土屋清三郎
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土屋 清三郎(つちや せいさぶろう、1882年(明治15年)4月20日[1] – 1946年(昭和21年)3月3日[2])は、衆議院議員(立憲政友会→立憲民政党)、医師。旧名・清[1]。
経歴
[編集]千葉県武射郡山室村[3](豊岡村、松尾町を経て現山武市)で、土屋清左衛門、たけ の長男として生まれる[1]。1887年(明治20年)清三郎に改名[1]。済生学舎・東京慈恵医院医学専門学校(現在の東京慈恵会医科大学)を卒業。内務省伝染病研究所嘱託、警視庁検疫官、岐阜県衛生技師を歴任し、退官後は開業医となった。そのかたわら日本語雑誌「日本之医界」、英文雑誌「Japan Medical World」、中国語雑誌「東亜医学」の発刊・経営にあたった[2]。
1916年(大正5年)、牛込区会議員に当選[4]。さらに1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙で当選したが、衆議院議員選挙訴訟の結果、安房郡での選挙が無効となり、同年12月8日、千葉県知事により鵜澤總明・吉植庄一郎・木村政次郎・関和知・津田毅一・鵜沢宇八・柏原文太郎・磯野敬・加瀬禧逸と共に当選証書が取消され議員を退職し[5]、同月に実施された再選挙で当選した[6][7]。その後、第15回から第20回総選挙まで連続当選を果たした[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院要覧下巻 大正6年11月増訂』衆議院事務局、1917年。
- 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年。
- 松尾町史編さん委員会編『松尾町の歴史 下巻』松尾町、1986年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。