紀勢本線
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紀勢本線 | |||
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基本情報 | |||
通称 | きのくに線(新宮駅 - 和歌山駅間) | ||
国 | 日本 | ||
所在地 | 三重県、和歌山県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・幹線) | ||
起点 | 亀山駅[1] | ||
終点 | 和歌山市駅[1] | ||
駅数 | 96駅[1] | ||
電報略号 | キセホセ[2] | ||
路線記号 | (新宮駅 - 和歌山駅間) | ||
開業 | 1891年8月21日 | ||
全通 | 1959年7月15日[1] | ||
所有者 | 東海旅客鉄道 (亀山駅 - 新宮駅間) 西日本旅客鉄道 (新宮駅 - 分界点間) 南海電気鉄道 (分界点 - 和歌山市駅間、施設貸主) | ||
運営者 | 東海旅客鉄道(亀山駅 - 新宮駅間、第1種鉄道事業者) 西日本旅客鉄道(新宮駅 - 和歌山市駅間、第1種鉄道事業者) | ||
使用車両 | 使用車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 384.2 km | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
線路数 | 複線(紀伊田辺駅 - 和歌山駅間) 単線(上記以外) | ||
電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式 (新宮駅 - 和歌山市駅間) | ||
最高速度 | 100 km/h(JR東海) 110 km/h(JR西日本)[3] | ||
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紀勢本線(きせいほんせん)は、三重県亀山市の亀山駅から和歌山県新宮市の新宮駅を経て同県和歌山市の和歌山市駅に至る鉄道路線(幹線)である。亀山駅 - 新宮駅間は東海旅客鉄道(JR東海)、新宮駅 - 和歌山市駅間は西日本旅客鉄道(JR西日本)の管轄で、JR西日本の区間のうち新宮駅 - 和歌山駅間には「きのくに線」という愛称が付与されている[4]。
概要
[編集]紀伊半島を海沿いに走る路線。全通したのは日本の幹線級の路線としては比較的遅く、1959年(昭和34年)のことである。新宮駅を境に、東側のJR東海が管轄する区間は非電化であり、西側のJR西日本が管轄する区間は直流電化されている。
全区間に大小180本(総延長68.9km)のトンネルがあり、これはJRグループの1路線としては最多のトンネル数である[注 1]。
名古屋駅からは関西本線と伊勢鉄道伊勢線を、京都駅・新大阪駅からは東海道本線・大阪環状線・阪和線をそれぞれ経由して当路線へ特急列車が直通している。JR西日本管轄区間では、カーブを高速で通過可能な振り子式の車両が一部の特急列車で使用されている。
JR西日本の管轄区間では、海南駅 - 和歌山駅間の各駅と南海電気鉄道(南海)が管理する和歌山市駅で自動改札機が、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の特急停車駅と紀伊田辺駅 - 冷水浦駅の各駅と紀和駅ではIC専用型自動改札機が設置されている。新宮駅 - 和歌山市駅間が「ICOCA」のエリアに含まれており、区間内の各駅でICOCAなどのIC乗車カードが利用できる[5][6][7][8][9][10]。また、2018年10月1日に近畿圏で開始されたPiTaPaによるポストペイ利用は対象外となる(従前のプリペイド利用。2020年3月14日のICOCAエリア拡大後も対象外)[11]。2021年3月13日より車載型IC改札機を導入することにより、新宮駅 - 紀伊田辺駅間の全駅でもICOCAなどが利用可能となった[12][13]。
2014年度から、新宮駅 - 和歌山駅間のきのくに線区間に、W の路線記号が導入されている[14][15][注 2]。
亀山駅 - 新宮駅(構内除く)間はJR東海の東海鉄道事業本部、新宮駅 - 和歌山市駅(構内除く)間はJR西日本の和歌山支社が管轄している。なお、紀和駅 - 和歌山市駅間のうち、分界点 - 和歌山市駅間1.0kmは南海の所有である。この区間は、南海が施設をJR西日本に貸与しており、南海が第三種鉄道事業者とならず、JR西日本が第一種鉄道事業者となっている。
新宮駅 - 白浜駅間は、2022年4月11日にJR西日本が公表したローカル線の線区別収支によると、2019年度の輸送密度が1日2000人以下となっており、JR西日本は路線の活性化策などを関係自治体と協議したい考えで、廃線も視野に議論が進む可能性があると報じられている[16][17]。
路線データ
[編集]- 管轄・路線距離(営業キロ):全長384.2km[1]
- 東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
- 亀山駅 - 新宮駅間 180.2km
- 西日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
- 新宮駅 - 和歌山市駅間 204.0km
- 東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
- 駅数:96(起終点駅含む)
- JR東海:40(新宮駅除く)
- JR西日本:56
- 紀勢本線所属駅に限定した場合、起点の関西本線所属の亀山駅[18]が除外され、95駅(うちJR東海は39駅)となる。
- 軌間:1,067mm
- 複線区間:紀伊田辺駅 - 和歌山駅間
- 電化区間:新宮駅 - 和歌山駅 - 和歌山市駅間(直流1500V)
- 閉塞方式:
- 亀山駅 - 新宮駅間:自動閉塞式(特殊)
- 新宮駅 - 和歌山駅間:自動閉塞式
- 和歌山駅 - 和歌山市駅間:自動閉塞式(特殊)
- 保安装置:
- 運転指令所:
- 最高速度:
- 亀山駅 - 津駅間:95km/h
- 津駅 - 多気駅間:100km/h(HC85系による特急、キハ75形による快速)、95km/h(その他)
- 多気駅 - 新宮駅間:85km/h
- 新宮駅 - 紀伊富田駅間[3]:95km/h(283系、287系および289系)、85km/h(その他)
- 紀伊富田駅 - 白浜駅間[3]:110km/h(283系、287系および289系)、85km/h(その他)
- 白浜駅 - 和歌山駅間[3]:110km/h(283系、287系および289系)、95km/h(その他)
- なお芳養←南部駅間上り線・紀三井寺→和歌山駅間下り線では2021年まで283系特急型車両に限り130km/h運転を行っていた
- 和歌山駅 - 紀和駅間[3]:95km/h
- 紀和駅 - 和歌山市駅間[3]:85km/h
- IC乗車カード対応区間:
沿線概況
[編集]停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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紀伊半島を半周する路線で、松阪駅 - 和歌山駅間では熊野や南紀といった沿岸部の都市を国道42号とともに結んでいる。
紀伊長島駅 - 海南駅間では一部区間を除いて海沿いを走行する一方で、多気駅 - 紀伊長島駅間など山間部を走行する区間もあり、山間部では野生動物と列車が衝突する事象も増えている[19]。
JR東海区間
[編集]亀山駅 - 多気駅間
[編集]鈴鹿川の北側にある亀山駅を発車すると、右にカーブして鈴鹿川を渡り、丘陵地の中をトンネルで抜けていくつものカーブを抜けて南東方向に進む。築堤を上がると下庄駅であるが、なお山間部の中を進み、しばらくして田園地帯に入り、国道23号(中勢バイパス)をくぐると一身田駅で、左手に真宗高田派本山の専修寺(せんじゅじ)が見える。左手から伊勢鉄道伊勢線が合流してくると、近鉄名古屋線をくぐって津駅に到着する。三重県の県庁所在地で近鉄名古屋線と伊勢鉄道伊勢線も乗り入れている。
津駅を出ると、三重県庁が建ち並ぶ丘陵を右に眺めながら、近鉄名古屋線と並走して南下する。 安濃川を渡り、津市の副都心として発展している近鉄津新町駅の東側を通過し、岩田川を渡ると近鉄名古屋線と分かれて市街地を進むと阿漕駅で、国道23号(伊勢街道)とともに南下を始める。 高茶屋駅の先で田園風景が広がってくるようになり、雲出川を渡ると津市から松阪市に入る。六軒駅を過ぎ、三渡川を渡って近鉄山田線と交差し紀勢本線は近鉄山田線の西側を走行する。右手から名松線が合流すると、松阪駅に到着する。
松阪駅を出ると近鉄山田線はやや東向きに分かれていく。かつて伊勢電気鉄道(のちの関急伊勢線)との乗換駅であった徳和駅を過ぎて丘陵地帯を通過し、櫛田川を渡ってまもなく多気駅に到着する[20]。
多気駅 - 新宮駅間
[編集]建設の経緯から、参宮線は多気駅を出ると直進するのに対し、紀勢本線は右にカーブをして進路を西に変えて、かつて紀勢東線と呼ばれていた区間に入る。国道42号(松阪バイパス)を過ぎると相可駅を通過し、多気町役場の西側を走行すると紀伊山地に入り、川添駅まで茶畑が目立つようになる。この先、国道42号とともに和歌山市を目指す。三瀬谷駅を出ると、宮川に架かるアンダートラス橋を渡り、滝原駅 - 阿曽駅間では大滝峡と呼ばれる渓谷を通過する[21]。梅ケ谷駅を過ぎると伊勢国と紀伊国の境にある荷坂峠を荷坂トンネルで抜け、Ω状のカーブを13ものトンネルで抜けると紀勢本線では初めて熊野灘が見える海沿いに出て、再びトンネルをくぐると紀伊長島駅に到着する[21]。
紀伊長島駅を出ると赤羽川橋梁を渡る。三野瀬駅を出て小さな峠を越えると、田園地帯を走行し、船津駅を通過して、相賀駅を過ぎ、銚子川を渡る高架橋のままトンネルに入って銚子川沿いの谷を走行し、馬越峠を尾鷲トンネルで抜けると尾鷲駅に到着する。国道は山間部を通過するのに対して、紀勢本線は海沿いを走行し、中部電力の尾鷲三田火力発電所を左手に眺めながら小さなトンネルを抜けて大曽根浦駅を通過する。この先は、長大トンネルが多く、熊野市駅まで各トンネルの間に駅が所在するようになる。九鬼駅・三木里駅と続いて、紀勢東線と呼ばれた区間が終了する。この区間は住民・政治家から国鉄に対して陳情が行われ、九鬼駅経由で建設されることになった。三木里駅 - 新鹿駅間は紀勢本線で最後に建設された区間であり、建設当初の計画では賀田駅 - 新鹿駅間を1本のトンネルによって結ぶ予定であったが、住民から国鉄に対して陳情が行われ、二木島駅経由で建設されることになった。
熊野市駅近くにある鬼ヶ城と呼ばれる景勝地が志摩半島から続いたリアス式海岸の最南端にあり、熊野市駅からは平野部が続き鵜殿駅までは約22kmの海岸線が続く七里御浜沿いに進む。この七里御浜では毎年8月に熊野大花火大会が行われ、臨時列車が多数運転されている。鵜殿駅を過ぎると、右にカーブをして一度山側へ迂回して三重県と和歌山県の県境である熊野川を渡り、新宮城跡の下に設けられた丹鶴トンネル[22]をくぐると新宮市の市街地を進み、ほどなくして新宮駅に到着する。なお、熊野川橋梁中央部から丹鶴トンネル入り口までのわずか200mほどの区間が、JR東海唯一の和歌山県区間である。
- 遠方に尾鷲湾が見える大曽根浦駅。
JR西日本区間
[編集]JR西日本が管轄する区間の大半は沿岸部を走行している。近い将来に発生が想定されている東海地震・東南海地震・南海地震による津波対策として新宮駅 - 和歌山駅間では避難誘導標が沿線に設置されている[23]。沿線の架線柱には、津波浸水区間・避難する方向・避難場所と避難場所までの距離などが記された看板[24]や海岸線沿いで海抜が低い串本駅 - 紀伊勝浦駅間においては、津波避難用の全長5m程度のコンクリート製避難誘導降車台[25]が設置されている。
- 避難誘導指示標(避難場所・距離を示したもの)
なお、この区間の各駅の1日あたりの乗降客の推移(昭和55年度以降)については、和歌山県のホームページ[26]に一覧表[27]が公開されている。
新宮駅 - 紀伊田辺駅間
[編集]紀勢本線の要衝の駅である新宮駅は、かつて新宮運転区が設けられていたこともあり、構内は広大な留置線が設けられている。新宮駅を発車した列車は、南東に進んだのちに、王子ヶ浜の海岸線を南下する。那智駅は那智勝浦海浜公園の前にあり、海水浴場もあるため、特急列車が停車していたこともあった。熊野那智大社は那智駅から山奥に入った場所に位置している。2011年の台風12号による大雨の影響で、橋脚が流された那智川を渡り[28]紀伊勝浦駅に至る。紀伊勝浦駅のすぐ近くには、マグロの水揚げ量が日本一を誇る勝浦漁港と、南紀勝浦温泉がある[29]。
古くからの温泉地である湯川駅を過ぎ、日本の捕鯨発祥の地にある太地町の太地駅を通過し、駅前に県内最古の前方後円墳のある下里駅の先では、万葉集でも詠まれた玉の浦を望みながら紀伊浦神駅を過ぎ、左手には近畿大学水産研究所の浦神研究所が見え、山間部に入る。紀伊田原駅付近から再び海沿いを走行し、平成の名水百選にも選ばれ、カヌーでの川下りが盛んな古座川を渡って古座駅である。対岸に紀伊大島が見え始め、紀伊姫駅を過ぎると岩が立ち並ぶ橋杭岩が見え、本州最南端の駅である串本駅に到着する。この駅を境にして、多気駅から南西方向に向かってきた紀勢本線は右にカーブをして和歌山市を目指すために北進を始める。山間にある紀伊有田駅・田並駅と過ぎると、やがて枯木灘が広がる海岸が田子駅・和深駅と続いた先の周参見駅付近まで広がる。江住駅 - 和深駅間ではシカとの接触事故が多く、沿線のアドベンチャーワールドで飼われているライオンの糞を忌避剤として線路沿いに撒いたところ接触事故がなくなったが、一時的な効果に終わっている[30]。この先の見老津駅 - 周参見駅間では当線唯一の信号場である双子山信号場が設けられている。周参見駅からは山間を走行し、富田川を渡って紀伊富田駅を過ぎると、次第に左手にはアドベンチャーワールドの観覧車が見え始め、右手に引き上げ線が現れると、白浜駅に到着する。同駅は白良浜や南紀白浜温泉などの観光地を抱える白浜町の中心駅として位置づけられており、特に夏場には多くの観光客が訪れる関西のリゾート地となっている。新大阪方面からの特急列車のうち、半数以上がこの白浜駅で折り返している。
紀伊田辺駅 - 和歌山駅間
[編集]紀伊田辺駅は和歌山県中南部の経済の中心となっている田辺市の中心駅で、かつて紀伊田辺機関区があったため、駅構内には多くの留置線があり、この駅を境に普通列車の運転系統が分かれている。また、紀州路から中辺路と大辺路が分岐しており、陸上交通においても鉄道においても交通の要衝でもあった。紀伊田辺駅からは複線になり、田辺市の市街地を抜け、芳養駅を過ぎると第三芳養トンネルを通過し、日本一の梅の産地を抱えるみなべ町に入り[31]、南部駅に至る。千里梅林の下にあるトンネルをすぎると、千里の浜と呼ばれる海岸沿いを走行する。古くからの景勝地で、『枕草子』などでその名がみられるほか、日本有数のアカウミガメの産卵地として知られている[32]。岩代駅 - 切目駅間の一部区間では太平洋の絶景を眺めることができ、一部の列車が速度を落として運転するなどビューポイントとなっている[33]。
切目駅からは内陸を走行し、印南駅のすぐ北側には印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる。御坊駅では紀州鉄道が分岐している。御坊駅は御坊市の郊外に位置しており、中心駅は紀州鉄道の紀伊御坊駅である。御坊駅から再び北上し、紀伊内原駅・紀伊由良駅と続く。紀伊由良駅は、蒸気機関車に使用される石炭を配炭する拠点が海岸部にある由良港に設けられ、その配炭所を結ぶ目的で貨物線が分岐していた。このあたりからミカン畑が目立つようになり、広川ビーチ駅を通過し、醤油発祥の地として知られている湯浅駅へと至る。かつて有田鉄道が分岐し、特急の停車駅にもなった藤並駅を過ぎると、西進しながらJR西日本管内の在来線では最長の有田川橋梁 (912m) [34]を渡って、有田みかんの生産地である有田市に入り、有田川の右岸を走行する。有田市の代表駅である箕島駅を過ぎて半島の先端を回って石油タンクが立ち並ぶ初島駅に至り、再び東に進路を変えて下津駅と続く。
加茂郷駅を過ぎトンネルを抜けると再び海岸線を走行するようになり、左手には紀伊水道が見える。この先の冷水浦駅まで、紀勢本線では海が見える最後の区間で、対岸にはポルトヨーロッパや工業地帯が見える。阪和道の海南インターチェンジの高架橋をくぐると、左にカーブをしながらやがて高架橋を走行して海南駅を通過し、その後も高架橋を走行するも徐々に高度を落として紀勢本線最後で180か所目のトンネルを通過する[35]。トンネルを抜けると黒江駅で、和歌山市に入って名草山の南西側を迂回するために左へカーブしてしばらく直進で進んだのち、再び右へカーブして紀三井寺駅を通過し、徐々に和歌山市の市街地を進むようになる。宮前駅を過ぎると左手には和歌山ビッグホエールと呼ばれる多目的施設が見えるが、かつてここには和歌山操駅があった[36]。やがて右手から和歌山電鐵貴志川線が寄り添ってくると、和歌山駅に到着する。
- 岩代駅 - 切目駅間は太平洋を眺める
- 印南駅からは印南町のシンボルである「かえる橋」を見ることができる
- ポルトヨーロッパや工業地域を見ることができる加茂郷駅 - 冷水浦駅間
和歌山駅 - 和歌山市駅間
[編集]和歌山駅では、和歌山市行きの列車は8番のりばから発車する。阪和線と並走し、高架橋をくぐる付近までわずかであるが和歌山線と線路を共用し、和歌山線の線路が右に分かれる。先に阪和線が左に分かれ、その後和歌山線が右に分かれていくと、しだいに左にカーブをして阪和線をくぐって高架橋を上り始め、直線部にある紀和駅に至る。紀和駅は1968年まで和歌山駅と称し、和歌山駅は同年まで東和歌山駅と称していた。2008年に紀和駅付近が連続立体交差事業により高架化された[37]。紀和駅を発車すると、左にカーブをしながら高架を下り、次第に南海本線が右手から合流する。南海電鉄分界点を通過し、和歌山市駅に到着する。紀勢本線から南海線への渡り線が設けられているが、この渡り線は非電化であり、紀勢本線の旅客列車が南海線のホームを発着することはない。かつては、この渡り線を介して南海本線から南紀方面への直通列車が運転されていたが、現在は甲種車両輸送時の車両受け渡し用としてのみ利用されている。
- 南海線との渡り線付近を走行する105系
- 地上線時代の会社境界場所。 金網の柵がある区間が南海電鉄、枕木の柵がある区間がJR。
運行形態
[編集]起点は亀山駅で、亀山駅から新宮駅を経て和歌山市駅方面へ向かう方向が全線を通して下りであり[注 3]、JR東海が管轄する亀山駅 - 新宮駅間では列車番号や特急列車の号数は新宮駅へ向かう方向が下り列車に付けられる奇数である。一方、JR西日本が管轄する区間のうち新宮駅から和歌山駅までの区間では、和歌山駅へ向かう下り列車[注 3]が本来上り列車に付ける偶数、逆方向の上り列車が本来下り列車に付ける奇数となっている[注 4]。これは、1989年7月の東海道本線への乗り入れ開始時に、同線に合わせて変更したためである。
優等列車
[編集]名古屋駅からは伊勢鉄道経由で紀伊勝浦駅まで特急「南紀」が1日4往復運転されていて、多客期には運転本数が増発される。京都駅、新大阪駅から白浜駅、新宮駅までは特急「くろしお」が運転されている。
1978年10月2日のダイヤ改正前までは、キハ81・82系気動車を使った特急「くろしお」やキハ28・58系気動車を使った急行「紀州」、1984年2月1日のダイヤ改正まで旧型客車(スハ43系など)を使った夜行客車普通列車「はやたま」(新宮駅以西ではB寝台車も連結していた)などが名古屋駅 - 和歌山駅 - 天王寺駅間で運行されていたが、同改正以降は亀山駅 - 和歌山駅間を通して走る列車はない。
また、東京駅 - 紀伊勝浦駅間には亀山駅経由で寝台特急「紀伊」が1984年1月31日まで運行されていた。
天王寺駅(一部は南海本線難波駅)および紀伊田辺駅から白浜駅・椿駅・周参見駅・新宮駅・熊野市駅まではキハ28・58系(難波駅乗り入れ列車はキハ55系相当の南海5501・5551形)気動車を使った急行「きのくに」が運行され、新宮駅以西の電化後も1985年3月14日のダイヤ改正で運行終了する(485系電車投入および特急「くろしお」への格上げのため)まで気動車で運行されていた。
1959年の紀勢本線全線開通前の1933年から1937年には関西から白浜への温泉観光列車「黒潮号」が運転されていた。
地域輸送
[編集]運行系統は、JR東海の亀山駅 / 伊勢鉄道 - 津駅 - 多気駅間・多気駅 - 新宮駅間とJR西日本の新宮駅 - 紀伊田辺駅間・紀伊田辺駅 - 御坊駅間・御坊駅 - 和歌山駅間・和歌山駅 - 和歌山市駅間に分かれている。
亀山駅 - 津駅間
[編集]亀山駅を発着する紀勢本線の列車は普通列車のみとなっており、多気駅発着や新宮駅・三瀬谷駅方面への列車が少数あるほか大半は多気駅より参宮線へ直通運転している。亀山駅から関西本線へ直通する列車は1本もない(名古屋方面へはスイッチバックとなり、運行した場合は伊勢鉄道を経由する列車とは車両の向きが逆になる[注 5])。日中1時間あたり1本程度の運行で、ワンマン運転を行う列車が多い。キハ25形気動車で運用されている。
津駅 - 多気駅間
[編集]津駅 - 多気駅間には前述した亀山駅発着の普通のほか、伊勢鉄道経由で関西本線名古屋駅まで直通する快速「みえ」が運行されている。この快速「みえ」は全列車が多気駅より参宮線に直通する。普通列車は亀山駅発着のほか、朝夕の一部に松阪駅発着での多気駅発着、三瀬谷駅方面、参宮線直通も設定されている。快速「みえ」はキハ75形気動車、普通列車はキハ25形気動車で運用されており、普通列車はワンマン運転を行う列車が多い。運転本数は快速「みえ」と亀山駅発着の普通列車がそれぞれ日中1時間あたり1本程度である。
津駅 - 松阪駅間は特定運賃を採用していないが、競合する近鉄名古屋線・山田線に比べて運賃が安い。しかし運転本数は近鉄名古屋線より大幅に少ない。
多気駅 - 新宮駅間
[編集]快速列車の定期運行はなく、通過駅のある特急列車を除くと普通列車のみが運転されている。多気駅発着の列車が多いが、亀山駅 - 新宮駅間を直通する列車も下り3本・上り1本ある。紀伊長島駅・熊野市駅発着の列車があるほか、下り最終は亀山駅発三瀬谷駅行きで運転されている。新宮駅を越えてJR西日本管内に直通する普通列車はない。本数は1日10往復程度と少なく、3時間以上列車の間隔が開く時間帯もある。全列車がキハ25形気動車で運行され、大半の列車がワンマン運転を行っている。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車が多い。
新宮駅 - 紀伊田辺駅間
[編集]1 - 3時間に1本の間隔で運行されている。1日あたり9 - 10本の運転が基本で、平日の新宮駅 - 紀伊勝浦駅間は通勤・通学需要のため上り12本、下り11本と若干多く、串本駅 - 周参見駅間は1日8往復とこの区間内では最も運転本数が少ない。また、白浜駅 - 紀伊田辺駅間は普通列車よりも特急「くろしお」の本数が多い区間となっている。現在は全て227系電車でワンマン運転を行う。時間調整や特急列車の待ち合わせなどのため行き違い可能駅で長時間停車する列車がある。
かつては急行用の165系電車や通勤用の105系が主力車両であった。165系電車が使用されていた時代には和歌山駅 - 新宮駅を直通運転する普通列車が設定されていた。この区間の標準的な所要時間は3時間弱であるが、朝下りと夜上りの各1本は2時間20分台で走っており、この区間を走る最も遅い特急列車との所要時間差は20分程度である。2021年3月13日のダイヤ改正までは朝に周参見発和歌山行きが1本あり、223系・225系電車4両編成が充当されていた。この列車はワンマン運転ではなく、この区間の列車で唯一車掌が乗務する普通列車であった。
2021年9月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車において自転車を解体せず車内に持ち込めるサイクルトレインが実施されている[38]。
紀伊田辺駅 - 御坊駅間
[編集]紀伊田辺駅 - 御坊駅間は1時間に1本程度で、2002年11月以降は日中は他区間から系統分離され、2020年4月現在227系電車2両編成によるワンマン運転を行っている。2020年3月以前は当区間専用の113系2000番台電車2両編成によるワンマン運転が行われていた。ただし、朝と夜には紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の列車が223系電車・225系電車・227系電車の4両編成で運転され、この場合は車掌乗務の列車となる。御坊駅折り返しの列車は御坊駅で和歌山方面の列車と接続する。また、朝に周参見発御坊行き(列車番号は紀伊田辺駅を境に変更)の直通列車が運転されているほか、2006年6月からは田辺地区の中学校・高等学校の授業日には南部発紀伊田辺行きの臨時列車も運転されている[39]。
2022年4月1日より平日の始発 - 9時を除く全列車においてサイクルトレインが実施されている[40]。
御坊駅 - 和歌山駅間
[編集]御坊駅 - 和歌山駅間は1時間に1 - 2本が運行されている。朝と夜の一部時間帯を除いて1時間あたり2本が運行されており、紀勢本線の中で最も運転本数の多い区間である。ただし、日中の一部列車は箕島駅 - 和歌山駅間の運転である。主に223系・225系・227系電車で運行されており、原則として和歌山駅で紀州路快速を含む阪和線の快速列車との接続が考慮されている。また、阪和線との直通列車も朝晩に設定されており、223系や225系電車で運行されている。前述のとおり、紀伊田辺駅 - 御坊駅 - 和歌山駅間を直通する普通列車も朝と夜に設定されている。
御坊駅 - 和歌山駅間で通過運転を行う快速(停車駅は#駅一覧参照)が設定されており、朝に紀伊田辺発2本(平日は天王寺行き2本、休日は和歌山行きと和歌山駅から紀州路快速となる大阪環状線直通京橋行き)、平日の夕方に和歌山発紀伊田辺行き1本の快速列車も運転されている。
この区間は特に和歌山側の利用客が比較的多いこともあり、早朝の和歌山発紀伊田辺行き1本と深夜の紀伊田辺発和歌山行き1本を除き4両編成で運転されている。1992年3月13日までは阪和線からの直通列車を中心に113系の6両編成で運転される列車も存在していた。
2023年8月21日より一部列車においてサイクルトレインが実施されている(事前予約制で1列車3台までの実証実験)[41]。
阪和線との直通運転
[編集]紀勢本線の電化後、阪和線の電車(快速の一部および日根野駅発着の各駅停車の一部。紀勢本線内は各駅停車)の乗り入れが開始された。2000年3月10日までは、日中においても天王寺駅 - 御坊駅・紀伊田辺駅間直通運転の快速(紀勢本線内は各駅停車)が設定されており、これらの列車が紀勢本線内の日中の普通運用も兼ねていた。しかしその後、列車の運転区間の短縮や、阪和線直通の快速列車の削減が相次ぎ、日中の直通運転も廃止された。2022年現在では上下とも紀伊田辺駅までの間で朝夜時間帯のみ直通運転が実施されている。
この区間では快速または普通として運転し、和歌山駅で阪和線内の種別に変更することが多いが、種別変更せず阪和線に直通する列車も存在する。
かつては後述する「太公望列車」を含む新大阪始発の快速列車があったが、2018年3月17日のダイヤ改正で新大阪駅からの阪和線・紀勢本線直通の快速列車の運転は廃止され、新大阪駅から阪和線・紀勢本線への直通列車は特急のみとなった。この改正で「太公望列車」を前身とする夜の新大阪発御坊行き最終列車は天王寺発(土休日は京橋発)大阪経由御坊行き(和歌山駅まで紀州路快速)に変更された[42]。2021年3月13日のダイヤ改正で和歌山発となって阪和線からの直通は一旦は廃止されたものの、2022年3月12日ダイヤ改正で平日・土休日ともに大阪環状線一周の天王寺発に改められて復活した。
紀伊田辺駅 - 和歌山駅間の上りの始発列車と下りの最終列車は、2020年3月13日まで阪和線の日根野駅発着で運転されており、阪和線内の日根野駅 - 和歌山駅間も各駅に停車し、113系電車2両編成が運用されていた。この列車は上り・下りとも2020年3月14日のダイヤ改正で、紀伊田辺駅 - 和歌山駅間と和歌山駅 - 日根野駅間の列車に系統が分割され、阪和線と直通しなくなった[43]。
和歌山駅 - 和歌山市駅間
[編集]日中は1時間あたり1本運転されている。2010年3月7日までの土曜・休日は2本で運行されていた。この区間では227系電車によるワンマン運転を行っているが、途中駅である紀和駅を含めて全駅ですべてのドアが開閉する。運転士による集札は行われないが、時間帯によってはJR西日本メンテックの契約社員による車内改札が行われることがある。
この区間は「紀和線」とも呼ばれている。正式路線名の紀勢本線と案内されることはなく、車内の乗り換え案内では南海側は「JR和歌山行き」、JR側は「和歌山市方面」、南海が管理する和歌山市駅の案内放送では「紀和・和歌山行き」とそれぞれ案内されている。
この区間では1985年3月13日まで「きのくに」などの南海電気鉄道(南海)難波駅からの直通列車や、新宮方面や和歌山線との直通列車、さらに昔には急行「大和」に併結される東京駅直通の寝台車が運行されていたこともある。また、この路線を使って南海や泉北高速鉄道の新造車両の甲種輸送が行なわれている。和歌山市駅構内の南海本線との渡り線のみ非電化のままである。
2009年には当時の和歌山市長大橋建一が、和歌山電鐵貴志川線内の架線電圧昇圧を行い(2012年実施)、当区間を経由して同線・南海加太線と直通列車を運行する構想があることを明らかにしている[44]。
夜行普通列車
[編集]2000年9月30日まで大阪地区(天王寺駅、のちに新大阪駅)と新宮駅を結ぶ夜行普通(のちに快速)列車が運行されており[45]、本節ではこの夜行普通列車を主体に述べる。なお、国鉄時代は大阪側・名古屋側双方を発着する準急(のちに急行)の夜行列車もあった。それぞれの沿革は「大阪対南紀直通優等列車沿革」・「紀勢本線新宮駅以東優等列車沿革」を参照。
1959年の紀勢本線の全通前から天王寺駅発着の夜行列車はあり、紀勢本線の全通により天王寺駅 - 名古屋駅間通しで運行される夜行普通列車となった。1972年までは南海電気鉄道も専用客車サハ4801形[注 6]を保有し、和歌山駅で天王寺駅発着の列車に連結・解放していた。なお、1984年から新宮駅発着に、1986年から天王寺駅発のみの片道に、1990年から種別が快速列車となり、始発駅も新大阪駅に変更された。
1984年1月31日まで寝台車を新宮駅 - 天王寺駅間で連結しており、1974年の指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、「南紀」(のちに「はやたま」)の列車愛称が与えられたが、寝台車連結を終了後は公式の愛称はなくなった。しかし、この列車は沿線で朝釣りをする人達によく利用されていたことから太公望列車とも呼ばれていた。これの増発として臨時快速列車も設定されており、これには指定席が設定されていた兼ね合いで「いそつり」(のちに「きのくに」)の愛称が与えられていた。
その後、1999年10月2日の改正で新大阪発紀伊田辺行きとなり、紀伊田辺駅から新宮駅までは臨時列車として延長運転されていたが、2000年9月30日をもって延長運転は廃止された[45]。この列車は、紀勢本線内は和歌山駅 → 御坊駅間の各駅に停車、御坊駅からは快速運転を行い、印南駅・南部駅に停車していた。2010年3月13日の改正で新大阪発御坊行きとなったことで、紀勢本線内は単なる普通列車となった。
大阪側発着夜行普通列車の年譜
[編集]- 1959年(昭和34年)7月15日の紀勢本線全通直前:当時の紀勢西線には、夜行普通列車が運行されていた。この時点では、天王寺発新宮行、天王寺・南海本線難波発新宮行、新鹿発天王寺・南海難波行(ただし難波行の客車は新宮駅から連結)の3本が運行されていた[46]。
- 1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線の全通により、名古屋駅 - 天王寺駅間通しで運行される夜行普通列車が上下とも設定される。上下とも新宮駅 - 東和歌山駅(現・和歌山駅)間で南海難波駅発着の客車を併結する。また従来の天王寺発新宮行夜行列車のうち1本は準急「はやたま」となる[46]。
- 1961年(昭和36年)3月1日:名古屋発天王寺・南海難波行が新宮駅で系統分割され、同時に南海難波行の併結が廃止される。新宮発天王寺行の夜行普通列車は気動車による運行となる。なお天王寺・南海難波発名古屋行は従来通り客車で直通運行[47]。
- 1966年(昭和41年)頃:新宮発天王寺行の夜行普通列車が名古屋発となり、再び客車での運行に変更される[48][49]。
- 1968年(昭和43年):上下列車とも新宮駅 - 天王寺駅間で二等寝台車(のちのB寝台車)が連結される[注 7]。
- 1972年(昭和47年)3月15日:ダイヤ改正(1972年3月15日国鉄ダイヤ改正)により、南海難波始発の客車が廃止される。和歌山市始発の運転(和歌山で名古屋行きに併結)は継続。
- 1974年(昭和49年):指定席発券システム拡充による寝台券発売開始に伴い、寝台車を連結した夜行普通列車に「南紀」の名称が与えられる。
- 1978年(昭和53年)10月2日:「南紀」の列車名を名古屋駅 - 紀伊勝浦駅間の特急列車の名称に使用するため、夜行普通列車の名称が「はやたま」に変更。
- 1982年(昭和57年)5月17日:「はやたま」の運転区間が名古屋駅 - 天王寺駅から亀山駅 - 天王寺駅に短縮。
- 1984年(昭和59年)2月1日:寝台車の連結廃止。これに伴い、「はやたま」の名称使用も終了する。また、運転区間も天王寺駅 - 新宮駅間に変更される。同時に実施された急行「きのくに」の夜行列車廃止に伴い、座席車は非冷房の旧形客車から冷房付きの12系客車に変更。和歌山市始発の客車は廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:夜行列車の新宮発列車の運転を終了し天王寺発のみの片道列車となる。またこの時点で客車による運行から急行形電車165系による運行となる。
- 1990年(平成2年)3月10日:夜行列車が新大阪発に変更され、列車種別を普通から快速に変更。それまでは天王寺駅から和歌山駅まで途中無停車運行であったものを阪和線内で快速停車駅に停車することになり、ホーム上での案内も普通列車ではなく「快速・新宮行き」として案内されるようになった[注 8]。
- 1999年(平成11年)10月2日:定期列車としての新大阪発新宮行き普通夜行列車の運転終了。
- 列車自体はすでに紀伊田辺駅までの最終列車であったため、新大阪駅 → 紀伊田辺駅間は存続。臨時列車として紀伊田辺駅 → 新宮駅間で延長運転される。
- 2000年(平成12年)10月1日:紀伊田辺駅 → 新宮駅間の延長運転が廃止され、臨時列車としての"太公望列車"も廃止[45]。
- 2002年(平成14年)3月23日:この日未明の紀伊田辺駅到着分をもって165系での運行を終了、同日に新大阪を出発する列車から221系による運行となる。
- 2010年(平成22年)3月13日:御坊駅から紀伊田辺駅までの運転を取りやめ、新大阪発御坊行きに運転区間を短縮。終着駅到着が最も遅い列車ではなくなる。
以後の運行状況は「#阪和線との直通運転」を参照。
臨時列車
[編集]JR東海では、2010年秋から毎年、春・夏・秋に臨時快速「熊野古道伊勢路号」を多気駅 - 熊野市駅間で運転しているほか[52][53]、毎年8月17日に行われる熊野大花火大会の開催日と翌日の未明に特急「南紀」の臨時便や臨時快速、普通列車を熊野市駅 - 名古屋駅・津駅・亀山駅・多気駅・伊勢市駅(多気駅より参宮線へ乗り入れ)・紀伊長島駅・新宮駅(きのくに線でも新宮駅 - 紀伊勝浦駅・串本駅行きの臨時列車を運行し接続)の各区間で運転している。なお、2011年までは津駅・伊勢市駅 - 熊野市駅間に臨時急行「熊野市花火」が運転されていた。
JR西日本では、大型時刻表には掲載されないが、和歌山港まつりや紀文まつりなど、夏の花火大会にあわせて臨時普通列車を運行することがある[54]。過去には、ジョイフルトレインを活用し、1999年4月29日から9月19日にかけて行われた南紀熊野体験博にあわせて「きのくにシーサイド」が運転されていたほか[55]、ホリデー号やレジャー号[56]、「ぶらり海南号」「紀三井寺桜まいり号」「熊野古道ハイキング号」「紀州歴史物語号」などの臨時列車が運転されていた[57]。 2016年10月には、「紀の国トレイナート号」が運行[58]された。
- きのくにシーサイド
貨物列車
[編集]国鉄時代は、末期を除き全線で貨物輸送が行われており、1972年3月の時点では、周参見駅以東発着貨物は亀山経由で、朝来駅以西発着貨物は和歌山操車場経由で、それぞれ輸送されていた[59]。おもな輸送品目としては、沿線各地域産出の農水産品、林産品のほか、新宮市周辺地域の製紙工場の紙製品や、初島町・下津町の製油所の石油製品の輸送もあった。
国鉄時代末期の合理化により、当線の定期貨物列車の運行は製紙工場関連の貨物輸送のみとなり、1987年(昭和62年)の日本貨物鉄道(JR貨物)発足時点では、定期貨物列車は稲沢駅 - 亀山駅 - 鵜殿駅 - 紀伊佐野駅間で運行されていた。列車の編成は、DD51形ディーゼル機関車2両(重連運転)とワム80000形有蓋車20両前後(6両は紀伊佐野発着、残りは鵜殿発着)、タキ5450形タンク車数両で、最後尾にはヨ8000形車掌車が1両連結されていた[60]。荷主は、鵜殿駅が紀州製紙、紀伊佐野駅が巴川製紙所で、いずれも駅と工場の間は専用線で接続していた[61]。
1994年9月にワム80000形による輸送が廃止され、これに代わりコキ100系コンテナ車で組成された高速貨物列車の運行が開始された[61]。コンテナ車は鵜殿発着車6両、紀伊佐野発着車3両が連結されたが、1995年に巴川製紙所の工場閉鎖に伴い紀伊佐野発着車の連結は廃止され、以後は鵜殿発着車が8両に増強された[61]。鵜殿駅・紀伊佐野駅ともコンテナ積降設備がないため、コンテナ車は基本的に5tコンテナを5個すべて積載していた。2000年8月には車掌車の連結、2002年(平成14年)3月のダイヤ改正ではタンク車の連結が廃止され、列車の編成はDD51形2両とコンテナ車7両となったが、2008年4月1日からDD51形の重連運転は廃止され、単機による牽引に替わった[60]。なお、ダイヤ改正日の3月15日から完全に単機運転に切り替わるまでの間は、コンテナ車6両とDD51形2両の重連で運転されていた[60]。また、運行経路も、2008年3月15日のダイヤ改正からは伊勢鉄道線経由となった[60]。
以後、2013年3月15日までは、高速貨物列車の運行は稲沢駅 - 河原田駅 -(伊勢鉄道線経由)- 津駅 - 鵜殿駅間の1日1往復運行となっていた[62][63]。牽引機はDD51形ディーゼル機関車、貨車はコキ100系コンテナ車7両編成である。荷主も再編され、北越紀州製紙となっていた。
このほか、2016年4月1日の貨物営業廃止までは、ダイヘン多気工場から変圧器を輸送するため、多気駅からの特大貨物列車(伊勢鉄道線経由)が臨時で運転されていた。
台風による被害
[編集]この路線は全通後間もない1959年9月26日の伊勢湾台風をはじめとして、何度か台風により長期不通などの被害がもたらされている。
2011年台風12号の被害と状況
[編集]2011年9月3日に日本に上陸した台風12号は紀伊半島を中心に大雨をもたらし、河川氾濫や土砂崩れが発生するなど大きな被害がでた[64]。紀勢本線で受けた主な被害は以下の通り[65]。
- 紀伊天満駅 - 那智駅間の那智川橋梁が那智川の増水により一部流失[28]
- 熊野市駅構内の井戸川橋梁が増水により一部流失
- 下里駅 - 紀伊浦神駅間の江川橋梁で、土砂流出
- 周参見駅 - 紀伊日置駅間の第3太間川橋梁で橋脚の土台周辺の土砂が流出
この被害で熊野市駅 - 白浜駅間の約120kmが一時不通になり[66]、バス代行輸送が紀伊田辺駅 - 新宮駅間で9月6日から[67]、熊野市駅 - 新宮駅間で9月7日から[68]行われた。
不通区間のうち、串本駅 - 白浜駅間は同年9月17日[69]、紀伊勝浦駅 - 串本駅間は同年9月26日に運転を再開した[70]。熊野市駅 - 新宮駅間については、井戸川橋梁と新宮駅構内の信号設備の復旧にあわせ、2011年10月11日から運転を再開した[71]。
新宮駅 - 紀伊勝浦駅間については和歌山県が河川改修を検討し、復旧工事をする場合はその川幅にあわせて工事をしなければならないためJR西日本は年内の復旧は難しいとしていた[72][73]が、和歌山県は橋梁部の河川の拡幅をしないことを決定し、これを受けてJR西日本は残った鉄橋で復旧を進めることになった