正五位
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正五位(しょうごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。従四位の下、従五位の上に位する。贈位の場合、贈正五位という。
概要
[編集]正五位は、律令制下において上下にわけられ、官位相当では主に京官、特に次官ないし判官相当の位階として充てられた。例えば太政官の左右中弁や小弁、八省の大輔、大判事、職の大膳大夫、近衛府の少将、衛門府、兵衛府の督などが挙げられる。
武家においては、鎌倉時代に北条氏の一門が叙せられたほか、豊臣氏の政権下における大名の位階としても叙位がなされたが、江戸時代には従四位下や従五位下の叙位が集中したため、幕藩体制の中の武家で正五位に叙せられた者は少ない。江戸時代の主な叙任者は宮廷の地下官人や親王家・五摂家・清華家などに仕えた諸大夫であり、朝廷関係者の専用の位階ということができる。
明治時代以降には、叙位条例が制定されたことに伴い、従四位以上は勅授、正五位以下は、奏授により位階を授けられることとなった[注釈 1]。特に、明治以降は維新に功労のあった志士について、主に家老職にない中堅・下級武士の者が多く追贈され、歴史上の人物としては、間宮林蔵(1904年(明治37年)4月22日)贈位された他、鎌倉時代、金沢文庫の創設など文化的な功績を残した北条実時(1915年(大正4年)11月10日)が追贈の対象とされた。なお、政府の官吏に対する位階としては内閣法制局長官や政務次官、軍人については少将が正五位に叙されるなど、中堅官僚・軍人の位階として位置づけられた。 現行制度では、位階は死没者に対する栄典として与えられることとなっており、大学・短期大学・高等専門学校において名誉教授の称号を受けた者、民間企業の経営者のうち秀逸な業績のある者、あるいは、公務員として功績のある者や、旭日中綬章など(旧勲三等)を受けた芸術家、学術研究に功績のある学者、芸能・文化活動に功績のある芸能人などが叙せられている。
維新後贈位者(贈正五位)
[編集]- 1882年(明治15年)6月3日[1]
- 1883年(明治16年)8月6日[2] - 桜山茲俊
- 1887年(明治20年)1月15日[2] - 小原鉄心(是水)
- 1890年(明治23年)2月14日[3] - 井関盛艮
- 1891年(明治24年)12月17日[4]
- 村井政礼、河村季興、富田織部、古高俊太郎、曲直瀬道策、長尾郁三郎、大高又次郎、有吉熊次郎、弘勝之助、白石正一郎、白石廉作、土屋蕭海(矢之助)、田中軍太郎、星野文平、丹羽精蔵、保田信六郎(信解)、森喜右衛門、高橋作也、本多小太郎、沢島信三郎、村田精一、豊田謙次、加藤司書、大浦遠、海賀宮門、吉田直人、中野治平、太田権右衛門、詫間樊六、沖剛介、増井熊太、松田市太夫、村川直方(与一右衛門)、下野勘平、佐々耕庵、井汲唯一、駒井躋庵、不破富太郎、青木新三郎、千秋藤篤(順之助)、大野木仲三郎、小川幸三、福岡総助、野崎主計、深瀬繁理、田中主馬蔵、三好清房(監物)、吉田守隆(大八)、目時隆之進、中島源蔵、野村望東尼(浦野望東)、池田幸(川瀬幸)
- 1893年(明治26年)1月27日[5]
- 三井高福、小野善助、島田八郎左衛門
- 1896年(明治29年)9月19日[5] - 南部師行
- 1897年(明治30年)4月21日[6] - 県信緝
- 1898年(明治31年)7月4日[7]
- 岸上弘、中島虎之助、岡村定之丞、山崎弥平、中村勝右衛門、泉仙介、稲垣覚之丞、堀齊(蒲生済助)、村山半牧(秀一郎)、星野藤兵衛、安東鉄馬、得能淡雲、河合伝十郎、伊舟城源一郎、萩原虎六、江坂元之助、松下鉄馬、市川豊次、六物空満、田中瑳磨介、千葉郁太郎、奥田万次郎、横田友次郎、尾崎健蔵、須山万、中原吉兵衛、仙石佐多雄、石川貞幹(一)、水郡善之祐、粟屋良之助、高橋雄太郎、田河藤馬之丞、阿閉権之丞、槙島錠之助、増田仁右衛門、深栖幾太郎(俊助)、関元吉、渡辺宗助、前田繁馬、鍋島米之助、森下幾馬、楠目清馬(藤盛)、安岡直行(斧太郎)、土居佐之助、森下儀之助、沢村幸吉、田所重道(騰次郎)、島村省吾、能勢達太郎、安藤真之助、伊藤甲之助、柳井健次、上岡胆治、尾崎幸之進、中平龍之助、那須俊平、柏原禎吉、近藤為美(次郎太郎)、石川潤次郎、千屋金策、井原応輔、島浪間、宮地宜蔵、大利鼎吉、近藤長次郎(昶次郎)、沢村惣之丞、宮川助五郎、上田楠次、小笠原唯八、安岡正美(覚之助)、島村雅事、島村洲平、古沢南洋、片岡孫五郎、岡元太郎、丸田監物、藤井織之助、深瀬仲麿、乾十郎、井沢宜庵、橋本若狭
- 1898年(明治31年)10月10日[8]
- 楢林宗建、江坂栄次郎
- 1898年(明治31年)10月25日[9]
- 1898年(明治31年)12月23日[10]
- 新保正、神田音熊、樺山勇輔、新谷徳平、青山忠次、林鉄三
- 1901年(明治34年)8月13日[11]
- 服部尚、武久三保三郎、河内山諦
- 1901年(明治34年)8月24日[11] - 菅文三
- 1902年(明治35年)11月8日[12]
- 甲斐右膳、中島名左衛門、稲田重蔵、佐野竹之介、黒澤忠三郎、大関和七郎、広岡子之次郎、山口辰之介、森五六郎、岡部三十郎、鯉淵要人、杉山弥一郎、蓮田一五郎、森山繁之介、広木松之介、川崎孫四郎、山崎猟蔵、木村権之衛門、中村恒次郎、筑紫衛(義門)、森通寧(勤作)、江上栄之進、伊藤清兵衛、安田喜八郎、今中祐十郎、中村哲蔵、今中作兵衛、瀬口三兵衛、佐座謙三郎、伊丹真一郎、大神茂興(壱岐)、堀六郎、斉田要七、野村助作、長野一郎、辻幾之祐、有村次左衛門、日下部裕之進、青木与三郎、加藤常吉、池尻茂四郎、松浦八郎、井村簡二、半田門吉、深野孫兵衛、佐々金平、高木元右衛門、小坂小次郎、西島亀太郎、宮部春蔵、加屋四郎、政所有緜、鷹羽浄典、渋川栄承、宇都宮尭珉、宇都宮有允、佐竹織江、藤山衛門、水谷左門、堀潜太郎、元森熊次郎、天宮慎太郎、藤村太郎、阿川四郎、山田鵬輔、阿部宗兵衛、世木騎六、駒井政五郎、渡辺与八、玉木彦助、竹本多門、石川厚狭介、宮田半四郎、後藤深造(上田宗児)、平野光次郎
- 1903年(明治36年)11月13日[13]
- 1904年(明治37年)3月2日[14] - 三浦容夫
- 1904年(明治37年)4月22日[15] - 間宮林蔵
- 1904年(明治37年)10月20日[15] - 栗生俊健
- 1905年(明治38年)4月5日[15] - 若松丈作
- 1905年(明治38年)5月3日[15] - 山崎源太
- 1905年(明治38年)11月18日[15] - 加藤景正
- 1907年(明治40年)5月27日[16]
- 1907年(明治40年)7月22日[17]
- 磯林真三、堀本礼造
- 1907年(明治40年)10月23日[17] - 香川景樹
- 1907年(明治40年)11月15日[18]
- 1908年(明治41年)9月9日[19]
- 1908年(明治41年)11月13日[19]
- 上島掃部、林豹吉郎、今村文吾
- 1909年(明治42年)5月29日[19] - 山本亡羊(永吉)
- 1909年(明治42年)9月11日[20]
- 1910年(明治43年)11月16日[21]
- 1911年(明治44年)6月1日[22]
- 1911年(明治44年)8月15日[22]
- 1911年(明治44年)11月15日[23]
- 1912年(明治45年)2月26日[24]
- 1912年(大正元年)11月19日[25]
- 1913年(大正2年)11月17日[25]
- 鈴木春山、間宮六郎、千賀信立、古橋暉児
- 1914年(大正3年)11月19日[26]
- 1915年(大正4年)10月24日[26] - 山崎清良
- 1915年(大正4年)11月10日[27]
- 北条実時、藤井高尚、岩瀬忠震(修理)、池田長発、高橋清臣、鷲津毅堂(宣光)、中沼了三、伊達邦直、青山延光(量太郎)、阪谷朗廬(素)、村山隆義、村山信義、村山義盛、岡村簣斎(熊彦)、坂東篤之輔、有元佐吉、福地政次郎、真木彦之進、村田理介、福地勝衛門、梶清次衛門、鳥居瀬兵衛、大久保甚五左衛門、山中新左衛門、岡田新太郎、美濃部又五郎、三浦贇男、林五郎三郎、林忠左衛門、大胡聿蔵、下野隼次郎、矢野長九郎、住谷寅之介、川瀬教徳(七郎衛門)、石河徳五郎、竹垣直温(三右衛門)、小山秀朝、片岡八郎(利一)、磯谷久次、朝山日乗、羽地朝秀、浅野長祚(金之丞)、平塚瓢斎(利助)、樋口謙之亮、大島友之允、児島三郎、平野縫殿(重久)、大和田外記、小山春山(鼎吉)、河野守弘(伊右衛門)、青木彦三郎、千葉良平、近藤織部、長谷川昭道(深美)、渋江厚光(内膳)、須田政三郎(盛貞)、川部伊織、早川弥五左衛門、安達幸之助、松本古堂(巌)、小林柔吉、小橋安蔵、小橋友之輔、藤川三渓(将監)、城武平、村田政矩(若狭)、北郷資常、北郷久信、吉田清基(清右衛門)、下河辺長流(彦六)、安藤為章(右平)、鹿持雅澄、田中大秀、吉弘元常(左介)、石田一鼎(安左衛門)、宇都宮遯庵(三近)、川田雄琴(資深)、酒泉竹軒(彦太夫)、那波師曾(主膳)、広瀬淡窓(求馬)、朝川善庵(鼎)、上田鳳陽(茂右衛門)、塩谷宕陰(甲蔵)、向井元升、吉益東洞(周助)、坪井信道、児玉順蔵、宇田川榕菴(榕)、日野鼎哉、水原三折(義博)、新宮凉庭、西島八兵衛、川村元吉(孫兵衛)、香川将監、蔡温(具志頭温)、楢林鎮山(新五兵衛)、中根元圭(丈右衛門)、吉雄耕牛(幸左衛門)、林靏梁(伊三郎)
- 1916年(大正5年)4月11日[28]
- 1916年(大正5年)11月15日[28]
- 1916年(大正5年)12月28日[29]
- 1917年(大正6年)11月17日[30]
- 1918年(大正7年)11月18日[31]
- 1919年(大正8年)5月16日[32] - 三浦権太夫
- 1919年(大正8年)11月15日[33]
- 1920年(大正9年)12月22日[34] - 山本尚徳
- 1922年(大正11年)9月1日[34] - 三隅兼連
- 1924年(大正13年)2月11日[35]
- 高津長幸、加賀美光章、平田鐵胤、今村英生、井上長秋、楫取魚彦(伊能茂左衛門)、支倉常長(六右衛門)、林毛川(芥蔵)、原田佐秀、二宮敬作、新納八郎二、本多利明、大江景繁、岡本寧浦(退蔵)、太田黒伴雄、大橋慎三、川村修就(清兵衛)、加屋霽堅、海保青陵(儀平)、亀井昭陽(昱太郎)、河崎董、片山北海(忠蔵)、横尾文輔(紫洋)、竹内玄同、武元北林(立平)、谷真潮(丹内)、都筑九郎右衛門、成田正右衛門、野村空翠(次左衛門)、野呂元丈、国友尚克(与五郎)、倉石侗窩(典太)、山内甚五左衛門、山之内貞奇、楊井三之允、藤堂元施、福光佐長、小山義政、近藤茂左衛門、阿部将翁(輝任)、斎藤拙堂(徳蔵)、真田桜山(貫道)、木曾源太郎、嶺田楓江(雋)、三輪執斎(善蔵)、神保綱忠、島津久容、柴野碧海(平次郎)、望月恒隆(五郎左衛門)、本居春庭(健蔵)、陶山鈍翁(庄右衛門)、鈴木正長、鱸半兵衛、鈴木石橋(四郎兵衛)、杉山和一
- 1925年(大正14年)9月[36] - 津阪東陽(洋之助)
- 1926年(大正15年)9月17日[36] - 三瀬諸淵(周三)
- 1927年(昭和2年)6月15日[36] - 山梨稲川(東平)
- 1928年(昭和3年)11月10日[37]
- 青木永弘、村山松根、森寛斎、伊良子道牛、原古処(震平)、早川正紀(八郎左衛門)、楡井頼仲、西村太冲、堀将俊、大原幽学、遠近鶴鳴(次左衛門)、小倉実房(実澄)、若林強斎(新七)、若江薫子、片倉景綱(小十郎)、葛城彦一、河野鉄兜(絢夫)、加倉井砂山(淡路)、神谷守政(内膳)、吉田豊、田原直助、谷村昌武、谷山隆信、田所寧親(左右次)、橘守部、田口俊平、伊達宗重、竹村東野(節之進)、滝鶴台(弥八)、曾小川久郷、津金胤臣(文左衛門)、ジョン万次郎(中浜万次郎)、中垣謙斎(秀実)、長山四郎兵衛、中島治平、山本淡斎(晴太郎)、松田伝十郎、松永貞辰、牧山忠平、船越昌隆(八百十郎)、福田太郎八、藤井良節、藤原家賢(酒匂八郎)、富士谷御杖、富士谷成章、古賀謹一郎、愛甲季定(平左衛門)、佐藤豊助、相楽総三、五月女三左衛門、菊池容斎(武保)、美馬順三、白井矢太夫、島男也、重見通勝、人見弥右衛門、人見竹洞(又七郎)、平野重定、平松楽斎(喜蔵)、関藤藤陰、鈴木庄蔵(宣尊)
- 1931年(昭和6年)8月22日[38]
- 入来院有重、入来院致重、入来院重尚
- 1931年(昭和6年)10月20日[38] - 河野通時
- 1931年(昭和6年)11月6日[39] - 角倉素庵(与一)
- 1933年(昭和8年)9月9日[39] - 安達清風
- 1933年(昭和8年)10月7日[39] - 相良藤次
- 1934年(昭和9年)5月3日[39] - 植田艮背(玄節)
- 1934年(昭和9年)11月12日[39] - 加藤桜老(煕)
- 1935年(昭和10年)5月11日[39] - 橋本宗吉
- 1935年(昭和10年)7月25日[39] - 摂津助公清尊
- 1943年(昭和18年)1月18日- 大原孫三郎
- 1944年(昭和19年)7月4日[40] - 御巫清直
日本国憲法施行後に正五位に叙せられた著名な人物
[編集]政治家
[編集]- 緒方惟一郎 - 官選青森県知事、警視庁消防部長
- 小野義夫 - 参議院議員
- 橋本欣五郎 - 衆議院議員、帝国陸軍大佐
- 赤澤與仁 - 参議院議員
- 中上川アキ - 参議院議員、タレント(藤原あき)
- 伊部真 - 参議院議員
- 瀧井治三郎 ー 参議院議員、タキイ種苗社長
- 大島定吉 - 栃木市長、参議院議員、衆議院議員
- 鈴木美枝子 - 参議院議員、俳優(望月優子)
- 小比類巻富雄 - 青森県三沢市長、青森県議会議員
- 奥村悦造 - 参議院議員、滋賀県副知事、滋賀県議会議員
- 岩木哲夫 - 参議院議員
- 井上なつゑ - 参議院議員、日本産婆看護婦保健婦協会会長
- 浅野拡 - 参議院議員、岐阜県議会議長、岐阜県輪之内町長
- 安部清美 - 参議院議員、福岡県教育委員会委員長
- 岩崎正三郎 - 参議院議員
- 西岡ハル - 参議院議員、長崎新聞社副社長
- 塩島大 - 衆議院議員
- 加賀操 - 参議院議員
- 和泉照雄 - 参議院議員、鹿児島県議会議員
- 青井政美 - 参議院議員
- 井形卓三 - 東京都文京区長
- 本村和喜 - 参議院議員、福岡県議会議員
- 飯島連次郎 - 参議院議員
- 上林与市郎 - 衆議院議員
- 飯塚正二 - 静岡県藤枝市長
- 沖田正人 - 衆議院議員、東京都議会議員
- 高橋圭三 - 参議院議員、アナウンサー
- 平野清 - 参議院議員、サラリーマン新党代表
- 川野辺静 - 参議院議員、小児科医
- 奥谷通敏 - 衆議院議員、兵庫県議会議員(奥谷通)
- 大塚喬 - 参議院議員、栃木県議会議員
- 西田猛 - 衆議院議員
- 高橋久二 - 東京都品川区長
- 小川勇夫 - 神奈川県相模原市長、神奈川県議会議員
- 猪俣良記 - 福島県会津若松市長、福島県議会議員
- 高橋榮一郎 - 山形県新庄市長、プロ野球選手
- 岩田弘志 - 北海道室蘭市長
- 安藤正夫 - 神奈川県南足柄市長
- 青木宏之 - 衆議院議員、愛知県議会議員
- 門脇政夫 - 兵庫県旧八千代町長、旧野間谷村長、兵庫県議会議員
- 井上信也 - 大阪府摂津市長
- 小笠原幸 - 徳島県阿波市長、旧市場町長
- 木本平八郎 - 参議院議員、作家(八木大介)
- 福島茂夫 - 参議院議員、医師
- 寺西学 - 愛知県議会議長
- 奥村慎太郎 - 長崎県雲仙市長、長崎県議会議員
- 園田天光光 - 衆議院議員(松谷天光光)
- 鷲尾弘志 - 兵庫県議会議長
- 石橋誠晃 - 愛知県常滑市長
- 森下博之 - 参議院議員、高知県議会議員
- 安楽岡一雄 - 群馬県館林市長
- 八浪知行 - 熊本県議会議長、高校野球指導者、プロ野球選手
- 石松安次 - 大分県日田市長
- 山口武平 - 茨城県議会議長、全国都道府県議会議長会長
- 宮川典子 - 衆議院議員
- 江村利雄 - 大阪府高槻市長
- 岡部英男 - 衆議院議員、茨城県議会議長
- 高橋紀世子 - 参議院議員
- 古賀俊昭 - 東京都議会議員
- 市川武 - 静岡県裾野市長
- 西野康雄 - 参議院議員、講談師(四代目旭堂南陵、三代目旭堂小南陵)
- 金原博 - 石川県議会議長、新進石川代表
- 神山好市 - 東京都中野区長
- 松原昌平 - 大阪市会議長、吉本新喜劇俳優(船場太郎)
- 川井重勇 - 東京都議会議長、中野区議会議員
- 佐藤静雄 - 参議院議員、福島県出納長
- 鷲澤正一 - 長野市長
- 本田良一 - 参議院議員、熊本県議会議員
- 大橋建一 - 和歌山市長
- 井上信幸 - 大分県別府市長
- 四家啓助 - 福島県いわき市長
- 粟森喬 - 参議院議員
- 三田敏哉 - 第38代東京都議会議長
- 畠山健治郎 - 衆議院議員、秋田県大館市長
- 保立一男 - 茨城県神栖市長
- 三石久江 - 参議院議員
- 高島直樹 - 東京都議会議長
芸能人・文化人・学者
[編集]- 早川三代治 - 小説家、経済学者
- 伊藤整 - 小説家、文芸評論家
- 宮肇 - 歌人(宮柊二)
- 大原富枝 - 小説家
- 岩城宏之 - 指揮者
- 粟谷菊生 - シテ方喜多流能楽師、人間国宝
- 青山次郎 - 日本舞踊花柳流舞踊家(二代目花柳壽樂)、人間国宝
- 中里忠夫 - 唐津焼陶芸家(十三代中里太郎右衛門)、人間国宝
- 堀越夏雄 - 歌舞伎俳優(十二代目市川團十郎)
- 子安美知子 - ドイツ文学者
- 大井邦雄 - 英文学者
- 浅野清太郎 - 講談師(六代目一龍斎貞水)、人間国宝
- 照喜名朝一 - 琉球古典音楽三線奏者、人間国宝
- 牟田口照國 - 長唄三味線奏者(杵屋勝国)、人間国宝
- 北村敬子 - 会計学者[41]。
- 佐野ぬい - 洋画家、女子美術大学学長
スポーツ選手・指導者
[編集]- 松沢一鶴 - 競泳選手、水泳日本代表監督、東京都教育委員会委員長
- 市川國市 - 大相撲力士(元前頭・出羽ノ花國市)、日本相撲協会理事長
- 長沼健 - サッカー選手、サッカー日本代表監督、日本サッカー協会会長
- 松平康隆 - バレーボール選手、男子バレーボール日本代表監督
その他
[編集]- 速水和彦 - 機械工学者
- 安倍邦衛 - 東京地下鉄道技師長
- 大野寛 - 帝国海軍中将
- 梅澤捨次郎 - 建築家
- 正田貞一郎 - 日清製粉会長、東武鉄道会長、上皇后美智子祖父
- 安蔵弥輔 - 東京電力初代社長・会長
- 一柳米来留 - 建築家(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ)、近江兄弟社創設者
- 聖園テレジア - 修道女、聖園保母学院、聖園女学院創立者
- 小林米三郎 - 小林酒造社長、参議院議員
- 榊原郁三 - アート商会・アート金属工業創業者
- 清棲幸保 - 鳥類学者
- 高畑誠一 - 日商会長
- 太田寛一 - よつ葉乳業創業者
- 三木淳 - 報道写真家
- 青木清相 - 法学者
- 橋本公亘 - 法学者
- 内山尚三 - 法学者、札幌大学学長
- 鳥井信一郎 - サントリー社長
- 岸田綱太郎 - 医学博士
- 相馬雪香 - 平和活動家、尾崎行雄記念財団副会長
- 島津久厚 - 学習院院長、都城島津氏28代当主
- 大倉敬一 - 月桂冠社長
- 波多野裕造 - 外交官、ジャーナリスト
- 岩井重人 - 住友不動産販売社長
- 梅崎利秋 - 新京成電鉄社長
- 岡本行夫 - 外交官、外交評論家、内閣総理大臣補佐官
- 土屋嶢 - 大垣共立銀行会長
- 齋賀秀夫 - 国語学者、国立国語研究所名誉所員
- 中埜和英 - ミツカンホールディングス会長(八代中埜又左衛門)
- 松長有慶 - 高野山真言宗金剛峯寺第412世座主
- 黒土始 - 第一交通産業創業者
- 林虎彦 - レオン自動機創業者
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 叙位条例第3条にて「凡ソ位ハ従四位以上ハ勅授トシ宮内大臣之ヲ奉ス正五位以下ハ奏授トシ宮内大臣之ヲ宣ス」と規定された。
出典
[編集]- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.2
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.3
- ^ 『官報』第1985号「敍任及辭令」1890年2月14日。
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.7-8
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.8
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.9
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.10-11
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.12
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.12-13
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.14
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.15
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.16-17
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.19-20
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.20
- ^ a b c d e 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.21
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.22
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.23
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.24
- ^ a b c 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.25
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.26
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.27
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.28
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.29
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.30
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.31
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.32
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.35-37
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.40
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.41-42
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.43
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.45
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.46
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.47-48
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.49
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.51-52
- ^ a b c 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.54
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.56-57
- ^ a b 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.58
- ^ a b c d e f g 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.59
- ^ 『贈位諸賢伝 増補版 上』 特旨贈位年表 p.60
- ^ 『官報』令和5年7月21日付(第1024号)9頁