AMAスーパーバイク選手権

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AMA Pro Road Racing
2004年のレースから
カテゴリ スーパーバイク
国・地域 アメリカ合衆国
開始年 1976年
終了年 2015年
最終
ライダーズ
チャンピオン
アメリカ合衆国の旗 ジョシュ・ヘリン
最終
マニュファクチャラーズ
チャンピオン
日本の旗 ヤマハ

AMAスーパーバイク選手権(エーエムエースーパーバイクせんしゅけん、: AMA Superbike Championship)は、オートバイによるモータースポーツ。AMA(全米モーターサイクル協会)が主催していたロードレース全米選手権。一国レベルの選手権としては世界最高のレベルと規模を誇る。伝統の一戦であるデイトナ200マイルも当選手権に含まれている。2015年から開催されているMoto America ロードレーシングシリーズの前身。

概略[編集]

1970年代のアメリカでは"フォーミュラ750"というレースが存在していたが、2ストロークのヤマハ・TZ750が完全に制圧しており、"フォーミュラ・ヤマハ"と揶揄されるレベルで独占状態であった。そのため、車種の豊富な4ストロークエンジン車によるレースが考案され、当選手権が開催されることとなった。

日本での放送はなくDVDが稀に発売される程度で知名度は高くないものの、当選手権が日本のスーパーバイク発展に与えた影響は計り知れないものがある。また当選手権のコンセプトが欧州にも持ち込まれたことで、今日のスーパーバイク世界選手権(WSBK)に発展しているなど、いち国内選手権としては過ぎるほどに歴史的に重要な役割を果たしている。

同シリーズ出身で欧州でも活躍したものは多く、MotoGP王者のニッキー・ヘイデンスーパーバイク世界選手権王者のベン・スピーズの二人はその最たる例である。しかし近年はそうした者が少なくなっており、ガラパゴス化に危機感を抱いたAMAがFIM(国際モーターサイクル協会)と提携し、2015年に同シリーズを"MotoAmerica"へと改名したことで一つの時代を終えている。

日本人の参戦者は黎明期はそこそこおり、宗和孝宏1993年ルーキーオブザイヤーを獲得している。近年では2005年民辻啓がスーパーストッククラスに参戦している。

ポイントシステム[編集]

1位-30、2位-25、3位-21、4位-18、5位-16、6位-15…20位-1、PP-1

歴代チャンピオン[編集]

ライダー メーカー
1976年 レグ・プリッドモア BMW
1977年 レグ・プリッドモア カワサキ
1978年 レグ・プリッドモア カワサキ
1979年 ウェス・クーリー スズキ
1980年 ウェス・クーリー スズキ
1981年 エディ・ローソン カワサキ
1982年 エディ・ローソン カワサキ
1983年 ウェイン・レイニー カワサキ
1984年 フレッド・マーケル ホンダ
1985年 フレッド・マーケル ホンダ
1986年 フレッド・マーケル ホンダ
1987年 ウェイン・レイニー ホンダ
1988年 ババ・ショバート ホンダ
1989年 ジャミー・ジェイムズ スズキ
1990年 ダグ・チャンドラー カワサキ
1991年 トーマス・スティブンス ヤマハ
1992年 スコット・ラッセル カワサキ
1993年 ダグ・ポーレン ドゥカティ
1994年 トロイ・コーサー ドゥカティ
1995年 ミゲール・デュハメル ホンダ
1996年 ダグ・チャンドラー カワサキ
1997年 ダグ・チャンドラー カワサキ
1998年 ベン・ボストロム ホンダ
1999年 マット・ムラディン スズキ
2000年 マット・ムラディン スズキ
2001年 マット・ムラディン スズキ
2002年 ニッキー・ヘイデン ホンダ
2003年 マット・ムラディン スズキ
2004年 マット・ムラディン スズキ
2005年 マット・ムラディン スズキ
2006年 ベン・スピーズ スズキ
2007年 ベン・スピーズ スズキ
2008年 ベン・スピーズ スズキ
2009年 マット・ムラディン スズキ
2010年 ジョシュ・ヘイズ ヤマハ
2011年 ジョシュ・ヘイズ ヤマハ
2012年 ジョシュ・ヘイズ ヤマハ
2013年 ジョシュ・ヘリン ヤマハ
2014年 ジョシュ・ヘイズ ヤマハ
2015年 キャメロン・ボービエ ヤマハ
2016年 キャメロン・ボービエ ヤマハ
2017年 トニ・エリアス スズキ
2018年 キャメロン・ボービエ ヤマハ
2019年 キャメロン・ボービエ ヤマハ
2020年 キャメロン・ボービエ ヤマハ
2021年 ジェイク・ガニェ ヤマハ
2022年 ジェイク・ガニェ ヤマハ
2023年 ジェイク・ガニェ ヤマハ

外部リンク[編集]