秋山真男
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基本情報 | |||||
没年月日 | 2003年2月25日(享年59歳) | ||||
性別 | 男性 | ||||
国籍 | 日本 | ||||
出身地 | 山梨県 | ||||
選手情報 | |||||
利き腕 | 右 | ||||
種目 | 男子シングル(MS)男子ダブルス(MD) | ||||
主な戦績 | |||||
国際大会 | MS: *全英オープン準優勝(1966) | ||||
国内大会 | MS: *全日本総合優勝(1965) | ||||
経歴 | |||||
所属 | 甲府商業高等学校→ 中央大学→ ヨネヤマラケット |
秋山 真男(あきやま まさお、1943年 - 2003年2月25日)は、山梨県甲府市出身の日本の元バドミントン選手。主に1960年代から1970年代に活躍。
来歴
[編集]甲府商業高等学校でバドミントンを始め、3年生の1961年インターハイ男子シングルで優勝。
中央大学に進学後、4年生の時インカレで優勝。また在学中に全日本総合でも初優勝を遂げる。
大学卒業後ヨネヤマラケットに就職し2年程在籍。退社後は山梨県に戻り家業を継ぎ、以降トーナメント表やリザルトの所属欄は秋山紙店の表記でエントリー。 社会人としても全日本総合シングル、ダブルス共に優勝経験がある。1966年全英オープンにシングル初出場で日本人初の決勝進出、準優勝を果たす。
主なダブルスのパートナーは、中央大学、ヨネヤマラケットでもチームメートだった1学年後輩にあたる小島一平。
現役引退後、山梨県バドミントン協会会長、また実業家として 甲府シティロータリークラブ創立時・初代の幹事 [1]を務める。 2003年2月25日地元の山梨で急性心不全により死去。[2]
主な成績
[編集]国際大会
[編集]年 | 大会 | 種目 | 成績 |
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1966 | 全英オープン | MS | 準優勝 |
2010年田児賢一が全英オープンで準優勝するまで、44年の間、決勝まで勝ち残った日本人は皆無であった。
国内大会
[編集]年 | 大会 | 種目 | 成績 | ペア |
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1961 | 第12回インターハイ(青森県弘前市) | MS | 優勝 | |
1965 | 第16回全日本学生選手権(京都府) | MS | 優勝 | |
1965 | 全日本総合選手権 | MS | 優勝 | |
1967 | 全日本総合選手権 | MD | 優勝 | 小島一平 |
1968 | 全日本総合選手権 | MD | 優勝 | 小島一平 |
1969 | 全日本総合選手権 | MD | 優勝 | 小島一平 |
1972 | 全日本総合選手権 | MD | 優勝 | 小島一平 |
脚注
[編集]- ^ 歴代会長・ガバナー甲府シティロータリークラブH.P.
- ^ バドミントンマガジン 2003年3月22日発売号 (74-75頁)
- ^ “バドミントン全国高校学校総合体育大会 資料一覧”. 公益財団法人 全国高体連バドミントン専門部. 2019年10月6日閲覧。
- ^ “バドミントン全国大会 資料一覧”. 公益財団法人 日本バドミントン協会. 2019年10月1日閲覧。