ツキガタプロダクション

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ツキガタプロタクシヨン
Tsukigata Productions
略称 月形プロ
本社所在地 日本の旗 日本
京都府京都市
本店所在地 撮影所 奈良県生駒郡南生駒村大字一分(現在の同県生駒市壱分町532-1)
北緯34度40分18.9秒 東経135度42分48.8秒 / 北緯34.671917度 東経135.713556度 / 34.671917; 135.713556
設立 1928年2月
業種 情報・通信業
事業内容 劇場用映画の製作
代表者 月形陽候
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ツキガタプロダクション(登記上正式表記ツキガタプロタクシヨン1928年 設立 - 1932年 解散)は、かつて京都、のちに奈良に存在した映画会社である。当時の若手人気俳優「月形陽候」こと月形龍之介が設立した。8本のサイレント映画と2本のトーキーを製作した[1]

略歴・概要

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牧野省三マキノ・プロダクションの専属俳優だった月形龍之介は、1928年昭和3年)2月、同社との配給提携を条件に設立したのが、この「ツキガタプロダクション」である。これを機に「月形陽候」と改名した。設立第1作は、井上金太郎の「秋篠珊次郎」名義によるオリジナル脚本での監督作『酒毒の剣法』、同作は同年6月15日にマキノ・プロダクションの配給で公開された[1]。井上の監督作3本、悪麗之助の監督作を製作し、翌1929年(昭和4年)、井上の監督作『剣士沖田総司』を製作して、一度同社を解散し、同年8月には月形一党は松竹下加茂撮影所に入社、名も「月形龍之介」に戻した[1][2]

1931年(昭和6年)5月、トーキー映画の製作を目指してふたたび独立、松竹下加茂撮影所を退社して、奈良生駒山山麓、奈良県生駒郡南生駒村大字一分(現在の同県生駒市壱分町532-1)に撮影所を建設し、「月形プロダクション」とした[3]。新社第1作は直木三十五の原作を得て『舶来文明街』を製作した。映音のシステム不備でパート・トーキーとなったが、キネマ旬報ベストテンで第5位の高評価を得た。第2作は映画『スカラムーシュ』(監督レックス・イングラム、1923年)の原作者ラファエル・サバチニの小説を原作に、『暁の市街戦』を製作、1932年(昭和7年)4月7日に公開されたが、今回は写真化学研究所(のちのP.C.L.映画製作所、現在の東宝スタジオ)のシステムでオール・トーキーが可能になった[2]。いずれも洋画を配給していた「欧米映画社」が配給した[1]

第二次月形プロダクションにおいて、俳優高田篤は松竹下加茂撮影所から同社に移籍し、設立に参加したが解散後は片岡千恵蔵プロダクションに移籍した[4][5]高松錦之助は第一次ツキガタプロに「筆頭脇役」として設立に参加、解散後は松竹下加茂撮影所に同行、第二次にもおなじく参加した[6][7]浅草オペラ出身の天野刃一も高松同様に第一次および松竹下加茂、第二次に参加した[8][9]岩田専太郎の実妹で女優の湊明子も同様の月形一党であった[10]

しかし、この2作で月形は15万円もの負債を背負い、再度プロダクションを解散、月形は東活映画社に入社することになった[1][2]。残された生駒の撮影所は、同年2月に設立された富国映画社がひきつづき稼動させた[3][11]。同撮影所は同年7月の富国映画社解散によりふたたび閉鎖され、跡地には1963年(昭和38年)に奈良県立生駒高等学校が開校した。

2012年(平成24年)12月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、同社の製作物を1作も所蔵していない[12][13]

フィルモグラフィ

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ツキガタプロダクション

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いずれも配給はマキノ・プロダクションサイレント映画である。

1928年
  • 『酒毒の剣法』 : 監督井上金太郎、原作・脚本秋篠珊次郎(井上金太郎)、撮影石川東橘、主演月形陽候、同年6月15日公開
  • 『鼠族道中録』 : 監督井上金太郎、脚本西条章太郎(西條照太郎)、撮影石川東橘、主演月形陽候、同年7月6日公開
  • 『敵討破れ傘』 : 監督悪麗之助、原作土師清二、脚本木村富士夫、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年8月3日公開
  • 『首切り同心』 : 監督井上金太郎、原作・脚本秋篠珊次郎(井上金太郎)、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年11月1日公開
  • 『救ひを求むるもの』 : 監督悪麗之助、原作・脚本西條照太郎(井上金太郎)、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年12月13日公開
1929年
  • 『やくざ者』 : 監督悪麗之助、原作・脚本鈴木孫六、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年1月5日公開
  • 『海賊船』 : 監督・原作・脚本悪麗之助、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年6月20日公開
  • 『剣士沖田総司』 : 監督井上金太郎、原作・脚本秋篠珊次郎(井上金太郎)、撮影与徳雄、主演月形陽候、同年6月28日公開

月形プロダクション

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いずれも配給は欧米映画社トーキーである。

1931年
1932年

関連事項

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脚注

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  1. ^ a b c d e 月形龍之介日本映画データベース、2012年12月16日閲覧。
  2. ^ a b c キネマ旬報社[1979], p.366-370.
  3. ^ a b 冨国映画撮映所 1大原社会問題研究所、2012年12月15日閲覧。
  4. ^ 高田篤 - 日本映画データベース、2012年12月16日閲覧。
  5. ^ キネマ旬報社[1979], p.318.
  6. ^ 高松錦之助 - 日本映画データベース、2012年12月16日閲覧。
  7. ^ キネマ旬報社[1979], p.328.
  8. ^ 天野刃一 - 日本映画データベース、2012年12月16日閲覧。
  9. ^ キネマ旬報社[1979], p.20.
  10. ^ 湊明子 - 日本映画データベース、2012年12月16日閲覧。
  11. ^ 田中[1976], p.198.
  12. ^ 1920年代東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月15日閲覧。
  13. ^ 1930年代、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月15日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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