Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避

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人名記述について[編集]

Wikipedia:曖昧さ回避#名称の一部が項目名と共通している言葉の「曖昧さ回避に含まれる例」には「一部が省略される場合があるもの」として「人物の名、姓」という項目がありますが、これはどこまで記載可能なのでしょうか。と言うのも、Wikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかの対象IPにより、曖昧さ回避に姓が同じ日本人の人名が多数記載され、際限が無くなってきている感があるためです。例えば平尾では編集合戦で保護依頼になったり([1])、記事中に言及がある人物をとりあえず手当たり次第に記述したり([2]、記事作成見込みがあるかどうか精査していない感じ)、「実母の実家がその姓」なんて人物を記載したり([3]松平定直における平岡)など。主に欧米の外国人の場合は、姓のみでその人物を呼ぶことも多いので曖昧さ回避に記述するのは妥当でしょうが、日本人(中国や韓国辺りもそうですが)の場合「姓」だけで人物を判別できることはまず無く、「一部が省略される場合があるもの」には当たらないと思うのですが、いかがでしょうか。

また、記述するにしても情報をどこまで書くか、という問題もあります。記事が存在する人物なら、そのリンクと簡単な肩書程度で良いと思うのですが(バッハ (曖昧さ回避)のように判別しづらい場合は生没年もありでしょうが)、件のWikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかの方は読み・旧姓・別名・本名・生没年(何故か西暦2桁記載の場合も)・出身地まで記載する事があり、どうしたものかと疑問に思いました。その他、件の方は「1945年以前生まれは正字体表記」とかでTemplate:langのzh-hant(中国繁体字用)をわざわざ用いているのですが、Wikipedia:表記ガイドにはそのような基準は無いため、これも廃していく方向で良いと思います。

これらの事について、合意形成の上でWikipedia:曖昧さ回避に基準として盛り込む事も提案します。--松茸会話) 2016年4月30日 (土) 01:24 (UTC) 一部追記--松茸会話2016年4月30日 (土) 01:31 (UTC)[返信]

コメント まず大前提として、曖昧さ回避は「内容が異なる主題なのに適切な記事名が同じになってしまうときに、それらを判別しやすくする」ためのものです。アインシュタインノーベルのように「その姓だけで特定の人物と結びつく」ような状況でもなければ、姓だけが「適切な記事名」とはならないので、曖昧さ回避がカバーすべきものではない、と考えます。--Jkr2255 2016年4月30日 (土) 03:25 (UTC)[返信]
松茸さんJkr2255さんへ。異論はないようなので、その方向で加筆してはどうでしょうか。「人名の一部と記事名が一致するというだけの理由で曖昧さ回避に列挙すべきではありません。織田信長が単に信長と呼ばれるなど、それが広く通用した実績のある名称である場合は例外的に許容されます」という感じでしょうか。 --2001:240:240E:8174:990:7EF7:D0BC:5FA5 2019年4月3日 (水) 13:33 (UTC)[返信]
  • その例外的なものとそうでないものとの区別が現実的にはできません。程度問題というものも絡めば問題はさらに難しくなるでしょう。そこに新たな議論や労力を使うぐらいならば、ある程度の広がりを許容し、許容範囲を超えた時に適切な形(分割など)で体裁を整えればいいかと思います。闇雲ではいけませんがWPは基本的に加筆などの改善による拡大を目指していますので、その足がかりとなりうる記述を除去する必要はないかと思います。他の手を尽くしてそれでも無理な場合に除去という最終手段、ぐらいの気持ちでいいかと思います。--鶏のから揚げ会話2019年4月6日 (土) 06:52 (UTC)[返信]

同音異表記について[編集]

上記の人名記載とは別のWikipedia:コメント依頼/60.35.30.54ほかに関する問題で、曖昧さ回避の語と同音異表記を関連性があるかどうか分からない状態で一覧記載するというものがあります。一部の例として、WP:RSとならない外部リンクまで含めて記載するもの([4][5][6][7][8][9])、関連の不明な、類似語を記載するもの(中丸における「大丸」「小丸」「今」における「今村・新村・今郷・新郷・今里・新里・今市・新市・今町・新町・今西)などがあります。いずれも同音か語意が若干似ている程度でしかなく、論拠とする外部リンクが「登録者なら自由に書き加えられる」という性質のもののためWP:RS非該当のみならず、そのサイトでさえ読みが同じ以上の共通性が分からない(発祥地が書いてあっても、全く別の場所だったりする)などの事情があり、記載するに値しないと思うのですが、いかがでしょうか。「同音異表記として記載できるのは、異体字である事が明確な場合だけ」というような基準を設ける方が良いのでは。--松茸会話2016年4月30日 (土) 01:55 (UTC)[返信]

コメント 曖昧さ回避はあくまで「同表記のもの」のナビゲーションであって、それ以上の機能をもたせるべきではないでしょう。たまに複数表記が混在する曖昧さ回避がありますが、
  • 表記ゆれが著しく、分割すると使い勝手を大きく損ねる(例:さつきがおか
  • 1つのカタカナ語に対して本来の外国語表記が複数ある場合(例:ウエスト
のような、ごく限られた事例です。曖昧さ回避に飛んできた人に対して、「記事のナビゲーションとして」必要かどうかで判断するべきところでしょう。--Jkr2255 2016年4月30日 (土) 03:37 (UTC)[返信]

小説の曖昧さ回避について[編集]

現在、項目名が被った場合にはガイドラインのWP:NC#芸術作品では

半角スペースの後に半角括弧で括った分野や分類を表す語を記事名の末尾につける

方針のWP:AIMAI#記事名の競合では

項目名の後に「半角のスペース」ひとつ入れて、半角の括弧の中に分野名を記述してください

となっています。が、小説においては必ずしもこれが守られておらず[[項目名 (著者名)]]となっているものが多々見受けられます。で、これらについて(ガイドラインや方針に則っていないことを指摘した上で)改名を提案したところ、反対票しか付かずに改名が頓挫するという事が発生しています(ノート:変身 (カフカ)#改名提案を参照)

この「項目名 (著者名)」はローカルルールなどではなく「慣例」のようで、記事名の付け方や曖昧さ回避が現在の運用になって以降もそのままになっているものです(結果として小説の記事名の付け方はバラバラになっています)。んじゃ、いっそローカルルールとして決めたらどうか?と言うことでPortal‐ノート:文学#同名作品が存在する場合の記事名の付け方についてを提起してみたんですが・・・ものの見事に人が集まらず(コメント依頼にも出したんだけどなぁ ^_^;)、議論がほとんど進みませんでした。試案(どっちかってーと「項目名 (著者名)」に縛る方)を書いてみても、それに対する反応すら無しだし。

しょうがないので、まずは「小説としては項目名が重複しない」改名提案を出してみたところ、それにすら反対票が付く有様です(ノート:OUT (桐野夏生)#「同名の小説」が存在しない小説記事の改名提案を参照)。んじゃあ、先の議論に何かしら意見が付くかといえばそれも無し。どうもあちらでは埒があきそうに無いので、これについて何かしら「曖昧さ回避」の方で決める(つーかはっきりと明記する)ことは出来るでしょうか? と、言うのも・・・松本清張をはじめとした多作の大物が控えてるんですよ。これまでの反対票は映画やドラマなどメディア展開されていることを理由にしているものだったりするので、同じ理屈で反対票が付きそうな気が・・・

別に「小説だけ[[項目名 (著者名)]]を容認する」に決まるなら、それはそれで構やしないんですけどね。とにかくハッキリしてほしいんですわ。--KAMUI会話2016年8月22日 (月) 13:17 (UTC)[返信]

現在日本語版に存在していない記事のみをリストした曖昧さ回避ページについて[編集]

サイ・モーガンチェット・ニコルズサミュエル・ナロンハイニー・ミラーなどを見るとわかるのですが、野球選手について、現在日本語版に存在していない記事のみをリストした曖昧さ回避ページがいくつか作られています。Wikipedia:曖昧さ回避によると、「内容が異なる複数の記事についてWikipedia:記事名の付け方に基づく適切な記事名が同じになってしまう場合」に曖昧さ回避を作るということで、最低でもひとつは回避対象になるような記事が日本語版に存在していることが前提とされているように見えます。またWikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページで扱う対象には「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。」とあるので、このような曖昧さ回避ページの作成はあまり奨励されていないであろうということは想像がつきます。このような場合、こうした現状では不要な曖昧さ回避ページは削除対象になるのでしょうか、それとも奨励されていないだけでそのままにしておいて大丈夫でしょうか?なお、これらの曖昧さ回避を作成した利用者:J.vivisectionさんには会話ページで理由をお伺いし、作成理由についての答えも頂いております。--さえぼー会話2016年9月3日 (土) 14:08 (UTC)[返信]

コメント プロジェクト:河川で河川記事名の曖昧さ回避を研究している者です。作成者様の会話ページを拝見しました。
曖昧さ回避はページを効率よく検索するためのツールです。作成者様のおっしゃる平等に扱うという人としての権利はもっともであり、ウィキペディアでは記事の書式を合わせるなど主に記事の内容に関して常に平等になるように調整を行っていますが、同時に欲する人物記事へ効率よく到達したいという閲覧者の権利も別のところで生じています。曖昧さ回避においてはこの閲覧者の権利により、万人に広く知れ渡るプロスポーツ選手芸能人が検索効率に従って優先される傾向にあるようです。
さて、作成者様は英語版より曖昧さ回避ページのみをコピーされているようですが、日本語版においては必ずしも英語版と同じ曖昧さ回避のスタイルになるとは限りません。例えば英語版で複数いる同名の野球選手のうち一名が日本に移籍してきた場合、おそらく日本語版ではその方を中心とする曖昧さ回避のスタイルに落ち着くでしょう。
従いまして、需要によって順番に作成される人物記事の第一投稿者による自由な記事名決定を、事前に作成された英語版の曖昧さ回避のコピーによって妨げてしまうため、事前の大量生産は効率がよくありません。既に作成は保留状態とされているようですが、(一般的に)もし問題のある生産を止めない場合は、作成抑止のための削除処置に至ることがありますので、再開には十分な審議を行って作成のための特別な理由などを見出してください。--Triglav会話2016年9月3日 (土) 16:34 (UTC)[返信]
ありがとうございます。作成は保留となっているのですぐ削除依頼をする必要はないかと思いました。サイ・モーガンについては既にサイ・モーガン (1878年生の投手)利用者:Halowandさんが作成してくださったようですが、できれば利用者:J.vivisectionさんその他野球がわかる方に他の記事についても作成していただきたいなと思っております。--さえぼー会話2016年9月4日 (日) 03:59 (UTC)[返信]
Wikipedia上の編集方針や当方の意図等、色々ありますが、作成してしまった以上はやむを得ないとし、さえぼー様が提案される通り、当方でも (直ちに、とはなりませんが) ページの作成を進めるとの事、承りました。-- 利用者:J.vivisection会話 / 投稿記録 / 記録 2016年9月4日 (日) 11:40 (UTC)[返信]

(曖昧さ回避)以外の曖昧さ回避記事はだめなのか[編集]

  1. 漫画家の阿井植男の『十人十色』という作品が発売されたので「[[十人十色 (漫画)]]」というリンクを作成。赤リンクだったのでそこに記事を作った。
  2. シンガーソングライターの垣久家子の『十人十色』という作品が発売されたので「[[十人十色 (楽曲)]]」というリンクを作成。赤リンクだったのでそこに記事を作った。

両方

  • 「十人十色」という作品へのリンクを作成する。
  • 明らかに第一義でないのでジャンル付きのリンクにした。
  • そこに記事がないから作成した。

というケースです。同じように見えますが、結果として 1.は問題なく 2.は間違っています。もし「[[十人十色 (楽曲)]]」という曖昧さ回避記事が先に存在していればこのような事態は避けることができます。なぜこのようなジャンル限定の曖昧さ回避記事が認められないのでしょうか?--240F:7A:C7FE:1:D4B9:3998:7C03:1825 2017年11月26日 (日) 05:33 (UTC)[返信]

コメント すでに十人十色 (大江千里の曲)十人十色 (misonoの曲)という記事が存在するため、「十人十色 (楽曲)」では一意になりません。だから「十人十色 (楽曲)」はダメなのではないですか?--aki42006会話) 2017年11月26日 (日) 06:04 (UTC)取り消し--aki42006会話2017年11月26日 (日) 06:23 (UTC)[返信]
コメント 過去ログのこのあたりに議論がありますが、「クリック数が増えて一覧性が悪くなる」「十人十色 (楽曲)が単体記事か曖昧さ回避かわかりにくくなる」などデメリットが上がっています。--Jkr2255 2017年11月26日 (日) 11:05 (UTC)[返信]
コメント 認められない、というほどに厳格ではありません。現に「_(曖昧さ回避)」以外の括弧付き曖昧さ回避ページ、または曖昧さ回避ページへのリダイレクトが存在します(数年前に調査された結果)。また本来、記事作成の前に「十人十色」を確認して頂いてから記事名を検討して頂くことが宜しいのではないでしょうか。そのような主旨で言えば、両方共に間違っていると言えます。なお、楽曲については「プロジェクト:楽曲」が主導していますが、1曲目の曖昧さ回避には「_(曲)」が推奨されているようです。--Frozen-mikan会話2017年11月27日 (月) 07:13 (UTC)[返信]
情報 プロジェクト‐ノート:鉄道/列車#列車限定の曖昧さ回避ページは必要かという議論を提起しました。ページ名が「○○ (列車)」となっている曖昧さ回避ページは必要かという議論です。関連があるのでこちらでも告知しておきます。--本日晴天会話2017年12月6日 (水) 17:01 (UTC)[返信]

「どの曖昧さ回避を使うべきか」への追記[編集]

Wikipedia:曖昧さ回避#どの曖昧さ回避を使うべきか」には以下のような記述があります。

代表的なトピックとそうでないトピックとが明確な場合には、「代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避」を選択すべきでしょう。この方法は、最もリンクが集中するページへのリンクに特に修正をする必要がないため、読者が探していたものと異なるページへのリンクを少なくする利点があります。

—Wikipedia:曖昧さ回避(版番68101645

この《最もリンクが集中するページへのリンクに特に修正をする必要がない》は事実ですが、その他の誤リンクの修正を困難にすることが考えられていないと判断しています。この部分は2005-02-23(版番1463100)に追加されました。当時は(英語版でも)記事数が少ないので誤リンクの修正も比較的容易だった可能性はありますが、現在の日本語版の記事数(110万強)では困難なケースが発生しています。何故ならば、リンク修正作業のたびに「無数リンクの中から誤リンクを探し出す」という作業になるのですが、正しいリンクは「リンク元」に当然残るので、次回以降の作業時に以前にチェックしたものも再度確認することになるからです。(正確に言えば、そういう現象になることが想像できるので、その項目に関するリンク修正作業を実施するモチベーションがわかないという問題)

このような問題があるため、上記引用部分の後に「一方で、代表的なトピック以外からのリンクを修正する作業が困難になるケースもあることが判明しています(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))。」と追記することを提案します。--iwaim会話2018年6月4日 (月) 17:00 (UTC)[返信]

賛成 富士山のように他のものと間違える方がおかしいというようなケース以外は、全て平等な曖昧さ回避とすべきですね。--JapaneseA会話2018年7月4日 (水) 01:55 (UTC)[返信]

チェック 版番69231825で追記しました。--iwaim会話2018年7月15日 (日) 06:10 (UTC)[返信]

カルメン・カレー問題の解消のためにリダイレクト「項目名 (代表的なトピック)」を作成する[編集]

代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避を選択した場合、誤リンク修正のやる気を著しく損なうという「カルメン・カレー問題」(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))が存在します。これが何故誤リンク修正のやる気を著しく損なうのかは以下の私論で簡単に解説しています。

これを解消するために『「項目名 (代表的なトピック)」というリダイレクトを作成し、代表的なトピックへのリンクをそのリダイレクトページに集約してもよい』というルールの導入を提案します。リダイレクトページで用いられる括弧内の文言は「代表的なトピック」という文字列に固定します(=それ以外は認めない)。仮に代表的なトピックとして選ばれるものが変更になったとしても、改名前にBot作業依頼で一括置換すればよいでしょう。(そういう状況だと平等な曖昧さ回避化の方が望ましいだろうけど)

代表的なトピックへの(おそらくは数が多い)リンクがリダイレクトページ経由になりますが、「Wikipedia:サーバの負荷を気にしすぎない」を踏まえた上で問題視せず、誤リンクが解消される可能性が高くなる道を選ぶ方がシステム管理者各位の意思にも合致すると判断できます。

具体的にどこにどのように追記するのかは、実際に導入されることが決まってからで良いと考えています。--iwaim会話) 2018年9月9日 (日) 15:50 (UTC) 時間が取れたので文面案を「#文面案」に記載しました。--iwaim会話2018年9月15日 (土) 16:51 (UTC)[返信]

  • コメント これはなかなか面白い案ですね。つまり富士山という記事名はそのままで、修正したい人はリンクしている箇所を[[富士山 (代表的なトピック)|富士山]]とするのですね。今のところデメリットが思いつかないので賛成しますが、他者の意見も聞いて見たく思います。私見では富士山には必要ないと思いますが(間違える方が悪いレベル)、人名や抱きしめたいのような作品名では有益だと思います。--JapaneseA会話2018年9月12日 (水) 15:26 (UTC)[返信]
    • コメント 間違える方が悪いレベルというのは賛同できますが、(このルールを用いるべきではないという)例外を設ける必要性は感じていません。誤リンクは閲覧者にとって不利益なので(リンク修正のモチベーションが上がる方法があるのにも関わらず)導入しないということは閲覧者のためにもなりませんし、「間違える方が悪い」というのは極論すればあらゆるリンクについて言えるからです。また、そもそもの話として閾値(というか導入しない場合の基準)を設けることが困難だろうとは考えています。--iwaim会話2018年9月15日 (土) 16:50 (UTC)[返信]

チェック 版番70022512として追加しました。--iwaim会話2018年9月23日 (日) 00:38 (UTC)[返信]

文面案[編集]

Wikipedia:曖昧さ回避#言語間リンクの直前にセクション名を「=== 代表的なトピックページへのリンク方法 ===」として挿入することを提案します。ショートカットは特に思い浮かばないのですが、よい案があれば。

代表的なトピックを中心とする曖昧さ回避をすると、そのままでは代表的なトピック以外へのリンクであるべきものが誤ってリンクされてしまった場合に検出が困難になるケースがあります(プロジェクト:曖昧さ回避#不適切な曖昧さ回避(カルメン・カレー問題))。

この問題を回避するため、代表的なトピックページへリンクする場合、ページ名に「 (代表的なトピック)」を含むリダイレクトページにリンクしてください。括弧内の文字列は「代表的なトピック」だけが許容されています。当該リダイレクトページが存在しない場合は新たに作成してください。例えば「カルメン」に直接リンクせず、「カルメン (代表的なトピック)」にリンクしてください。なお、こうしたリダイレクトについてはリダイレクトの解消を行ってはいけません。以上により、適切なページにリンクされなかったものをリンク元から参照することができます。

以上。--iwaim会話2018年9月14日 (金) 20:52 (UTC)[返信]

コメント すみません。1点気になったので。カルメン (代表的なトピック)への付け替えをボットで行われているようですが、これは全て確認後と考えて良いでしょうか?でなければ、カルメンに誤リンクしているものを機械的に修正するのはマズイので。--JapaneseA会話2018年9月23日 (日) 08:33 (UTC)[返信]

異議[編集]

先ほど関川 (代表的なトピック) というリダイレクトが作成されていたことに気づき驚いて、このページにたどり着きました。ところで、括弧内を「代表的なトピック」に限定する理由は何かありますでしょうか。代表的なトピックとなっている記事の中には、記事が作成された順番などの関係でなし崩し的に代表的なトピックとなっているケースもあり、全ての代表的なトピックについて明確な合意のもと代表的なトピックになっているとは限りません。こうした記事に対し「代表的なトピック」というリダイレクトが作成されると、結果的にお墨付きを与えるような恰好になるおそれがあります。また「代表的なトピック」という分類名は如何にもウィキペディア都合で作られた分類名という感じがし、百科事典的にも不自然だと思います。関川に対する関川 (新潟県)のように、「平等な曖昧さ回避だった場合に選択されるであろう分野名」についても許容するようにした方が、百科事典的にも自然だと思いますし、代表的なトピックが変更になったときのメンテナンスも楽だと思います。--新幹線会話2018年9月27日 (木) 08:37 (UTC)[返信]

あと、ナビゲーションテンプレートの中でこのようなリンク修正を行った場合、例えば関川の記事において関川 (代表的なトピック)が自己リンクとみなされず太字で表示されず、ナビゲーション性が低下していまうという問題があるようです。こちらについてはテンプレート内に条件文を設定することで対処しました。--新幹線会話2018年9月27日 (木) 08:56 (UTC)[返信]

  • コメント 《括弧内を「代表的なトピック」に限定する理由は何かありますでしょうか》については無駄な議論を省くという程度の理由しかありません。しかしながら、そのメリットは大きいと判断しております。リンクのメンテナンスを行おうと考えているときに余計な議論が発生すると実施しようと考えたときに実施できなくなってしまいますし、議論の結果がでたときにやる気がなくなっているというおそれもあります。《結果的にお墨付きを与えるような恰好になるおそれがあります》については杞憂であると判断します。そもそもそのような状況になっていること自体が「お墨付きを与えている」ようなものです。《如何にもウィキペディア都合で作られた分類名という感じがし、百科事典的にも不自然》については「曖昧さ回避」も同様なので気にならなくなるとは考えています。
    とはいえ、《「平等な曖昧さ回避だった場合に選択されるであろう分野名」についても許容する》については一考の余地はありますね。『リンクのメンテナンスを行おうと考えているときに余計な議論が発生すると実施しようと考えたときに実施できなくなってしまいますし、議論の結果がでたときにやる気がなくなっているというおそれもあります』を回避した上でそのような文字列を許容するにはどのようなルールにすればよさそうでしょうか?--iwaim会話2018年9月27日 (木) 13:18 (UTC)[返信]
  • コメント 節立てされているのでこちらへ書きます。異議というか他の案をもう少し模索したほうがいいような気もします。ふと思ったのですが、現状でも別意ですが行われている状態を使った方法でもいいんじゃないだろうかと。単純にリダイレクトを一つかませるという話です。「アインシュタイン」という語句に関して、アルベルト・アインシュタイン(この記事を「項目名 (分野)」として考えてください)、アインシュタインアルベルト・アインシュタインへのリダイレクト)アインシュタイン (曖昧さ回避)というリンク状態があります。この関係は「平等な曖昧さ回避」&リダイレクトにて問題を回避しているのかもしれません。これを「カルメン」に置き換えるとカルメン (小説)?、カルメンカルメン (曖昧さ回避)となります。つまり、「カルメン」はフリー状態にしておき、リダイレクトとなります。ある分野の記事が高い著名性を持つのであれば、そちらへのリダイレクト。そうでなければ曖昧さ回避ページへのリダイレクトとなります。そうすることで言われているメンテナンスでの問題を解決できないでしょうか?これだと、「項目名 (代表的なトピック)」を作成することはありません。これはリダイレクト先として代表的なトピックに設定することにおいて意味合いは『リダイレクト「項目名 (代表的なトピック)」』と似ていますが、それを問題とされた場合は曖昧さ回避ページへリダイレクトし直せばいい状態となるでしょう。ただし、代表へのアクセスが多い場合、リダイレクト経由の負担はあるのかもしれません。この辺りに問題を感じての別案なのかな、、、。確かにカルメン・カレー問題は解決するべきと感じますが、解決の本質はメンテナンス軽減ですから、なるべくシンプルな方が継続して受け入れられるのではないかと感じます。まぁ別案がシンプルと主張する訳ではない……どちらにしてもメンテナンスを想定していない人から見えれば、シンプルではないのですから。そうはいってもメンテナンスの効率性は後回しにすると結構重要な問題に成長しますから……改善は必要ですね。--toto-tarou会話2018年10月5日 (金) 15:14 (UTC)[返信]

青リンク1本ルール[編集]

Aimaiページが効果的に案内ページとして機能するため、各項目ごとに青リンクは誘導先1つに限定しよう、という考えがあります。

日本語版でも導入した方がいいと思いますがいかがでしょうか。--Kiyoweap会話2019年4月21日 (日) 00:33 (UTC)[返信]

  • (賛成)いいんじゃないでしょうか。案内先が明確になって良いスタイルだと思います。曖昧さ回避ページの「ウィキペディア内部の記述箇所への案内」という職分を超えて、曖昧さ回避ワードに関連する何かをむやみやたらに書き加えるような編集に対しても抑制が効くんじゃないでしょうか。そのような記述には適当な案内先がない(=リンクができない)ので。--Yapparina会話2019年8月7日 (水) 13:46 (UTC)[返信]
歌手のリンクとアルバムのリンクの両方が必要ですし、何かの主題歌で有れば、そちらのリンクも必要です。
歌手リンクのみだと、歌手のページからアルバムや関連作のリンクを探さなければいけません。
アルバムリンクのみだと、歌手のページに直接いけません。また、アルバムが未立項の場合も問題です。
このように、一本化には大きな悪影響があるのです。(英語版の状況は英語が分からないので何とも言えませんが、そもそも日本語版と英語版では大きく異なります)--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月8日 (木) 06:10 (UTC)[返信]
「歌手のページに直接いけない」ことは問題ですかね? ヒマワリ (曖昧さ回避)に訪れた人はあくまで「ヒマワリ/ひまわり」という文字列から検索してきたのであり、その歌手が誰だとか、主題歌が何だとかは二次的な情報でしょう。歌手のページを探しにこのページに来たわけではないのですから。「○○の楽曲」などと歌手だけ書いてある項目などは最悪で、未作成だろうと他セクションのように『誘導先 - 説明』という形式にして現時点で曲自体の記事がないことを示すべきです(人物ページのいくつかはそちら側でも言及がありませんし)。1リンク化については他の論点もあるので現時点で意見を保留していますが、少なくともこの議論でヒマワリ (曖昧さ回避)#音楽のような適当とは言えない例を引き合いに出すべきでないです。--ButuCC+Mtp 2019年8月11日 (日) 08:28 (UTC)[返信]
  • コメント 『「○○の楽曲」などと歌手だけ書いてある項目などは最悪』については、最悪とまでは言いませんが問題なのは確かです。収録されているシングル名、アルバム名などの情報が無いのは、明らかに情報が不足していると言えます。
ですが僕が示したかったのは、あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』、アルバム『In the prime』に収録。』下成佐登子の楽曲。『小公女セーラ』のエンディングテーマ曲。』と言った項目です。これらのリンクはどれも必要なものです。そして、一本化すべきだとお考えの方々は、どれに一本化すべきだとお考えなのでしょうか?
そもそも、二次的な情報のリンクが必要ないというのは、全ての内部リンクを否定する発言だと思うのですが。駅の曖昧さ回避から直接、路線のページに飛んだり。上記2曲のように、シングルとアルバムのページへと、本人記事を経由せずに飛んだり、主題歌等に使われた作品のページに飛んだり。そういうのは、大きな利便性となりますし、それを潰すのは改悪でしかないと思います。
もちろん、過度なリンクも有るかも知れません。ですがそれは、一本化とは別の話です。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月12日 (月) 13:33 (UTC)[返信]
あみんの楽曲の例でしたらそのシングルに収録された「ひまわり」一曲が同名のタイトルを求めてヒマワリ (曖昧さ回避)に辿り着いた人が求めていたものですから、一本化を想定するならひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。などとするでしょう。リンクが多い場合の欠点は「シングルとアルバムのページへと、本人記事を経由せずに飛んだり」というコメントに現れていますね。曲名の「ヒマワリ」目的で曖昧さ回避ページに来たのだから誘導すべきはひまわり/待つわ'07なのに、歌手記事に先に行ってしまっている。これは今の書き方に問題があるかもしれないし、主たる対象以外の二次情報へ利用者が「目移り」した結果、「ヒマワリ」以外のページへ行ってしまったのかもしれない。水先案内としてはこれは問題で、Yapparinaさんが『「ウィキペディア内部の記述箇所への案内」という職分』と仰ったように、少なくとも一本化について肯定的な人はその曖昧さ回避ページでの水先案内としての面で邪魔にならないかを考えているわけです。ですので「全ての内部リンクを否定する」などという極論にはなりませんし、そもそも一般記事での内部リンクの仕方とは別物と捉えているわけですから、その点を力説されても相手も承知でしょう。もちろん、一般記事においては「あみん」も「In the prime」も必要なリンクです。
私が保留しているのは水先案内機能を求めるうえで必ずしも一律一リンクにする必要はない(少なくともやる前に現時点での状況を精査した方が良い)と考えているからですが、かといって曖昧さ回避ページに一般記事と同レベルの内部リンクを施す必要はあるとも思っておらず、お好みでタピオカをおかけくださいさんが例示する楽曲パターンはまだ1リンク化もあり得るケースと考えます。曖昧さ回避ページは詳細が書かれた各一般記事へ誘導するのが使命であり、その場で主題の二次的ページに読者を進路変更させるのは賛否が分かれるところでしょう(これがリンクの要る/要らないの焦点であり、水掛け論になるのでこれまでもはっきり決められなかったのだと思いますが)。--ButuCC+Mtp 2019年8月12日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
返信 @お好みでタピオカをおかけください:さん "一本化すべきだとお考えの方々は、どれに一本化すべきだとお考えなのでしょうか?"ですが、これはArtist / Single / Albumどのページにも詳述らしいものがないから判断に窮す、ということをおっしゃっているのですよね?ならば、<どれでもよい>、のですが、ふつうに考えれば<Single>に青リンク張るのが理に適うでしょうという点でuser:ButuCCさんが回答したと同じになります。
その歌がSingle のみでなく Album にも所収されているという情報が必要不可欠と思うならば、そう思う人が Single (ひまわり/待つわ'07)のページに行ってそのことを加筆すればよいのです。DAB のほうにやたらと青リンクを増やすのではなく。--Kiyoweap会話2019年10月3日 (木) 20:35 (UTC)[返信]
  • なるほど、文章に関しては、確かにその方が良さそうです。カタカナや漢字でない事を示せますし。ですが、やはり利便性を考えると、歌手名のリンクや関連作名のリンクも必要だと考えます。あみんの例で言うと、『「あみん」の「ひまわり」が収録されたアルバムは何だったっけ?』という検索者の事を考慮出来ていません。つまり、ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。というのが、最善かと思いました。
また、小公女セーラの例のような場合、『歌手名』『使用作品名』の二つが必要かと思います。もちろん、収録シングル・アルバムが分かればそれも。こちらに関しては、どちらを残すべきだとお考えでしょうか? これに関しては、フレンズよりFRIENDS - 米倉千尋の1999年の楽曲。シングル「WILL」収録。テレビアニメ『仙界伝 封神演義』エンディング主題歌。という例を見つけたので、どれを、どういう形で残して一本化すると良いと思われるのか、お聞かせいただけると嬉しいです。
『無用なリンクを省く』のと『一本化を原則とする』のには大きな違いがある訳で。まずは一本化派といいますか、その層が考える基準を理解しようとしてのコメントです。個人的には、『検索者が進路変更する自由』が有って良いと思うのですが。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月12日 (月) 15:59 (UTC)[返信]
1リンク化の場合何を残すべきかは明白です。「適切な記事名が同じになってしまうとき」(WP:D)に作られるのが曖昧さ回避なのですから、その同じ名称へのリンクだけです。歌手名も使用作品名も「ひまわり」ではないので、1リンク化する場合はどちらも違います。小公女セーラの場合は楽曲単体記事が存在しないので、小公女セーラ#主題歌などへのパイプリンクとするかでしょう。ただ、歌手記事は言うまでも無く作品記事でも解説と言うほどの文章量が無いので、この手のリンクは読者をガッカリさせるだけかもしれません。『現時点で小公女セーラの「ひまわり」という曲についての詳説がWikipediaにはない』と潔く赤リンクにするというのも一つの考え方です。なお、曖昧さ回避は「適切な記事名が同じになってしまうとき」に設けられるものですので、単独記事として初めから見込めない(≒赤リンクを置くのさえ不適切な)場合は除去されるべきです。フレンズ#楽曲の何曲かはWikipedia:曖昧さ回避#直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないに抵触しているような気がしますね…。このように楽曲の事例は書き方や掲載基準の面で微妙な事例が多くあるので、やはりこの議論で典型例として挙げるには向かないと思います。
『検索者が進路変更する自由』というのは見方を変えれば『誘導の失敗』と見ることができます。「A (A)」「A (B)」という誘導先が存在する「A」という曖昧さ回避ページの存在意義は異なる同名記事への誘導です。読者が「A」で検索してきた以上、まず「A」と付く記事に誘導できなければ話になりません。誘導先の記事で関連するB、Cといったトピックに興味関心を持ち更にそちらを参照するのは自由ですが、「A」で検索したのにAも見ずにBやCに行ってしまうのは案内機能としては失敗です。少なくとも曖昧さ回避ページにおいてBやCへのリンクを「無用」と考える人はリンクをそう見ています。--ButuCC+Mtp 2019年8月13日 (火) 08:27 (UTC)[返信]
  • とりあえず、FRIENDS - 米倉千尋の1999年の楽曲。シングル「WILL」収録。テレビアニメ『仙界伝 封神演義』エンディング主題歌。をあなたならどう一本化されるのか、例示して戴けませんか。例示には向かないという考え方のようですが、生憎、僕はWikipediaに詳しい訳ではないため、現時点では『駅と路線の例』『楽曲の例』位しか言えません。また、掲載基準云々や、特筆性云々は、今回は関係のない別案件です。
『誘導の失敗』というのは、『辿りつきたい目的地に辿りつけない』事を言うのです。洋食屋の場所を人に尋ねて向かう途中、目に入った和食店にその人が入ったとしても構わない訳です。『洋食屋と勘違いして和食店に入った』なら確かに失敗ですが、楽曲のページと、歌手のページと、関連作品のページを、混同する人がいるとは思えません。『最初は洋食屋を目指したからと、必ず洋食屋に入る義務はない』『やっぱり和食店に入りたいと思ったのに、洋食屋に入ってからでないと、和食店に入れない状況こそ失敗』だと考えますが、いかがでしょうか。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月13日 (火) 09:46 (UTC)[返信]
FRIENDSはWikipedia:曖昧さ回避#直接的な商品名などの名前になっていないものを載せないに反するから除去すべきと書いたのですが…。リンク一本化以前の問題で、関係ない別問題を含有するような例は向かないと申しているのです。別案件と認識しているなら例示に使わないでください。「ひまわり/待つわ'07」のように適切な場合は「FRIENDS」に当たる箇所に誘導先にページが存在しますので、これまで回答した楽曲と同じパターンになるだけです。WILLのFRIENDSが単独記事になるような対象と仮定するならひまわりと同じ書き方で対処できます。
誘導問題について『見方を変えれば』と前置きしましたが、お好みでタピオカをおかけくださいさんはそれができていないようです。貴方の視点(リンクは要る論)に置き換えれば『やっぱり和食店に入りたい』という話になるのは頷けます。これは曖昧さ回避ページを一般記事と同等に考えているゆえの発想です。曖昧さ回避ページがそういう物であるならリンクの除去はただの分断にしか見えないでしょう。でも、それを曖昧さ回避ページでやるのは間違いだ、というのがリンクを厳選する側の指摘です。WP:DABDICにある「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的」というのは曖昧さ回避ページに詳しい解説を書くなと言う話ですが、この「判別」させるべき誘導先への案内が曖昧さ回避の存在意義であり、『やっぱり別項目に飛びたい』という余地を持たせるのは曖昧さ回避の領分を超えています。何度も言うようにこの問題の対処法として原則一リンク化が必ずしも適切とは言いませんが、曖昧さ回避ページを一般記事同然の内部リンクとすることはWikipedia:曖昧さ回避の目的を覆すものですから、賛成できません。この程度問題がリンク乱造の話であり、(お好みでタピオカをおかけくださいさんは別と考えているようですが)それに対する対処法として極限のものが「一リンク化」なのでしょう。個人的には下記Yukida-Rさんの説明がリンク制限、曖昧さ回避ページの役割、読者の案内の仕方の考え方としてとても分かりやすいと思いましたので、“1本化派”の意図を掴むための参考にしてください。--ButuCC+Mtp 2019年8月13日 (火) 11:39 (UTC)[返信]
────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデント戻しFRIENDSについて多少の誤解があるようですが、僕の言い回しに語弊が有っただけの可能性が高い上に話がそれるので流します。FRIENDSの曲の例などの意見は分かりましたし。
「一般記事と同等に考えている」という指摘ですが、僕もそこまでは思っていません。一般記事で有れば、「○○県○○郡○○町」といった場合、「○○県」「○○郡」「○○町」の三つにリンクが有るべきですが、曖昧さ回避の場合は最後の「○○町」だけで十分だと思います。ただ、前二つを除去すべきとまでは思わない(自分で除去しようとまでは思わないだけで、誰かが県や郡のリンクを解除しても、反応しません。この例で言えば、ですが)ので、そこは触っていませんが。そういったところから考えると、「曖昧さ回避を、通常のリダイレクトと、通常記事の、中間的な扱いだと捉えている」のかも知れません。「リダイレクトは原則として表示されないが、曖昧さ回避は表示されるので、そこが決定的に異なる」という認識は有ります。
「誘導先以外のリンクは最低限とするべき」だとは思っているのですが。ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。の例を考えると、やはり「1リンクのみ」という案には賛成できません。「1リンクで済むものは1リンクで済ませる」(むやみに曖昧さ回避を作らないように、むやみに複数リンクにせず、本当に必要な時のみ複数リンクにする)というのが、一番近い僕の考え方だと思います。……スミマセン、これ以上上手く言葉をまとめられませんでした。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月14日 (水) 04:26 (UTC)[返信]
程度の差(どちら寄りか)こそあれ、中間的な扱いというのには同意します。私も1リンク化は極論になり得ると思っています。今回の例示では一律に『(リンク先) - (説明)』という形式にする場合に絞って議論しましたが、曖昧さ回避ページの実態としてはWP:Dの解説に登場するバスケットルーズベルト(例示に使われているのにWP:DABDICに反しているような気がしないでもない)のように多様な形態がありますので、現状把握を行わないと極論を採用するのは難しいでしょう。--ButuCC+Mtp 2019年8月14日 (水) 09:51 (UTC)[返信]
  • コメント ButuCCさんのサジェスチョンどおり、ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』およびアルバム『In the prime』に収録。で十分です。
他のリンクもつけなければならないというのは、タピオカさんが、ただそう云い張っておられるだけで、必要不可欠などではありません。
逆にWP:DABDIC"曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的ですから"を鑑みれば、どの青リンクが多数あればどこに誘導されるか惑うので、なるべく1本に絞るべきだというのは自明の理です。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 18:43 (UTC)[返信]
  • 反対 日本語版の場合、主題と解説の間に「-」が付くことが慣例?(スタイルマニュアルがあるのでしょうか)になっており、明確に区切られてます。en:WP:MOSDABの例のように、主題と解説が同一文章で書かれているわけではないため、主題以外の青リンクを主題と間違えることは低いでしょう。また、何かをむやみやたらに書き加え(更に青リンク塗れにする)のは別の問題だと思います。--たびびと551会話2019年8月7日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
  • 反対 - 日本語版においては慣例的に「-」や「→」などを使うことで誘導先を区切るようになっていること、駅の曖昧さ回避ページであれば直接路線を調べたい場合を考慮すると当該ルール導入による利点以上に弊害が目立つことから。無意味なリンク乱造は問題だが、それは別の問題と考える。--Senatsuki会話2019年8月11日 (日) 13:30 (UTC)[返信]
  • コメント もし「青リンク1本ルール」を導入するなら7万以上のページに影響が及びます。このケースでBotは使えなそうなので、手作業で膨大な数のページを確認・修正することになるでしょう。私は現状の曖昧さ回避の形式でそれほど問題を感じていません。(問題がないと思うのはあくまで私個人の感じ方ではありますが)問題がないのにそこまでの労力を費やす必要があるのかは疑問です。機能性を向上するという考え方は理解できますし、その考え方自体にはある程度賛成できますが、「英語版との違い」を提案者様が考慮しているのかがわかりませんし、そもそも提案者様の考えがあまり見えて来ていません。なぜ日本語版でも導入したほうがよいのかや、現状についてどのような考察を行っているのかなど、提案者様の問題意識をもう少し具体的に示していただいたほうがよいかと思います。--610CH-405会話2019年8月12日 (月) 18:36 (UTC)[返信]
  • 賛成 英語版文書をそのまま持ち込めるのかはわかりませんが、考え方としては賛成です。曖昧さ回避ページの本来の役割は、分岐先の記事にすみやかに読者を誘導することで、その際、余計なリンクはないほうがユーザビリティが高いと考えます(端的に言って曖昧さ回避ページ○○を開いた時点では読者はまだ求める情報に辿り着いておらず、「検索中途」の状態です。その時点で求めている情報は分岐先の○○のどれかであって、関連する記事ではないはずです)。また曖昧さ回避ページでなされるような短い解説は、ほぼ確実に分岐先の記事の導入部に含まれますし、当然そこからはリンクされます。読者の導線の想定として、曖昧さ回避○○→本来求めていた○○→関連する記事という流れは自然なものと思います。
    「-」などで区切るスタイルを使えば明瞭で問題ない、というご意見がありますが、「-」左側にくる文言と分岐先記事が一致しない場合にはうまく機能しません。上に出ているヒマワリ (曖昧さ回避)#交通機関・車両の一番上のコミュニティバスのような例が該当します。--Yukida-R会話2019年8月13日 (火) 07:24 (UTC)[返信]
  • 反対 本話題のきっかけとなった記事「河原町駅」の差分(PC版モバイル版)をご覧ください。編集者のKoneさんは、この中でも記事のない河原町駅 (静岡県)だけは静岡鉄道駿遠線へのリンクを削除しませんでした。もし河原町駅 (静岡県)の記事が作られれば速やかに静岡鉄道駿遠線へのリンクを削除すべきでしょうか?私はそうは思いません。「1項目にリンクは1つのみ」というような制限は、読者の混乱回避のメリットよりも関連記事へのアクセスを阻害するデメリットが大きいと考えます。従いまして、直接の誘導先記事以外への内部リンクを追加するのは全く問題ないと考えます。--茶でもすするか会話2019年8月13日 (火) 08:44 (UTC)[返信]
  • この規則の目的は、誘導先の項目へのリンクを明確化することにあると思います。リンクを一つにするのではなく、誘導先へのリンクを示す記号を制定して、先頭に付与するのはどうでしょうか。
    * ひまわり - 京都府与謝郡与謝野町が運行している与謝野町コミュニティバスの愛称。
    --Yhiroyuki会話2019年8月14日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
  • 記号(画像アイコン含む)を使ってリンクを示すことには賛成できません。PCでは当該リンクにマウスカーソルを合わせれば遷移先ページ名が表示されますが、マウスカーソルのないモバイル端末では実際にタップするまで遷移先が分からないという問題があります。青リンク1本ルールの導入の有無にかかわらず、曖昧さ回避ページにおいてリンク先はどこに遷移するのかページ名が明示されているべきであり、パイプ付きリンクリダイレクトの使用は不適切であると考えます。--茶でもすするか会話2019年8月14日 (水) 05:11 (UTC)[返信]
  • 今回提案されたアイコンはともかくとして、誘導先に当たるリンクに「リダイレクト」「パイプリンク」を用いることの是非については現時点のWP:Dには何も説明がありません(曖昧さ回避ページのリンクについてに関してのみ、WP:HOWTODABにパイプリンクに関する言及があります)。現状の曖昧さ回避ページの運用において、その点は徹底されていないと思いますので、必要なら別途提案なりして解説に追加した方が良いかもしれません。--ButuCC+Mtp 2019年8月14日 (水) 09:51 (UTC)[返信]
  • この提案は「この説明が示すページへのリンク」という機能を持ったボタンを追加するという、UIの改善提案です。今あるページ名表示やそのリンクをなくすというものではありません。あと、記号はただの例です。統一されていればなんでもいいんです。曖昧回避以外にも「Wikipedia:秀逸ピックアップ/貴族 (中国)」のように、どのリンクが目的のページにたどりつくかが分かりにくいものがあります。 --Yhiroyuki会話2019年8月14日 (水) 10:23 (UTC)[返信]
  • 反対 - 当該項目の他に、当該項目の説明に必要な関連項目へのリンクがあることのデメリットがこれまでの説明でも理解できません。要は求める情報にたどり着くための誘導にあたってリンク先の選別がちゃんと行われていればいいという話かと思います。曖昧さ回避に限らず、記事のある単語へのリンクを(当該項目と直接関係ない単語でも)やたらと貼ろうとする方もしばしば現れますので、そうした行動への抑止力にはなるかもしれませんが、別問題でしょう。アイコン、リダイレクト、パイプリンクが不適切という意見には賛同します。 --Takisaw会話2019年8月14日 (水) 06:04 (UTC)[返信]
  • 反対 他の方がおっしゃるように、一本化することによるデメリットの方が遥かに大きい。現状、○○ - △△における××。というように一目で誘導先が判別できる書式で統一されているので迷う心配もありません。--切干大根会話2019年8月15日 (木) 05:17 (UTC)[返信]
  • 反対 既に何度かコメントさせていただきましたが、改めて私の立場を明確にしておきます。
曖昧さ回避項目の第一義は最善のリンク先を明確に示し、閲覧者をそこへ正確に誘導することである、それは私のみならず誰もが認めていることでしょう。従って、この議論で争点となっている説明文部分に設ける内部リンクについても必要最低限に留めるべきであろうと私自身は考えています。しかし、たとえば現状の大阪梅田駅河原町駅のスタイルが曖昧さ回避項目としての第一義を損ねる、すなわち閲覧者の利便性に支障が生じるような状態であるのか、日本語版においてルールを新たに明文化し強制的にスタイルを改めないとならない状況なのか。先に述べたとおり、私は全くそうは思いません。
ButuCCさんご提示のen:WP:MOSDABにおける「曖昧さ回避項目は記事ではなく検索補助目的の項目である」は、曖昧さ回避項目の第一義のみを切り出した場合その通りですが、一方で曖昧さ回避項目は記事ではない、というのはあくまでも内部ルールによる考え方に過ぎず、閲覧者にとっては一般項目であろうと曖昧さ回避項目であろうと等しく「記事」であろうという観点が完全に欠落してはいないでしょうか。「大阪梅田駅という記事ではないページに辿り着いたら、まず大阪梅田駅 (阪急)という百科事典としての記事へ行き、そこで『大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン』を知るのに最善となるリンクを探す、というのが曖昧さ回避ページの誘導特化の考え方」が原理原則に適ったものであったとしても、閲覧者のニーズによっては余計なページ遷移を強いることになるそのルール運用は果たして閲覧者の利便性に資すものといえるのでしょうか。
諸々を踏まえ、曖昧さ回避項目の取り扱いについては私個人としては現状維持がベターであると考えていますが、必要であればその「現状」を明文化して無差別な内部リンク除去あるいは野放図な内部リンク追加を抑止し今回のようなトラブルを回避した方がよいようにも思います。--MaximusM4会話2019年9月2日 (月) 04:04 (UTC)[返信]

区切り1[編集]

  • 賛成 原則として1項目には青リンク一つで十分です。曖昧さ回避のためのページが何のために存在するのかを考えれば、自明だと思うのですが。ButuCCさんがおっしゃるように、最善のリンク先以外のリンクを置くことは、曖昧さ回避のためのページの存在意義から逸脱していると考えます。洋食屋へ行くつもりが気が変わって和食屋に行きたい方がいるかもしれないとの指摘については、そのような目移りをさせる時点で曖昧さ回避のためのページの目的を十分に果たせていないことになります。そのような(余計な)配慮は、正しく最善なリンク先に到達したい方には、大きなお世話と言っていいでしょう。最善のリンク先へのリンクが関連項目へのリンクに埋もれてしまっては本末転倒です(こういうのを「カオス化」という)。関連項目のページへは、リンク先のページから飛べばいいんです。また、項目へのリンクが明確に指示されているのは、英語版でも同じです。日本語版では「-」で接続されているのが、英語版では「,」で接続されているだけの違いで、本質的には全く変わりがないといっていいでしょう。最適リンクへのアイコンの設置についても、曖昧さ回避のためのページの存在意義を軽視した本末転倒な提案と思います。そんなことをするのなら、最初から最適なリンクのみ置いておけば十分です。「河原町駅 (静岡県)」の件については、最善のリンク先となるべき記事が存在しないため、便宜的に次善のリンク先を示しただけで、最善のリンク先となるべき記事が立項されれは、当然次善のリンクは削除されるべきと考えます。そうは思わない理由とはいかなるものでしょうか。関連項目(次善、三善)へのリンクは、検索者を徒に迷わせるでけであって、もとより最善のリンクだけ示してあれば、誘導を誤る可能性は限りなくゼロに近づけることができます。それは、曖昧さ回避のためのページの存在意義に最も適った考え方だと思いますが、いかがでしょうか。--Kone会話2019年8月23日 (金) 09:50 (UTC)[返信]
  • いや、ひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバス。としたところで、『与謝野町って、どんな町?』『コミュニティバスって、どんなバス?』と思う事はある、という話ですよ。リンクを無くしても、その単語がある以上、先にその単語を調べたくなる事も有ると言っているんです。まぁこの例の場合、貴方はひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。または与謝野町コミュニティバス - 愛称が「ひまわり」。とすべきだと言われるのかも知れませんが。曲名 - テレビアニメ『○○』の主題歌。アルバム『××』に収録。というような場合はどうします? アニメの主題歌である事は、十分特筆性のある事だと思います。テレビアニメのタイトルを削れない以上、『主題歌→アニメ』と行けないのはデメリットが大きすぎます。ひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバスひまわり - 与謝野町コミュニティバスの愛称。京都府与謝郡与謝野町が運行しているコミュニティバスと過剰なリンクを減らして三つだけにする、というので有れば別ですが、一本化には賛同できる理由が有りません。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月23日 (金) 11:57 (UTC)[返信]
    • コメント(お好みでタピオカをおかけくださいさん宛) - 中立であるにもかかわらず先のコメントで徹底議論したのは「同じ話を一リンク派の人に同じように吹っ掛けないようにするため」でもありました。「誘導先以外のリンクに飛びたくなる衝動」という観点の話はもう私とあなたとでの対話で要点は語りつくされています。厳格に一リンクとしないまでも曖昧さ回避という一般記事と流儀が異なるページの役割について誘導に重きを置いている人からすれば、誘導先以外への途中下車は役割に外れているという考えが根底にありますので、貴方の寄り道論とは水と油でしょう。少なくとも、Koneさんへのコメントを見る限り「“1本化派”の意図を掴む」ことはまだ出来ていないようです。--ButuCC+Mtp 2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)[返信]
  • コメント 誘導先以外のリンクがあっても検索者が誘導を誤る可能性は限りなくゼロであると井戸端で再三に渡って説明したはずです。「あまりに瑣末で馬鹿馬鹿しいのでやめておきます」とも仰っていましたね。--切干大根会話2019年8月23日 (金) 12:33 (UTC)[返信]
  • コメント いやいや、あなた方が仰る特筆性なんてものは、曖昧さ回避のためのページではすべて最善のリンク先に割り振られるべきものです。その他の有象無象のリンクなんぞ、最善のリンク先の前ではカスみたいなものです。気変わりした、あるかどうかもわからない検索者の利便を図るためなどという、存在意義を逸脱した目的のためにその特筆性を割り振る余地はありません。そういう場合は、検索者が検索しなおせばいい話です。曖昧さ回避のためのページを訪れる者のほとんど全ては、同名の記事の選択(検索)が目的であることを忘れていませんか?関連項目へのリンクなんぞ、本来目的の検索者にとっては、邪魔なだけです。お好みでタピオカをおかけくださいさんが反論として挙げられているアニメ主題歌の例については、最善のリンク先となるべき項目がない場合に、次善・三善のリンク先を示す場合のことでしょう。最善のリンク先が示せれば他のリンクは価値を失います。それをデメリットと仰いますが、曖昧さ回避のためのページとは、そもそもそういうものです。また、切干大根さんは、「誘導先以外のリンクがあっても検索者が誘導を誤る可能性は限りなくゼロである」と仰いますが、最善のリンク先だけ示してある場合は、検索者が説明を読み間違わない、もしくはクリックし損なわない(それは、検索者の過失であって、曖昧さ回避のためのページの責任ではない)限り、誘導先への案内を誤る可能性はゼロです。「限りなくゼロに近い」のではなく「ゼロ」なんです。--Kone会話2019年8月24日 (土) 12:54 (UTC)[返信]
  • 反対 メリットよりデメリットの方が大きいため。英語版では字が小さくアルファベットのみなので視認性の問題はあると思いますが、日本語版は字が大きく漢字かな混じりのため視認性が高いので、複数のリンクがあっても視認性を損なうことはないでしょう。むしろ関連するリンクが近くにあることによるメリットの方が大きいと思います。--新幹線会話2019年8月24日 (土) 13:05 (UTC)[返信]
    • コメント 表示される字面の視認性(文字の大きさや漢字かな交じり表記)ついては、この論の本質から大きく逸脱していると考えます。視認性は全く問題ではなく、曖昧さ回避のためのページの存在意義に照らして、どの程度最善のリンク以外の項目へのリンクが許容されるべきかが、この論の本質です。--Kone会話2019年8月24日 (土) 13:58 (UTC)[返信]
      • 何も曖昧さ回避ページは最善のリンクへの誘導のためだけにあるわけではないでしょう。--新幹線会話2019年8月24日 (土) 23:25 (UTC)[返信]
        • いいえ、そのためにあります。少なくとも、第一義はそれです。なにしろ「曖昧さ回避のためのページ」ですから。--Kone会話2019年8月25日 (日) 03:44 (UTC)[返信]
          • コメント 曖昧さ回避ページの第一義は「曖昧さ回避」であることには同意しますが、第二義としてその周辺知識も得られるというのも大きいと考えています。百科事典は知識の幅を広げるものですから、むしろ、誘導先以外のリンクは必要なものであると考えます。「誘導先以外のリンクは害悪であるから一切合切禁止」という意見の方が私は百科事典として不適切な考え方だと思います。--切干大根会話2019年8月25日 (日) 09:21 (UTC)[返信]
            • 曖昧さ回避のためのページは通常のページと異なり、読者の知識を広げる目的はありません(まあ、その語の別の用法を学べるという知識拡大はありますが)。その目的は通常の記事ページが担えば十分であって、曖昧さ回避のためのページはそれ自身の目的(曖昧さ回避)に特化すればよいのです。曖昧さ回避のためのページに最善のリンク先は絶対に必要なものですが、それ以外のリンクはないからと言って困るものではありません。なくても困らないものです。検索の途中で気が変わった方への配慮を第一のメリットとして口にされますが、それはリンク先の通常の記事ページの役割であり、曖昧さ回避のためのページにとっては目的外の要求というものです。何度も言いますが、最善のリンク先以外のリンクは、曖昧さ回避のためのページの第一義を阻害します(誤誘導の可能性を、ゼロに限りなく近くはできてもゼロにはできません。最善のリンク先のみであれば、必ず最善のリンク先のどこかには到達できます)。--Kone会話2019年8月25日 (日) 10:26 (UTC)[返信]
              • コメント 殊更に曖昧さ回避ページの役割と通常記事の役割を区分けしようとなさっていますが、そんな風に明確に線引きする必要があるのでしょうか。別に曖昧さ回避ページが他の役割を一部兼ねたっていいのではないでしょうか。--新幹線会話2019年8月25日 (日) 11:11 (UTC)[返信]
              • コメント 曖昧さ回避ページであろうと百科事典の1ページなので「読者の知識を広げる目的」はつけるべきでしょう。私の場合は、誘導先の記事とそれによく関係する記事を1度に調べたいときに重宝しており、無いととても困ります。逆に、誘導先以外のリンクがあったせいで検索者が迷ったなどという苦情は聞いたことがありません。そいった苦情を承ったことがあると仰るのであれば教えてください。--切干大根会話2019年8月25日 (日) 12:01 (UTC)[返信]

コメント - WP:D自体はハウツーのようになっていて「曖昧さ回避ページ」の立ち位置について多く語りませんが、「曖昧さ回避は、読者が調べたいものを探す案内板のようなもの」「曖昧さ回避は、あくまでも異なる内容のページを判別するためのもの」「曖昧さ回避のページは読者に調べたい項目を選択させるもの」「曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的」と随所に一般記事とは役目が異なるものであるという示唆があります。また、「曖昧さ回避ページであることを読者に知らせる」ために{{Aimai}}タグを貼るよう指示しているように、「曖昧さ回避ページ」というのが独特の空間であることを示すことには意味があるようです。Category:曖昧さ回避も「通常の記事とは形式の異なるページ(附録)」とするCategory:附録にカテゴライズされています。これらのことから、「曖昧さ回避ページ」を「一般記事」と同等には扱えないという見方には説得力があります。実際、英語版のen:WP:MOSDABには「they are not articles. These pages are aids in searching for articles.」とあり、曖昧さ回避は記事ではなく検索補助のためにあると位置づけています。つまり「1リンク化=一般記事としては扱わない」という事になりますので、この提案自体が曖昧さ回避ページに百科事典的機能を持たせるべきか否かという議論でもありますね。

私自身は「かといって完全1リンクで支障が起きないか?」という懸念があるので当提案には反対よりの中立なんですが、だからと言って一般記事と同じような見方で枝リンクを増やすやり方が「曖昧さ回避ページ」の目的に沿っているとは思えません。そもそも曖昧さ回避ページは「曖昧さ回避のためのページは必要なときのみ作成してください。」とあるように、記事名の重複などの際に「仕方なく」作られるものです。曖昧さ回避ページ自体は一般記事同様の目的地とはなり得ません。速やかに目的地へ運ぶことにその存在意義があり、関連語句を含む『「仕方なく」作る元凶となったキーワード』以外の一般記事への無暗な誘導は曖昧さ回避ページの一般記事化に繋がるので役割論で言えば否定的です。--ButuCC+Mtp 2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)[返信]

コメント 説明文にリンクを付けるメリットとして、説明文中のキーワードが目に入りやすくなり、説明文を読み込まなくても閲覧者がより迅速に適切な誘導先を探せるというのもあります。小倉駅を読みましたが、説明文が全部黒文字で逆に読みにくく感じました。また、説明をリンク先に委ねることで説明文を簡略化できるメリットもあります。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 13:47 (UTC)[返信]

  • コメント それは、新幹線さん個人の所感ですよね。私はそうは思いません。むしろ、簡潔で目的のリンクを探しやすいと感じますし、曖昧さ回避のためのページの適切な姿と思います。これ以上余計なリンクが増えては、どのリンクを選ぶかの点で、問題が生じる(検索者に迷いが生じる)と思います。--Kone会話2019年8月27日 (火) 14:03 (UTC)[返信]
    • 個人の所感を一般化しているのはあなたも同じでは。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 14:06 (UTC)[返信]
    • また、私は以前にWP:UNDERLINKINGを根拠にリンクを付けることの正当性を述べており、個人の所感のみで物を言っているわけではありません。--新幹線会話2019年8月27日 (火) 14:12 (UTC)[返信]
      • WP:UNDERLINKINGには、「多すぎるリンクや意味のないリンクも読者の役に立ちにくいため、登場する単語に対して無差別にリンクするのではなく、その内容に関係のある項目や作成に値する項目にリンクします。」とあり、無差別にリンクを設けることまでは推奨していません。また、それは一般の記事ページに関するものであって、一般の記事ページではない曖昧さ回避のためのページにそのまま持ち込むのは、いかがなものかと思います。--Kone会話2019年8月27日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
        • 現在の河原町駅の内容を見て「無差別にリンク」と感じるのであれば一般の方と感性がかなり異なるのではと思います。確かに曖昧さ回避ページは一般の記事とは異なる部分もありますが、内容に関係するリンクまでも排除できるわけではないでしょう。--新幹線会話2019年8月28日 (水) 14:08 (UTC)[返信]
          • でも、やっぱり最善のリンク先外のリンクは、「あってもなくても」という位置づけなんですよね。先にも述べましたが、最善のリンクの前では路線名へのリンクも京都府などの地名へのリンクも等しくカスみたいなものなんです。英語版のガイドラインでは「Include exactly one navigable (blue) link to efficiently guide readers to the most relevant article for that use of the ambiguous term. Do not wikilink any other words in the line.(曖昧な用語の使用に最も関連する記事に読者を効率的に導くために、正確に1つのナビゲーション可能な(青)リンクを含めます。行内の他の単語をウィキリンクしないでください。)」と言っています。最善のリンク以外のリンクを容認してしまうと、検索者を「正確に」導くことができなくなります。ほとんどゼロはゼロではありません。また、最善のリンク先以外のリンクを許容する基準はどうされるおつもりでしょうか。これを許容すると、文字どおり「無差別」にリンクを張りたがる馬鹿者が現れます。そういう状況は、許容派の皆さんも許容できないのではないですか?--Kone会話2019年8月29日 (木) 11:47 (UTC)[返信]
            • ちょっと何を言ってるか分からないです。「カス」だとか「馬鹿者」だとか、おおよそ冷静な議論では使わないであろう暴言を平気で使っておられますが、それで他者の同意を求めるのは至難ですよ。MaximusM4さんの仰る通り、日本語版では誘導リンクと短い説明文との間が半角スペースとハイフンで明確に区切られているので、十分「正確に」導くことができています。これで迷う人というのは、相当に変わった感性の持ち主なんだろうなと思います。--切干大根会話2019年8月29日 (木) 13:42 (UTC)[返信]
              • 貴方も当方の意図を正確に汲み取る努力をしてください。別に許容派の方を「カス」とか「馬鹿者」とか言っているわけではないですよ。前後の脈絡を考慮せず、刺戟的な単語だけを切り取って過剰に反応し、冷静さを失っているのは貴方の方ではありませんか?それはともかく、最善のリンク以外の項目へのリンクを許容する基準については何か腹案をお持ちでしょうか。基準なしで関連項目へリンクを許容すると、文字どおり無差別にリンクを張りたがる馬鹿者が現れると思うのですが。それは、許容派の方も容認できることではないでしょう。こちらは質問を投げています。文意を正確にご理解の上、誠実な回答をお願いいたします。--Kone会話2019年8月30日 (金) 02:49 (UTC)[返信]
                • リンクの許容基準は既にWP:UNDERLINKINGがありますので問題ないでしょう。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 10:37 (UTC)[返信]
                  • (下記コメントと被るので簡単に)WP:UNDERLINKINGWP:BTW)は記事に対する基準ですので、まず曖昧さ回避ページが記事か否かという問題は避けられません。記事であるならそれが基準になるでしょうけど、Koneさん(というかこの案を推進する考え方の場合)は記事と捉えていないので、それは関係ないです。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 10:44 (UTC)[返信]
                    • Wikipedia:記事どうしをつなぐにおける「記事」とは、「記事名前空間にあるページ」のことを意味していると読むこともできます。例えばWikipedia:記事名の付け方は明らかにリダイレクトや曖昧さ回避ページも拘束するガイドラインとして運用されています。または、このガイドラインが作られたのはかなり前なので、単に「ページ」の意味で「記事」という言葉を使ってしまったのかもしれません(Wikipedia:ページの分割と統合は昔「Wikipedia:記事の分割と統合」という名前でしたが、当然のことながら記事に限定して運用する目的で作られた文書ではありませんでした)。そのため、曖昧さ回避ページを記事と見なさなくてもWikipedia:記事どうしをつなぐを適用する余地はあります。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 11:39 (UTC)[返信]
                      • その点も含めてWP:Dの立ち位置をはっきりさせるべきと思います。2019年8月25日 (日) 18:59 (UTC)のコメントで指摘したCategory:附録の「通常の記事とは形式の異なるページ(附録)」というのは名前空間の事を指しているわけではありません(索引がWikipedia名前空間ですが、一覧はほぼ記事名前空間)。英語版のnot articlesにしてもそうで、記事名前空間とは異なる名前空間を新設しようという話ではなく、同一の名前空間でも書式が異なる体裁をとるページ群があることを指しています。Wikipedia:記事名の付け方の適用も順序が逆で、そもそも一般記事側の事情で記事名の競合が起きる時に仕方なく作られるのが曖昧さ回避のページですので、WP:NCのルールに照らし合わせて記事側の事情として競合がおこらないなら「曖昧さ回避のページ」を作る意義がありません。WP:DがWP:NCに縛られているのではなく、WP:NCに縛られた同名の一般記事が存在するときにWP:Dのページが生成される場合があるという話です。あくまで一般記事ありきであり、WP:D単独でWP:NCが絡むわけではありません。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 12:02 (UTC)[返信]
                        • >そもそも一般記事側の事情で記事名の競合が起きる時に仕方なく作られるのが曖昧さ回避のページ
                          本当にそうでしょうか。その原則に倣うなら梅田駅 (大阪市高速電気軌道)梅田駅に改名されるはずですが、ノートの議論の中で梅田駅 (大阪市高速電気軌道) をそのままにして梅田駅を曖昧さ回避のためのページにする案も出ています。この件に限らず、記事名が競合しなくても閲覧者の利便性を考慮し任意に曖昧さ回避ページを作ることもあります。WP:NCの件ですが、順序がどうであれ、結果的にはWP:Dに基づき作られるページにもWP:NCが適用されていますよね。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 13:15 (UTC)[返信]
                          • ではWP:NOTDABをどう思われますか。記事名の競合が起きていないのに曖昧さ回避を行うのは現行方針に反しているので、改訂すべきではないでしょうか。もっとも梅田駅に関しては「現存駅優先条項」が絡む鉄道PJの放置案件ですので、本件にの例示に向いてないでしょう。過去の駅名(=リダイレクト)も含むなら競合していると言えますし。「曖昧さ回避ページ」として用意するからには何らかの曖昧さを回避するわけです。名前の競合が想定されないのに曖昧さ回避ページが用意されるというのもおかしな話で、そのような状態で放置されているなら解消すべきですね。
                          • WP:NCについては順序がどうでもいいならそれは適用とは言わないでしょう。大阪梅田駅ならWP:NCに基づく一般記事『大阪梅田駅』となる対象が2つあるから同名回避のためのWP:Dを用意する羽目になったのであって、WP:Dに基づき作られるページの背景には必ず「WP:NCに基づく一般記事」があるわけです。で、その一般記事の競合を回避するために造られるWP:Dは従属的なものであって、原因となった「競合する名称」と関係ない名前が使われるわけがないのです。「_(曖昧さ回避)」等の体裁もWP:NCではなくWP:D内での「作り方」として規定されているのであって、生成されるページ名の命名法はWP:D内で完結しています。競合する同名以外のページ名にするならそれはもう曖昧さ回避のために用意したものではなくなりますから。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 13:48 (UTC)[返信]
  • コメント 曖昧さ回避ページは記事なのかというのはさほど重要な問題ではないと思います。WP:BTWは、読者が記事に辿り着ける機会を増やすための方針であると理解しております。--切干大根会話2019年8月31日 (土) 05:32 (UTC)[返信]
    • いや、英語版での在り方を拠所とする本提案に関して、曖昧さ回避ページが「記事」か否かは連結した問題です。なぜなら英語版が紹介リンクを無用としているのは「記事ではない」からであり、記事であるならWP:BTWen:WP:MOSLINK)による記事間リンクは肯定されるべきものだからです。英語版では一般記事はMOSLINK、曖昧さ回避ページはMOSDABとスタイルマニュアルを明確に分けており、だからこそ曖昧さ回避ページというものに独自性を持たせ「一リンク化」というスタイルが成立しているのです。したがって本提案の賛否が曖昧さ回避ページを記事と扱うか否かにも直結します。
    • ただ、WP:DABDICによって「辞書化はするな」という制限があるように、記事かどうかやリンクの有無とは別に情報の簡素化など「曖昧さ回避ページとしての書き方」というのがあります。「一リンク化」が反対の方も単語解説部分に一般記事並みの情報量やリンクが必要とは思っていないでしょうから、完全に記事として扱うのも違うでしょう。なので、「記事」か「記事でない」かの間に「半記事(≒DABとしてのスタイルの確立)」という選択肢もあります。MOSDABのある英語版と違って日本語版においてはDABのスタイルが暗黙の了解となっており曖昧であったからリンクの話一つでこのように意見が割れるわけですし、本提案を否決するならするで一般記事とのスタイルの違いやリンクの選び方等を明文化した方が良いと思います。--ButuCC+Mtp 2019年8月31日 (土) 13:41 (UTC)[返信]

コメント 曖昧さ回避というWikipedia独自の仕組みを上手く使うことができればよいのでしょう。何らかのキーワード検索で曖昧さ回避にたどり着いた検索者が自分の本当に目指す情報に早くたどり着くことが曖昧さ回避の存在目的であるならばそこから先は検索者が選べばよいだけでは。第一義のリンクが明確になってさえいれば、その最小限の説明とその中での関連する事柄へのリンクは(度が過ぎたものでなければ)邪魔にはなりません。検索者の迷いを「完全にゼロにする」ことのためにリンクを一つに限定するというのは、それこそ検索者に対する余計なお世話ではないのでしょうか。曖昧さ回避は特別なページなのだからリンクは一つでなくてはならないというのもデメリットを無視した悪しき原理主義のような主張に見えます。WP:VWP:NORのようなWikipediaの信頼性の根幹を揺るがす内容でもありませんし、率直に申し上げて、これだけ主張、議論を見てきても私には賛成派(特にKoneさん)がここまで頑なに1リンクに拘る理由がなぜなのか全く理解ができずにおります。 --Takisaw会話2019年8月27日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

  • コメント 私とて、絶対に1トピック1リンクを固持するつもりはありません。最善なリンク先がない場合、それに代わるものとして次善・三善のリンクを示すことまで否定するつもりは、もとよりありません河原町駅の「河原町駅 (静岡県)」に対する措置がそれです。当然、「河原町駅 (静岡県)」なる記事があるべきところ、それが存在しないため、次善の策として静岡鉄道駿遠線を示したものです。そこの駅一覧を見れば、とりあえず駿遠線(静岡県)の河原町駅が「どこにあって」「隣の駅の駅名とそこまでの距離」等、ある程度の情報は得ることができます。しかし、それはあくまで「河原町駅 (静岡県)」なる記事が立項されるまでの臨時的な緊急避難的措置であって、恒久的なものではないことは明らかです。「河原町駅 (静岡県)」立項後に「静岡鉄道駿遠線」へのリンクを残し、万が一検索者がそれを選択した場合、「河原町駅 (静岡県)」に比してより少なく、よりこなれていない情報に導くことになります。この場合、「静岡鉄道駿遠線」へは、関連項目として最善のリンク先である「河原町駅 (静岡県)」から飛べば十分なのであって、曖昧さ回避のためのページで最善でないリンクを示すことで検索者を不利益に誘導しておいて、それを検索者の責任などというのは傲慢極まりないのではないでしょうか。曖昧さ回避のためのページの第一義は、「間違いなく」検索者の求める最善の記事に導くことです。それを「間違いなく」果たすためには、1トピックについて原則1リンクで十分なのです。--Kone会話2019年8月27日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
  • コメント とりあえず一言のみ。たとえば、河原町駅において仙台市交南北線の駅に関する記述が
という書き方をされているのであれば、Koneさんが仰るような懸念も理解できなくもありません。しかし実際は
と書かれています。誘導対象記事へのリンクを冒頭に設け、かつ説明書きが半角ハイフンとスペースによって明確に区分された現状の記述形式で、閲覧者が本来のリンク先ではなく説明書き部分のリンク先へ誤誘導される(閲覧者に不利益を生じる)可能性を読み取ることはおよそ現実的ではないように思います。--MaximusM4会話2019年8月28日 (水) 16:01 (UTC)[返信]
  • コメント いいえ。意図的に仙台市地下鉄南北線のリンクを踏んだ閲覧者にとって、河原町駅から仙台市地下鉄南北線へ遷移することは「誤誘導」ではありません(そのような閲覧者の存在や需要まで全否定されませんよね)。そして、河原町駅から河原町駅 (宮城県)へアクセスしようとした閲覧者が仙台市地下鉄南北線へ「誤誘導」されてしまう蓋然性を考慮することは非現実的であると申し上げています。言い換えれば、こと駅項目の曖昧さ回避項目について論じる際、「駅項目」へアクセスしようとした閲覧者が、各トピックの冒頭に明確に記載されている「駅」と名前の付く内部リンクを無視して他の内部リンクを押下する可能性を論じることはナンセンスであり、ひいては「曖昧さ回避項目における内部リンクを、各項目・各分野の状況を一切考慮することなく機械的に誘導対象記事のみに削減する」という提案そのものがナンセンスであるということです。--MaximusM4会話2019年8月30日 (金) 05:01 (UTC)[返信]
  • それでは、「河原町駅 (宮城県)」の説明にある「宮城県」や「仙台市」、「若林区」、「駅(鉄道駅)」にリンクを付することは、是とお考えでしょうか?MaximusM4さんのお考えに立てば、そういう結論に達するのですが。--Kone会話2019年8月30日 (金) 05:18 (UTC)[返信]
  • それは承知いたしました。しかしながら、野放図なリンクを禁止するのであれば、どのようなリンクを容認し、どのようなリンクを禁止するのかという点で、明確な線引きができるのでしょうか。また、リンクを厳選するのであれば、結局のところトピックへのリンクのみになってしまうのではないでしょうか。そのあたり、腹案があればお示しください。--Kone会話2019年9月2日 (月) 10:20 (UTC)[返信]
  • コメント Koneさんにとっては不本意であろうことは重々承知していますが、現状をそのまま追認すればよいと考えています。すなわち、下記にて茶でもすするかさんが仰った内容をほぼそのまま敷衍する形となりますが、説明文においては誘導先項目と密接な関連性を有する項目にのみ内部リンクを設けるのを許容することを明文化すればよい。もし説明文に複数の内部リンクが設けられ、さらにそれらの関連性について疑問の余地があるような事例については、(これまで数多の記事にて行われてきたのと同様に)個別の議論によって整理するか否かを決定すればよいでしょう。関連性の有無や高低については、包括的なルールによって制御することが困難であるのは敢えて申し上げるまでもないかと思います。--MaximusM4会話
  • コメント 最善の誘導先ですが、例えば、「大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン」を知る目的で「大阪梅田駅」と検索する利用者もいるでしょう。そういった方々にとっては阪急神戸本線阪急宝塚本線阪急京都本線が最善の誘導先となります。どういう目的で検索するかによって最善の誘導先は変わってきます。--新幹線会話2019年8月30日 (金) 09:30 (UTC)[返信]
    • 大阪梅田駅という記事ではないページに辿り着いたら、まず大阪梅田駅 (阪急)という百科事典としての記事へ行き、そこで「大阪梅田駅 (阪急) に乗り入れている路線の詳細情報、あるいは乗り入れている列車の停車駅パターン」を知るのに最善となるリンクを探す、というのが曖昧さ回避ページの誘導特化の考え方であり、英語版で運用されているen:WP:MOSDABです(そして、それを導入しようというのがこの提案です)。新幹線さんが指摘する路線記事は『この単語に関連する記事』であり、曖昧さ回避されるべき同名の記事名とは別ですから、それは曖昧さ回避ページが行う誘導ではなく、Wikipedia:記事どうしをつなぐに基づく関連記事の紹介です。大阪梅田駅なら大阪梅田駅 (阪神)大阪梅田駅 (阪急)のみが誘導先であり、阪神電気鉄道阪急電鉄WP:BTWに基づくリンクであって、WP:D本来のリンク先ではありません。WP:BTWは記事で行われることですから、WP:Dが記事でないなら不要です(en:WP:MOSDABでは曖昧さ回避ページをnot articlesとし、紹介は不要という立場をとっています)。これまで様々なページが例示されましたが基本的に焦点は同じで、要するに曖昧さ回避ページを記事と見るか否かということでしょう。英語版の運用に右に倣えではなく、日本語版では「曖昧さ回避ページ」を記事と同等と位置付けるか、記事はないとして紹介リンクを外すか、記事でないが最低限の紹介リンクを認める半記事的な結論にするか、それはこの議論で決めることになるでしょう。ですが、紹介リンクを認めるとしてもその目的の区別はしていただきたいです。この議論がどう転んでも誘導先ページ以外の紹介リンクは別のガイドラインに基づく行為であり、曖昧さ回避の目的そのものにはなり得ません。--ButuCC+Mtp 2019年8月30日 (金) 10:23 (UTC)[返信]

賛否のまとめ[編集]

  • ※投票とかそういう意味ではなく、議論の関係で誰が賛成で誰が反対なのか、ちょっと分かりにくくなっているのでまとめただけです。また、人数も『単純に、現時点では、どちらの意見が多いのか』というだけで、数が多い方が正しいとか、そういう意図は毛頭有りません。多数決では有りませんので、念の為。
賛成(一本化派)4名
Kiyoweapさん、Yapparinaさん、Yukida-Rさん、Koneさん。
反対(複数リンク容認派)7名
Tiyoringoさん、お好みでタピオカをおかけください(僕)、たびびと551さん、Senatsukiさん、茶でもすするかさん、Takisawさん、切干大根さん。
※明確に、テンプレート【{{賛成}}や{{反対}}】及び準ずる形で意思表示されてる方のみ。コメントから読み取れても、それが無いと勘違いしていたらいけないので、今回は追加していません。--お好みでタピオカをおかけください会話) 2019年8月23日 (金) 12:20 (UTC)賛成と反対のテンプレートをTemplate:tl使用に変更しました。--お好みでタピオカをおかけください会話2019年8月24日 (土) 04:06 (UTC)[返信]

区切り2[編集]

コメント 誘導先に対して青リンク一つだけ、という英語版ガイドラインは、読者が正しいリンクを見つけられるように、リンクに関連付けられた説明は最小限に抑えるという目的の達成のためのスタイルだと私には読めました。このルールに沿って案内先を記述すれば自ずと青リンクは1つだけになるでしょう。しかしながら日本語の場合だとひらがな・カタカナ・漢字のみならず欧文文字も同時に並ぶ言語ですのでリンクを1つにきっちり限定しなくても役目を果たすことができるはずです。スクリーンリーダーを使っている場合など、青リンク1つだけであることが有効に機能するのは表音文字言語だけであり、日本語では漢字の読み方がネックになるので判断のためにリンクをたどる必要も出てきましょう。そうならないように案内先文を記述するのがベストであることは言うまでもないことですが、その他の字句にはリンクを貼るな! というのはちょっと乱暴なような気がします。スクリーンリーダーが誤って大阪市平野区にある「杭全公園」(くまたこうえん)を「こうぜんこうえん」と読んだり、京阪電車の「石山坂本線」を「いしやまざかほんせん」とぎなた読みされないよう、適宜内部リンクを用いて文節分けしておくのがむしろ、良いのではないのでしょうか? Wikipedia日本語版では記事タイトル以外、漢字によみがなは振られていないのですから。--Licsak会話2019年8月25日 (日) 14:46 (UTC)[返信]

コメント 賛否については中立ですが、気になったので一言。「Wikipedia:表記ガイド#読み仮名」にあるように、本来は積極的に読み仮名を振るのが現状のガイドラインです。まあ誰も守っていませんが……一応、ウィキペディアのガイドライン上では、難読地名などに読み仮名をつけることに問題はないことになっています。--Kanohara会話2019年8月25日 (日) 15:39 (UTC)[返信]
改めて読んだところ常用漢字の音訓外については読み仮名を積極的に振ることが推奨されていました。ただ内部リンクがあれば読み仮名は振らなくてもいい決まりなので、てっきり振らないものと誤解していました。ご指摘に感謝します。--Licsak会話2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC)[返信]

コメント 「誘導先リンクを一つだけ」というのは、ハイフンで分割された説明文まで及ぶものではないと私は思います。複数の方も述べているとおり箇条書きのリンク先は一番適切なものにリンクするのが自然でかつ合目的であるため箇条書きにはリンク一つだけというのは当然と言えましょう。しかしながらリンク一つという拘束条件はハイフン等で区切られた簡単な説明文にまで及ぶものではないし有益さを損ねるものと私は思います。無論、説明文は簡潔に書くことが求められるのは言うまでもありません。--Licsak会話2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC)[返信]

コメント 上の難読な漢字表記でスクリーンリーダーが誤読するというのは、フリガナがないのが問題なのでしょう?(Kanoharaさんご指摘のように)。
なぜ駱駝(ラクダ)で駄目なのか?なぜ漢字とカナ両方にリンクしないと気が済まないのか理解できません。
ですが、フリガナをコミで京阪石山坂本線(けいはんいしやまさかもとせん)という表記も可能であるとすると、両方にダブルにつけた場合とさしたる違いはないので、どうでもよい話かと思います。
この例をして、誘導先の以外のキーワードにちらほら青リンクをつける正当化の理由にはなりませんよね。本質的に違う話ですから。(@Licsak:さん)。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 20:32 (UTC)[返信]
コメント とりあえず一連の議論を読んで見ましたが、土も気候も違うのに、種が同じという理由で、望ましい葉っぱの形について(言うまでもなくウィキペディアとして求められているのは実の品質)、喧々諤々の議論を続けるのは非常に非生産的で、無駄だなと思いました。青リンクがどうのこうの以前に、まずは曖昧さ回避のページについて、英語版と日本語版の差異などを踏まえて統一的なレイアウトなどの見解を示すべきなのではないのですか。
私は比較的英語版のルールを引用をすることが多いですが、そもそもウィキペディアの方針やガイドラインというのは慣習の上に成り立つものであって、日本語版の慣習と反するものを、単に「英語版ではこうだ」と言って強制しても、反発されてまとまらないのは当然であるとしか思いません。--EULE会話2019年9月1日 (日) 11:11 (UTC)[返信]
コメント EULEさんも仰っているように、ガイドラインに何を記述するかの案も出ずにこのまま議論を続けていても埒が明かないでしょう。「曖昧さ回避ページは記事と同等と位置づけるか」につきまして、曖昧さ回避は必ず複数の項目があり、曖昧さ回避の誘導先にあるものこそが記事ですので、個人的には「記事と完全に同等とはいえない」という考えです。しかし、記事と同等ではでないことは曖昧さ回避の誘導先以外のリンクを排除する理由にはなり得ず、Wikipedia:記事どうしをつなぐのガイドラインに沿って関連性の高い記事にアクセスしたい利用者への便宜を図る必要はあるものと思われます。ただし、例えば曖昧さ回避ページ「河原町駅」における [[鉄道駅|駅]] のような一般名詞にまでリンクをつけるのは過剰だという合意は得られていると思いますので、曖昧さ回避ページにおけるリンクについて以下のようなガイドラインがあった方が良いかもしれません。
* リンク対象にするのは誘導先記事および関連性の高い項目(例:鉄道駅における路線名、楽曲におけるアーティスト名やアルバム名)にとどめる。 * 原則として年月日や一般名詞にはリンクをつけない。(容易に誘導先記事にたどりつけないリンクをつけない) * 誘導先記事名はパイプ付きリンクやリダイレクトを使わずに明示すること。ただし、説明文において適切なパイプ付きリンクを使うことは妨げない。 
また、各項目の書式は「誘導先記事名 - 説明文」のように誘導先記事名と説明文をハイフンマイナスで分割した形式が暗黙的な標準のようになっておりますので、これを推奨する書き方として明記しても良いかと思われます。--茶でもすするか会話2019年9月2日 (月) 11:17 (UTC)[返信]
  • コメント ガイドラインへの加筆について賛否はありませんが、茶でもすするかさんの案は実態の暗黙のルールに沿ったものだと思います。--切干大根会話2019年9月2日 (月) 14:44 (UTC)[返信]
  • コメント 概ね同意いたしますが、一点、「誘導先記事名はパイプ付きリンクやリダイレクトを使わずに明示」の冒頭に「原則的に」の文言を加えるか、あるいは後述するような事例における例外事項を追記することを提案いたします。具体的事例として鉄道車両分野における「初代」「2代」のパイプが誘導先記事名に付与された曖昧さ回避項目を挙げます。鉄道車両記事は WP:NC/RAIL#車両記事名 に則り、初号車落成当初の事業者・形式称号をもって記事名とするルールとなっていますが、たとえば曖昧さ回避項目である名鉄モ600形電車において誘導先となっている2代目600形は名鉄モ600形電車 (2代)が本記事である一方、初代600形は名岐鉄道デボ600形電車が本記事・名鉄モ600形電車 (初代)は同記事へのリダイレクトとなっており、識別性の観点から初代記事への誘導リンクを敢えて[[名岐鉄道デボ600形電車|名鉄モ600形電車 (初代)]]としています。これがパイプリンクを使用できないとなると、説明文にて名岐デボ600形イコール名鉄モ600形(初代)であることを記述しなければならず、この点は現状と比較して明らかなデメリットであると思われますがいかがでしょうか。--MaximusM4会話2019年9月3日 (火) 09:40 (UTC)[返信]
  • コメント 茶でもすするかさんには、案を示していただきありがとうございます。確認したいことがありますので、回答をいただけますと幸いです。一つ目の項目で、「関連性の高い項目」とありますが、それではページ立項者の考えにより基準が主観的に決定されることになり、結果、ガイドラインとして機能しないという危惧を感じます。Maximus4さんの案にもあるように個別判断という手もありますが、それではほとんどの曖昧さ回避のためのページで個別判断が必要になってしまうのではないでしょうか。それはあまりに非効率です。私としては、原則誘導先のみのリンクとし、他に重要なリンク先が必要とされる場合、個別に判断するという方がいいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Kone会話2019年9月3日 (火) 12:17 (UTC)[返信]
  • 返信 (MaximusM4さん宛) MaximusM4さんのご提案に同意いたします。本提案の主旨は「現状の暗黙的なルールの明示化+α」であり、私が想定していたリダイレクトは独立記事が作られる前の一時的な措置としてのリダイレクト(例えば「河原町駅 (静岡県)」→「静岡鉄道駿遠線」へのリダイレクトのようなもの)でしたので、独立記事の別名として存在し、曖昧さ回避ページと誘導先記事名との整合性をとるためのリダイレクトにつきましては特段問題がないと考えます。--茶でもすするか会話2019年9月3日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
  • 返信 (Koneさん宛) 「関連性の高い項目」とは、Koneさんが仰っていた「関連項目(次善、三善)」へのリンクがそれに該当します。個人的には、最善のリンクが存在するからと言ってわざわざ次善・三善のリンクを除去することはないだろうという考えです。個別判断の必要性につきましても、例をいくつか挙げることでゼロにはできなくても減らすことはできるのではないでしょうか。それでも個別判断が必要となった場合、それは百科事典作成のために必要な手間として甘受すべきでしょう。--茶でもすするか会話2019年9月3日 (火) 13:33 (UTC)[返信]
  • コメント Licsakさんの2019年9月1日 (日) 05:24 (UTC) のご発言「ハイフンで分割された説明文まで及ぶものではない」は、私は説得力があると考えます。--柒月例祭会話2019年9月4日 (水) 09:21 (UTC)[返信]
    • 返信 英語版の記述を見ると「Include exactly one navigable (blue) link to efficiently guide readers to the most relevant article for that use of the ambiguous term. Do not wikilink any other words in the line.」となっているので、そのような解釈はできないと思います。--新幹線会話2019年9月4日 (水) 11:31 (UTC)[返信]
      • 返信 英語版の解釈の話はしていません。--柒月例祭会話2019年9月4日 (水) 15:04 (UTC)[返信]
        • 返信 少なくともLicsakさんは英語版の解釈の話をしていたと私は認識していました。--新幹線会話2019年9月4日 (水) 15:24 (UTC)[返信]
          • 返信 私は日本語版の扱いについてコメントしました。--Licsak会話2019年9月5日 (木) 03:39 (UTC)[返信]
          • コメント 日本語は英語とは事情が異なります。英語の場合はすべてアルファベット26文字の世界ですが、日本語は漢字仮名交じり文でありかつ、外来語のカタカナも含めた世界になります。さらに日本語は同音異義語が非常に多く、イントネーションで区別する語も少なくありません。また日本語には黙字は無く、アルファベットによる表記違いもないことから英語版ルールを機械的に当てはめるのは、私はどうかと思いコメントいたしました。このことは曖昧さ回避ページで同じ読みの複数の表現について網羅しているページ(例: メスめす、あまり良くない例: アイあい)が複数あることから明らかです。また、英語版のルールはWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.3フォーカス順序を意図したものだと思いますが(箇条書き一つに対しリンクは行先ページ一つのみ)、前述の通り日本語では説明のリンクを一度たどり戻って行先リンクを選び直す必要もありましょう。このことはWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.4 リンクの目的 (コンテキスト内) とも合致しましょう。無論、説明書きにつけるリンクは最小限に留めることは、不必要なフォーカス移動をさせないために必要なのは言うまでもありません。--Licsak会話) 2019年9月5日 (木) 03:39 (UTC)リンクを目立たせる--Licsak会話) 2019年9月5日 (木) 03:42 (UTC)リンク追加--Licsak会話2019年9月5日 (木) 03:48 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────(インデントを戻します)ウィキペディアのリンクアンカーのタブオーダーを確かめたところ、箇条書きについては説明文に先に飛ぶ、というものでした。このことを踏まえるとリンク先を唯一に絞るKoneさんの説得力には相当のものがあります。リンク先記事の冒頭文に記載されている内容についてはリンクによる解説を抜きにするくらい、リンクは厳選したほうがアクセシビリティの観点から良いのかなと思い始めています。モバイルアプリではリンクをたどると簡単な解説が冒頭文とは別に出る仕掛けになっています(英語版Wikiはモバイルシミュレーターが標準で出ます)。そうした環境も踏まえ有用な曖昧さ回避が実現できるなら、説明書きにある無駄なリンクは外しても良いと思います。--Licsak会話2019年9月5日 (木) 14:18 (UTC)[返信]

  • Wikipedia:コメント依頼に提出しました。特別:差分/74145727。また、それに伴い、井戸端の位置もリセットしました。特別:差分/74145765--2001:268:C05E:9C6D:E8A5:2CC0:DF6C:8D4D 2019年9月7日 (土) 06:54 (UTC)[返信]
  • 上記の茶でもすするかさんの案に概ね同意ですが、関連性の高い項目について具体的な例は各プロジェクトに委ねるべきで、ガイドラインに具体例を書かない方が良いと思います。また、-だけではなく、→〇〇を参照。というパターンも使用されることが多い(主題だ立項されていないが適切な参照先があるケースや同表記が沢山あるケース)のでこれも盛り込み方が良さそうです。--たびびと551会話2019年9月7日 (土) 07:12 (UTC)[返信]
  • (質問)茶でもすするかさんの案を支持される方に質問です。それは、「説明文へのリンクは必ず付されなければならない」という理解でよろしいでしょうか。これについては、「説明文に重要項目へのリンクを付することができる」程度の規定でないと不都合が生じると思います。また、基準については各プロジェクトに委ねるとのご意見がありますが、リンクは原則トピック部分のみとしておけば、そのプロジェクトごとの個別協議の必要はありませんし、説明文で必要になるとされるリンクについては、ページごとの個別協議で十分と思います。--Kone会話2019年9月7日 (土) 07:31 (UTC)[返信]
    • 返信 1つめ。説明文のリンクは「一定つけても良い」であって、「付けなければならない」ではないです。2つ目。いくつかのプロジェクトには曖昧さ回避で内部リンクを絞っているところがあります。関連性の高い項目の定義は各プロジェクトごとで決めた方が厳密にすることができます。ページごとの個別協議は類似ページ間(例えば駅の曖昧さ回避など)でバラバラになりかねません。個別のページで編集合戦となるのは避けたいところです。--たびびと551会話2019年9月7日 (土) 17:23 (UTC)[返信]
    • 返信 (たびびと551さん宛) 曖昧さ回避は、ほとんどの場合は人名や作品名など多岐の分野に及ぶため、一つのプロジェクト(例えば鉄道など)に収まることは稀でしょう。ガンマ (曖昧さ回避) のように「説明文→誘導先記事名」の形式のものもございますので、もし推奨する書き方を明記する場合は、この形式も加えたいと思います。--茶でもすするか会話2019年9月7日 (土) 21:00 (UTC)[返信]
    • 返信 (Koneさん宛) 案につきまして「説明文へのリンクは必ず付されなければならない」ということは意図しておりません。説明文に関連性の高い項目がなければリンク無しになることも当然あり得ます。むしろ「説明文に重要項目へのリンクを付することができる」の方に近いニュアンスです。(例えば、ウィングス 内の項目「おおとりウィングス」の説明文「大阪府堺市西区にある商業施設」は、どれも関連性がさほど高いとは言えなさそうです。「最寄り駅は鳳駅」や「核テナントはダイエー」とでも書いてあればリンクを入れられなくもないですが、記事も次善のリンクも作れないような項目の可否は別途検討すべきでしょう)--茶でもすするか会話2019年9月7日 (土) 21:00 (UTC)[返信]

区切り3[編集]

  • コメント (本来目的について)
私の立案で、Kone氏に論議を任せっぱなしでスミマセン。
まあ私も最初っから青リンク1本ルールを知っていたわけではありませんし、英語版でそれを指摘されたときなぜダメなのかはとっさには呑み込めませんでしたよ。
しかし日本語版WP:DABDICにあるように"曖昧さ回避ページは読みたいページを判別することが目的ですから"、それを考慮するなら青リンクをなるたけ1本に絞るのが至極当然という結論に達するはずです。
1本以外の青リンクをはずすことを、さぞたいそうなデメリットのように何名かの方はおっしゃいますが(茶でもすするかTakisawMaximusM4タピオカ氏ら)、たかだかワンクリック差の話ですよね。
しかも、こちらはWP:DABの本来目的で使う場合の話をしているのであって、そちらはブラウジングしたユーザが目移りとか気がわりした場合においてです。この差があっても不当といえないでしょう。--Kiyoweap会話2019年10月2日 (水) 22:08 (UTC)[返信]

返信 切干大根 何を事実を伴わないことをおっしゃっているのですか?誘導先リンクがハイフォンの左に集約されており、右はすべて説明というのは虚偽ですよね。実例に出されているのは"ひまわり - あみんの楽曲。シングル『ひまわり/待つわ'07』、アルバム『In the prime』に収録。"です。誘導先はハイフォン前にありません。右のどれかを選べのかたちです。"これで迷う人というのは、相当に変わった感性の持ち主なんだろうなと思います。"などとおっしゃいますが、確実に迷うでしょ。--Kiyoweap会話2019年10月3日 (木) 21:52 (UTC)[返信]

  • 返信 (Kiyoweapさん宛) (議論途中にコメントを挿入されますと、議論が分断されるので新しいコメントは下にお願いします。)ヒマワリ (曖昧さ回避)あみんの楽曲の例は、誘導先記事がない特殊な例です。記事がないから、シングルCDかアルバム記事を見よという誘導です。これはKoneさんの仰る「最善のリンク先となるべき項目がない場合」に当たります。--切干大根会話2019年10月3日 (木) 22:31 (UTC)[返信]

コメント 「曖昧さ回避ページ」というものをどう捉えるかが、人によって異なるんですね。

  • Kiyoweapさんは「DAB本来の目的」とおっしゃっています。
  • 私はどちらかというと「曖昧さ回避の機能も併せ持つ」ぐらいの考えでみていますが、「曖昧さ回避以外の機能を持たせてはならない」と考える方もいらっしゃる。
  • いろいろな情報を提供する記事に、誰かが「曖昧さ回避ページ」のテンプレートを貼ると、その記事が曖昧さ回避ページになってしまう。「その記事を曖昧さ回避ページにするかどうか」は特段の手続きがあるわけではない。
  • 実態としては、狭い意味での・Wikipedia的な・純然たるWikipedia:曖昧さ回避の定義に基づく「曖昧さ回避ページ」と、広い意味での・一般的な・様々な事物を指しうる語についての記事、が同居しているように感じます。
  • 例を挙げると、ロバートは、前半を見ると純然たる記事のようです。が、後半は「ロバートという名前をもつ人物の曖昧さ回避」になっている。さすがにまさか、この記事で、「曖昧さ回避ページなのだから余計な説明は不要だ」といって前半を除去しようなどという方はいないでしょう。(経緯を追うと平凡な曖昧さ回避ページだったのを私が加筆してこうなったんですけども。)
  • 狭い意味で捉える派は、「曖昧さ回避ページ」は単なる行き先表示板に過ぎないと考えている。
  • 広い意味で捉える派は、そのページ内でもいくらかの情報を与えることが有用だと考えている。なんならそのページだけでも記事として読者にとって十分な情報を与えて完結できるとも考えている(その先の記事まで行く必要がない)。たとえば「ひまわりという楽曲」がわからなくて調べようと思った読者は、曖昧さ回避ページで「ひまわりという曲はあみんの曲だ」という説明をみて、それで十分知りたいことがわかった(だからその先を見る必要もない)という読者もいるでしょう。「あみんて何だ?」という読者にとっては、楽曲より先に「あみん」を調べに行く読者もいるでしょう。つまりこの場合には「ひまわり」は単なる行き先表示板の機能しか持たないのではなく、そのページ自体も通常の記事と同じような機能を果たしうるということです。
    • 今の議論とは脱線しますけれど、この観点では、「Wikipedia内には独立記事はないけど、同名の異物としてほかにもこんなのがあるから注意してね」というのを列記するのも有用だと私は感じています。が、「記事がないのに曖昧さ回避ページに列記するな」という方もいる。(あまりにも瑣末なものを何でもかんでも書き連ねるのは困るというのもわかります)
  • たとえば、交差点に案内人が立っている。
    • 「市役所に行くにはどっちですか?」
    • 「左です」
    • 「ところで市役所は今の時間まだ開庁してますか?住民票を取りたいんですけど」
      • 「知りません、左に行くと市役所なので、そこで調べてください」(狭い意味の曖昧さ回避ページ)
      • 「もう閉まっていますよ。住民票を取るなら、右の角のコンビニでも可能です。500円かかります。」(広い意味での曖昧さ回避ページ)
  • 私は後者のほうが便利(有ったほうが良い)だと思いますけど、狭い意味での純粋な曖昧さ回避ページを求める方にとっては、余計な機能は不要(ほかの機能は無いほうが良い)と考えている。私の立場から見ると、いろいろな情報を提供する機能を無くすメリットがよくわからない。読者がどれをクリックしたらいいのか迷うことになるから駄目なんだ、という説明もあるようですが、「迷わないでしょう?」という感じ。
  • いずれにせよ、異なる考え方が併存しているので、一方が他方をねじ伏せるような格好で合意を形成するのはむずかしいなあ、とは思います。--柒月例祭会話2019年10月4日 (金) 03:15 (UTC)[返信]
    • コメント 㭍月例祭さんの例えが、あまりにも的を外しているので苦笑しています。曖昧さ回避のためのページは、交差点に立つ案内人ではなく、交差点に建てられた方向案内板だと思っています。どちらに行くかの決定は、検索者の意思に完全に委ねられており、曖昧さ回避のためのページ自体が行先を決定するわけではありません。ただ、検索者が判断できる材料を提供できれば、方向案内板の役目は全うされます。まさか、「市役所はこちら」の案内板に「住民票は500円です」とは書かないですよね。--Kone会話2019年10月4日 (金) 03:43 (UTC)[返信]
      • 返信 市役所まで行ってみて閉まっていて引き返す人が多かったり、住民票をとりたいという問い合わせが多ければ、案内板に開庁時間を書いたり、住民票ならこちらでも取れますよと案内するのも親切だな、と私は考えるということです。--柒月例祭会話2019年10月4日 (金) 04:00 (UTC)[返信]
        • (お返事)幸い、ウィキペディアには閉庁時間はありません。24時間365日開庁していますので、検索者が引き返すなどということを心配する必要は全くありませんね。検索者が正しく市役所にたどり着ければ、住民票のみならず、戸籍や納税証明など他の証明書の取り方もそこでわかります。ここで、案内板にある例えば住民票へのリンクを選択して、市役所への行き方がわからなくなる方が問題ではないかと思います。--Kone会話2019年10月4日 (金) 06:05 (UTC)[返信]
  • コメント - 「交差点の案内人」が目的地に対してどのくらいの距離にいるかという認識が両派間で結構違いそうな印象を持ちました。実際は曖昧さ回避はリンク1回で到着するのでその案内人が目的地の門前に立っていてもおかしくないと思うんですけど、柒月例祭の語り方からはもう少し距離があるような想定に見えますね。現実に目的地を目前にしたその位置に案内人/案内板があるならもう門前で説明するより市役所に行かせた方が早いので簡便な方が良い気もします。一リンク化の厳格化はやりすぎという意見も分かりますが、一方でたった一リンクを躊躇するのも大袈裟にとらえすぎではないでしょうか。
市役所の例については私もちょっと本件と状況が合っていないように思います。ただ、この例示によって中途半端にリンク付きの説明を置くことの効果について改めて疑問がわきました。なぜなら案内板に住民票のことが書いてあって助かるのは住民票を取る人だけで、戸籍謄本を取りに来た人には意味がないからです。それなら戸籍謄本の案内も載せるのか、他にも何か載せた方がいいのか、と際限が無くなります。「問い合わせが多い」ものに厳選するとしたら、それは何を根拠にするかという話にもなります。読者傾向を逐一調査するのが技術的に可能か否か以前にいちいちそんなことを各曖昧さ回避ページでやるのは現実的でないので、結局は編集者の匙加減です。でも、そんなことせずにさっさと内容が100%詰まった案内先の記事へ送ってしまえばいいのです。案内板の段階で何が欠けると不便になるか悶々とするよりも単純明快な解決法です。一リンク移動した先にはさらにその先の案内が網羅されているのですから。
私は「狭い意味で捉える派」は「曖昧さ回避ページは記事ではない派」、「広い意味で捉える派」は「曖昧さ回避ページも記事あるいは記事のようなもの派」と考えます。既に述べた通り、WP:BTWをはじめとする一般記事における利便性を曖昧さ回避ページでも便利と捉える人は記事の流儀を曖昧さ回避ページに持ち込もうとしているわけですので、それはもうスタイルマニュアルからして記事同然に扱っているという事です。一方で「一リンク化」に相当する事を一般記事で行うのは不適切であることは「狭い意味で捉える派」も承知です。ですので、そちら側はもう完全に曖昧さ回避ページはルールからして一般記事とは全く異質の空間と考えているわけです(英語版におけるMOSLINK/MOSDABの棲み分け)。この両者の感覚がすれ違っているのが現状でしょうね。
曖昧さ回避ページで必要な本来の説明量は記事冒頭に貼られる{{Otheruses}}に書かれる内容と大差ないものと考えます。Otherusesの誘導と{{Aimai}}が貼られたページの違いは「独立した曖昧さ回避ページを設けていない」だけです。どちらもDABとしての目的は適切な記事への誘導であり、Otherusesで簡略かつリンクなしで誘導ができているなら、Aimaiのページで同じ事もできるはずです。
ロバートについては柒月例祭さんが記事を改訂した時点で{{Aimai}}を外してよかった例だと思います。リンク以上に異質なのが「曖昧さ回避ページにおける出典・脚注」です。WP:DABDICにあるように、曖昧さ回避ページで完結するような解説を行うのは不適切で、そのようなことを行った時点で曖昧さ回避ページではなく一般の記事として扱うべきでしょう。Wikipedia:検証可能性に基づく出典の明示を必要としない(どころか不適切でさえある)という点も、「曖昧さ回避ページ」というのが一般の記事とは異なる場所であることの傍証です。--ButuCC+Mtp 2019年10月4日 (金) 11:28 (UTC)[返信]
  • コメントまず最初に申し上げますが、議論の場において「具体例ではない」例え話を行うことは論点の拡散を招きがちな行為であり、原則的には避けた方が良いでしょう。(今まさに拡散していますね。)
さて、青リンク一本化の提案ですが、概ね賛成します。
これを例に挙げてお好みでタピオカをおかけくださいさんは「どれに一本化すればよいのか」と反対されているのですが、それこそがまさに一本化しなくてはならない理由でしょう。あみんの『ひまわり』を調べている読者の目からこの項目を見た時、 アーティストの記事を見ればよいのか、あるいはシングル、アルバムの記事を読めばよいのか分からないのですから。このような対象の記事が存在しない項目を曖昧さ回避に載せることはそもそも「存在しない項目を載せるかどうかは慎重に行うべきです。その項目名で呼ばれるものをすべて載せる必要はありませんし、執筆される見込みが薄い項目や、現存するものでも削除されそうな項目にリンクする必要はありません。例えば、歌の題名はたくさんありますが、個々の歌がすべて執筆されているわけではないので、まだ記事の書かれていない歌の題名を載せる必要はありません。」(Wikipedia:曖昧さ回避)と推奨されていないのですが、他の記事内において十分な筆量をもって説明されているのであれば問題ないはずです。こうした場合においては最も対象をよく説明している記事に対してのみリンクを設けると定めることは読者に利するものと考えます。
さて一方で一般的な、つまり既に対象の記事が存在している
このような項目において青リンクを制限する意味はそれほど大きくないはずです。植物のヒマワリを探している読者がヒマワリを読むかキク科を読むか迷うことは想定しにくいですよね。まとめますと……
  1. 曖昧さ回避には原則として既に記事が存在している項目のみを掲載する
  2. 記事が存在しない場合、他の記事内において十分に説明されている項目については例外的に掲載可能とする
    1. この場合、最もその項目についてよく説明している記事を一つだけ選び、リンクを設定する。
ルールとしては複雑化するのですが、副作用を最小限にして問題を解決できるものと思います。--おいしい豚肉会話2019年10月5日 (土) 02:29 (UTC)[返信]
  • 曖昧さ回避ページの第一義は「主題の適切な情報を得られるためのページへ誘導すること」であり、これに異議を唱える人はいないかと思います。そして、これが大きく阻害されるもの、例では上記のあみんの楽曲のひまわりは曖昧さ回避としては避けるべき記述です。しかしながら、おいしい豚肉さんがあげたヒマワリの曖昧さ回避は第一義が阻害されるとは思えず許容されるべきものでしょう。また、上記あみんの楽曲であれば
とすれば、誘導先が明確になりますのでこれも問題ないかと思います。誘導先と説明文を明確に分ければ説明文に青リンクを含めても大丈夫ではないでしょうか。
  • コメント 私も青リンク1本の優れている点を否定するものではありません。むしろアクセシビリティからするとWCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.3フォーカス順序WCAG 2.0 解説の達成基準 2.4.4 リンクの目的 (コンテキスト内) にもある通り1選択肢に付き最善のリンク1つだけであることの優秀性は疑う余地がありません。またリンク先で解説される内容について曖昧さ回避ページの選択肢内にリンクを貼るのは良いことではないことも私は理解しています。しかしながら曖昧さ回避ページは読者だけでなく曖昧さ回避ページに『誤って』リンクされたページを修正する人々への便宜を図る目的としては、リンク1つに厳密に運用することは可読性を大きく損ね、誤ったリンクを直す気力を削ぐ結果になるかもしれません。結果としてその道の専門家しか誤リンクの訂正ができないとなると曖昧さ回避ページタグに書かれた文言が無意味になりかねません(現実に私は分野外の曖昧さ回避ページにリンクされたページの修正をするときに説明文を参照しました)。また場合によってはその曖昧さ回避ページとして立項されたページはもしかしたら人名の姓・名の記事に代表されるように曖昧さ回避タグを貼らないほうが良いページであるかもしれません。そうしたページでリンクを剥がす・付け直すの編集合戦をするのは生産的な活動とは私には思えません。そこで私は折衷案として上げたのが以前のコメントで挙げた、ハイフン等で説明文を「後ろに」分離した箇所には青リンク1本しばりを課さない運用です。リンク順序として「構造的」に適切な順序であれば良しとして、解説文には適宜リンクを貼るのを許容することもあっていいのではないかと私は思います。だからこその『ハイフンで区切って後ろに解説文をつけ、その中で必要最小限の補助リンクを貼る』というスタイルの許容は、編集者は複数のページを同時に開くことを厭わないことが想定されるためより多くの編集者に対し、曖昧さ回避ページへ誤ってリンクされたページの修正を促す上で私は有効だと考えます。無論、説明文中のリンクは曖昧さ回避ページの選択肢を判断する上で必要な最小限のリンクに留めるべきであることは先に述べたとおりです。--Licsak会話2019年10月5日 (土) 07:31 (UTC)[返信]
    • 賛成 Licsakさんのご提案に賛同します。「読者が行先を迷って困る」というのはそれでじゅうぶん防げるように思います。そのうえで、「ハイフン等で分離された説明文」内については、茶でもすするかさんの2019年9月2日 (月) 11:17 (UTC)のご提案が大凡適用できるものと思いますがいかがでしょう。
    • おかしな例え話でややこしくさせてしまったのはすみません。要は「Aをお探しとおっしゃいますが、あなたが本当に必要な情報はもしかしてこっちじゃないですか?」というものを提供するのは便利なことだ、と私は思うんですよ。利用者が何を知りたくてAを検索したのかは人それぞれなので。また、「最初はAを調べようと思ったけど、Bのほうが気になった」というのは悪ではないと、私は考えるわけです。(だから「広い意味で捉える派」に属するということになります。)
    • 現状、Aimaiが付与されて「曖昧さ回避」ページということになっているが、実態は「(不完全な)一覧記事」となっているものが多数あるようにも思います。一覧記事であれば、説明があり、出典があるのも当然なわけです。--