略陽郡

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略陽郡(りゃくよう-ぐん)は、中国にかつて存在した晋代から初にかけて、現在の甘粛省天水市陝西省漢中市にまたがる地域に設置された。

概要

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後漢末に立てられた広魏郡を前身とする。西晋泰始年間に略陽郡と改称された。晋の略陽郡は秦州に属し、臨渭平襄略陽清水の4県を管轄した[1]

南朝宋のとき、略陽郡は略陽・臨漢・上邽の3県を管轄した[2]

南朝斉のとき、略陽郡は略陽・臨漢の2県を管轄した[3]

北魏のとき、略陽郡は安戎綿諸隴城・清水・阿陽の5県を管轄した[4]

582年(隋の開皇2年)、略陽郡は廃止された[5]

脚注

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  1. ^ 晋書』地理志上
  2. ^ 宋書』州郡志三
  3. ^ 南斉書』州郡志下
  4. ^ 魏書』地形志二下
  5. ^ 隋書』地理志上