年)7月1日 - 民間企業として発足。
- 1961年(昭和36年)9月1日 - 帝石トッピング・プラントを設立。
- 1963年(昭和38年)- 硬式野球部(帝国石油秋田)が初代秋田県代表として都市対抗野球大会に出場。
- 2003年(平成15年)10月22日 - 南富士パイプラインを設立。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)7月 - 磐城沖ガス田での採掘を終了。
- 2008年(平成20年)10月1日 - 国際石油開発帝石に吸収合併される。
主要事業
[編集]天然ガス採掘
[編集]帝国石油は、南長岡ガス田と成東ガス田の2か所のガス田を保有し、天然ガスを生産していた。
新潟県長岡市の西部に広がる南長岡ガス田で生産された天然ガスは、越路原プラントと親沢プラントで処理され、パイプラインで需要家に配送される。越路原プラントは1984年9月に稼働を開始した。ガス処理能力は日本最大級の日量190万Nm3で、隣接地に特定規模電気事業者向けの出力約5万5千kWの火力発電所を建設し、2007年5月7日から営業運転を開始した。親沢プラントは、1994年10月に稼働を開始した。ガス処理能力は日量166万Nm3。
千葉県山武市に広がる成東ガス田は水溶性天然ガス田のため、かん水に溶解している天然ガスとヨウ素を産出している。
また、福島県楢葉町の沖合いに磐城沖ガス田が存在していたが、2007年(平成19年)7月末をもって操業を終了した。
石油精製
[編集]製油所はグループの帝石トッピング・プラント株式会社が保有していた。拠点の頸城製油所は新潟県上越市にあり、日本で唯一国産原油のみを精製し、その処理能力は4,410バレル/日で日本一小さい。
この製油所で製油したガソリンなどを販売するため、長野県中部から新潟県上越地方にガソリンスタンド計16店を経営していた。
グループ会社
[編集]石油開発関連事業
- 帝石削井工業株式会社
- 株式会社テルナイト
パイプライン関連事業
石油精製・物流関連事業
- 帝石トッピング・プラント株式会社
- 帝石物流株式会社
都市ガス・LPG販売事業
- ネクストエネルギー株式会社
- 埼玉ガス株式会社
- 酒田天然ガス株式会社
- 帝石プロパンガス株式会社
その他関連事業
- 帝石不動産株式会社
- 第一倉庫株式会社
- 東洋瓦斯機工株式会社
海外プロジェクト会社
- テイコク・インターナショナル
- ベネズエラ石油株式会社
- 帝石コンゴ石油株式会社
- 帝石エル・オアール石油株式会社
- 帝石コンソン石油株式会社
- 帝石スエズSEJ株式会社
- 帝石スエズSOB株式会社
- 帝石ナイルNQR株式会社
エピソード
[編集]鉱業所などがあり、繋がりの深い新潟市には、帝石が自社用に設けた道路や橋梁が後に寄附され、公共に供されたケースがいくつかある。
- 帝石がパイプラインの維持管理のため信濃川に架橋した橋「帝石橋」は後に市に寄附され、その後県道に指定された。現在は架け替えられ、平成大橋となっている。
- 国道402号の同市西区五十嵐二の町 - 中央区文京町の区間は、帝石が天然ガス井とパイプラインの開発を行うために建設したもので、後に県に寄附された。現在もこの区間は「産業道路」の通称で呼ばれている。また、同区間を走る新潟交通の路線バスには「帝石前」というバス停留所がある。
- 新潟駅万代口に存在した「新潟帝石ビルディング」は、新潟駅が現在地に移転してから最初に建設されたオフィスビルで、1961年に建てられた当時は県内最大のビルだった。同市中央区内では古町に、9階建てのマンション兼オフィスビル(1955年竣工)が所在したが老朽化のため既に撤去されており、帝石ビルは区内に現存するビルとしては一時最古となっていたものの、老朽化により2021年末をもって営業を終了し、翌2022年には解体されている[3]。跡地にはINPEXが新たなオフィスビルとして「INPEX新潟ビルディング」を建設しており、2024年10月末の竣工を予定している[4]。なお管理業務は、国際石油開発帝石グループの「インペックスビジネスサービス」が行っていた。また新潟駅の万代口広場は狭隘で、ロータリー内に全ての路線バスを乗り入れることができないため、高速バスと朝ラッシュ時の一部路線バスの降車場が帝石ビル前に設けられている(詳しくは新潟駅のバス項や新潟交通のバス路線一覧を参照)。
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル ガイアの夜明け 石油争奪!アフリカ決戦(2005年10月25日、テレビ東京)[5]。- 石油鉱区の公開入札を取材。
脚注
[編集]- ^ 石油事業の国策会社、法案提出『朝日新聞』(昭和16年2月13日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p497 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 村上 隆, "北樺太石油コンセッション 1925‐1944", ISBN 4-832-96471-2
- ^ 新潟帝石ビルの営業終了と建替え工事着手(現ビル解体開始)のお知らせ 株式会社INPEXビジネスサービス 2022年2月22日
- ^ 物件概要 INPEX NIIGATA BUILDING、2024年9月18日閲覧。
- ^ 石油争奪!アフリカ決戦 - テレビ東京 2005年10月25日
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 『帝国石油の歩み』《INPEX『国際石油開発帝石10年の歩み』》。
- 岩間敏『戦争と石油 太平洋戦争編』。JOGMEC。2006年。
外部リンク
[編集]- 帝国石油株式会社 (2008年10月以降は国際石油開発帝石株式会社へ転送)