インターTEC

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インターTEC(インターテック、INTER TEC、INTERNATIONAL TOURING CAR ENDURANCE CHAMPIONSHIP IN JAPAN、国際ツーリングカー耐久レース)は、1985年(昭和60年)から1998年(平成10年)まで、日本富士スピードウェイで開催されていたツーリングカーレース。

概要[編集]

1985年から1993年までがグループA規定によるセミ耐久レース、1994年から1998年までがFIAクラス2規定(2Lの4ドア車両)によるスプリントレース(×2レース)で争われた。いずれも全日本ツーリングカー選手権(JTC/JTCC)の1戦として開催されたが、1987年世界ツーリングカー選手権(WTC)のタイトルもかけられた。

主催はビクトリー・サークル・クラブ(VICIC)とフジテレビ。フジテレビは録画ながら同日夕刻にテレビ放送を行ったほか、事前イベントやテレビでの告知を行うなど人気向上に一役買った。

歴史[編集]

日欧対戦[編集]

開始当初はヨーロッパから遠征して来たボルボ・240ターボジャガー・XJ-Sホールデン・コモドアフォード・シエラRS500BMW・M3等と、全日本ツーリングカー選手権を戦う三菱・スタリオントヨタ・スープラ日産・スカイラインホンダ・シビックなどの国産マシンで参戦する日本勢との戦いが目玉であった。

国内化と人気の高まり[編集]

しかし、1988年以降にヨーロッパでグループA規定が衰退すると、これまでのように遠征してくるヨーロッパのチームも減少し、インターTECのみにスポット参戦を行う香港タイ王国のチームやドライバーも存在したものの、全日本ツーリングカー選手権シリーズの1戦となっていく。

国際性が薄れていく中で人気が陰ることも危惧されたが、バブル景気に伴うモータースポーツ人気を受けて参戦台数、人気ともに衰えることはなかった。さらに1990年以降、R32日産・スカイラインGT-Rの登場で、全日本ツーリングカー選手権の人気が高まったことを受け、インターTECは更に人気が高まり、グループA最後の年となった1993年には主催者発表で94,600人の動員を記録する。

現在[編集]

全日本ツーリングカー選手権(JTCC)がヨーロッパで人気のクラス2規定を導入した1994年以降、国際性が再度高まることも期待されたが、海外からのチームのエントリーはほとんどなかった。さらに全日本ツーリングカー選手権の動員力も低下し、同シリーズが終了した1998年以降は開催されなくなった。その後はスーパー耐久シリーズの一戦に、「SUPER TEC」(スーパーTEC)の名称が冠せられ、2018年からの富士24時間レースへと繋がっていく。

歴代優勝車/ドライバー[編集]

日産・スカイラインGT-R

関連項目[編集]