葉貫磨哉
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葉貫 磨哉(はぬき まさい、1931年8月4日 - 2000年11月2日)は、日本の歴史学者、博士。駒澤大学教授、板橋区史編纂委員・調査会古代・中世部会長などを歴任。福島県出身。
来歴
[編集]安達郡本宮町(現:本宮市)坊屋敷の石雲寺で、葉貫勇山とタケの次男(男2人女2人の4人兄弟の3番目)として誕生。福島県立安達高等学校(ラグビー部に所属)、1955年に駒澤大学文学部地理歴史学科卒業。恩師に岩井大慧、丸山二郎、藤井秀雄。「駒澤大学史学会」設立に尽力[1]。1956年9月、駒澤大学文学部助手。1957年4月、同講師兼助手。1958年、日本仏教史研究会発起人の一人として尽力。1960年4月、法政大学大学院日本史学専攻修士課程(夜学)に入学。1961年4月から1966年3月まで東京都立富士高等学校非常勤講師。その間に永平寺に入山し得度。1963年3月、法政大学大学院日本史学専攻修士課程修了。1965年4月、駒澤大学文学部専任講師および東京都立一橋高等学校非常勤講師(1969年3月まで)。1968年10月、東京大学史料編纂所玉村竹二教授と共に平林寺に初めて拝登。のち19年にわたり平林寺史の編纂に尽力する。
1969年4月、駒澤大学文学部助教授。1975年4月、同教授に就任。1980年4月、同大学院教授。1981年4月、駒澤大学百年史編纂委員。1985年4月、駒澤大学史学会(現:駒沢史学会)会長。1988年4月、国内在外研究員として茨城県立歴史館に1年間留学。1989年3月、学位論文『中世禅林成立史の研究』で博士号(文学、駒澤大)を取得(主査:所理喜夫、副査:渡辺直彦、南和男)。日本宗教史研究会、南島史学会、佛教史学会に所属。
1993年刊行の『中世禅林成立史の研究』(吉川弘文館)では、大休正念『仏源録』の記載から、太平寺仏殿の成立が鎌倉時代であることを論証。国宝としての円覚寺舎利殿を救った[2]。
地方史研究協議会常任委員、秦野市史編さん専門委員、新座市編纂委員、墨田区文化財保護審議会委員、建長寺史編纂委員、板橋区史編さん委員会委員・同調査会古代・中世部会長を歴任[3]。
2000年11月2日、肺癌のため死去、69歳[4]。定年退職まで残り1年、入院して3か月余りだった[5][6][7]。
著書
[編集]共著
[編集]- 「地方文化の伝統と創造」地方史研究協議会編 雄山閣 1976
- 「アジア仏教史. 中国編 4」中村元, 笠原一男, 金岡秀友監修・編集 佼成出版社 1976
- 「日中語文交渉史論叢 : 渡辺三男博士古稀記念」論文集刊行編 桜楓社 1979.4
- 「栄西禅師と臨済宗 第7巻」平野宗浄, 加藤正俊編 吉川弘文館 1985
- 「平林寺史」玉村竹二共著 春秋社 1988.11
論文
[編集]関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ “阿部肇一「葉貫先生を悼む」”. 駒澤大学 (2002年3月21日). 2024年8月11日閲覧。
- ^ “廣瀬良弘「葉貫磨哉先生を偲んで」” (2002年11月2日). 2024年3月30日閲覧。
- ^ “角田朋彦「葉貫磨哉先生略年譜」2002.3”. 駒澤大学. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “同窓新報p.6 小林総八「葉貫先生を悼む」”. 駒澤大学高等学校同窓会 (2001年3月5日). 2024年3月30日閲覧。
- ^ “『駒沢史学』58号 葉貫磨哉先生への追悼号 2002.3”. 駒澤大学. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “阿部肇一『駒沢史学』50号出版記念にあたりて”. 駒澤大学 (1997年12月). 2024年8月11日閲覧。
- ^ “『駒沢史学』58号 葉貫磨哉先生追悼号 2002.3”. 駒沢史学会 (2002年3月21日). 2024年8月11日閲覧。
- ^ “栄西禅師と臨済宗 / 日本仏教宗史論集”. 東京大学. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “葉貫磨哉”. 国立台湾大学図書館. 2024年3月30日閲覧。